高尾奏音さん 18歳のお誕生日に寄せて

 2020年9月10日、我らが高尾奏音さんがいよいよ18歳を迎えました。
 あにトレ!で初めて見たときが13歳、ESDのライブで初めて接近したのが14歳のときなので、18歳っていう数字はものすごく大きいように思います。
 今日は、この記念すべき日を迎えた夜のテンションで、とりとめもなく、いろいろ振り返っていこうかと思います。
 本人に関係あるんだかないんだかわかりませんが、うにょうにょと抱えている所感をダバァっとさらけ出させてくださいな。
弊ブログでも相当色々書いているので、被る部分は多々あるかと思います)

節目の日なので思い出を振り返る

 冒頭にも書きましたが、思い返してみると、本当に初めて「高尾奏音」という存在を知ったのはあにトレ!でした。流石に若くても女子高生声優までしかいない中で「中学生が声優やっている」というのは、当時の自分にもそこそこのインパクトがありました。
 そこそこのインパクトのあまり、たまたま行っていたコミケの企業ブースに売り子として現れると聞いて「へえ、ちょっと拝んでみるかどうせ買い物はするつもりだったし」と、物見遊山のように行ってみたのが実は本当の本当に初回の接近でした。正直詳しくはあんまり覚えてないけど、そのとき手渡されたタペストリーは今も部屋に飾ってあります。

 それから、『魔法少女なんてもういいですから。』の主題歌として「夢色トリドリパレード」でESDのCDを初めて手に取って(当時は誰がメンバーとかまで意識しておらず、「最近流行りのそういった何人もいる集団」程度の認識しかなかった)、続く「君色に染まる」のCDあたりでようやくはっきりと「あにトレ!の中学生=メンバーのひとり」というところが結びついたような覚えがあります。

 今でこそこうですが、元はと言えば伊藤美来さんのオタクなのであにトレ!→まほいいのアース・スタールートが構築されていたんですよね。なので「とってもサファリ」なんかは第一印象が「CMで聞いたことある曲」だったし、なので「細胞プロミネンス」がカバーされていると聞いてこれまたCMでさんざん告知されていた2016年12月のESDの2周年ライブに行ってみよう、となったことを発端として今に至るわけです。
 2周年ライブ、当時はかな~り軽い気持ちで行ったつもりだったんですけどね。それが後々の人生をここまで大きく変えることになろうとは。

 これも確かブログの方で言及してるんですが、前哨戦となった1部のぬんぬん生誕祭で「ばいたる☆エクササイズ」の伊藤美来さんのパートを歌いつつ楽しそうに踊る姿を見たことで、2周年ライブの前にはもうピンクのタオルマフラーを買っていたんですよ。
 これも今思えば自分にしては相当珍しいムーブだと思います。たぶん、当時は今ほど伊藤美来さんのオタクが多くなかったので、そんな中で相当なオタクをしていたのんのんには非常に好感を持っていたんだと思います。(逆に、今ス♡イをカバーしてて「奏音ちゃんの大ファンなんです!!!!!」って言ってる中学生がいたら同様のムーブをすると思う。たぶんこの例えが近いのではないだろうか)
 ライブ自体も大変盛り上がっていて、ああいう右も左も大声で包まれるような環境が好きなので大満足し、とても楽しく帰路についたのでした。

 そんなこんなで、2周年ライブで「おや、ちょっとこれは面白いぞ」となったので直後のクリスマスライブに行き、そこで初めての接近をしました。
 当時は地上声優的接近の経験しか持ち合わせていなかったので、特典券を手にしたはいいものの「畏れ多い」「握手なんてしてしまってよいものなのか」などと逡巡し、いつまでも列の方に足を踏み出せずに狼狽していたのは今でも忘れられません。
 その上、全握とサインチェキを1枚撮ったところで「やはり畏れ多いから次は見るだけにしよう………」なんて思ってたんですよね。(だが次回以降一切そんなことにはならなかった)
 結局、まあまあ楽しかったので、毎回は来ないにしてもまた気が向いたら来ようかな、というのが2016年終了時点での心境でした。
(クリスマスライブの場でのんかなのライブや次の上野音横丁でのライブが告知されたものの、どちらも仕事と被っていたという不運もあった)

 そこからしばらく間が空いたので、在宅期間特有の下調べや曲の予習に入りましたが、「あにトレ!に出ており伊藤美来さんのオタクである高尾奏音さん」以外名前と顔が一致しない状態からのスタートだったので、やっぱりその段階でその後の運命は決まったようなものだったんだと思います。
 続いて2月のバレンタインライブ(いずみんラストの回)と3月のESD大戦の回に行くんですが、本格的にスイッチが入ったのはこのあたりでした。
 以降、ESDの活動休止までほとんどの活動を追い続けることとなります。春の長野、初夏の豊橋・大阪への遠征や炎天歌リリイベ、ソロライブ、そしてひかのん発足を経るうちに完全にのんのんのオタクと化し、\( 'ω')/ヘーイ誕生から定着への過程も見守っていました。(当初はそのうち自然消滅するのでは?なんて言われていたけど、今日に至るまで\( 'ω')/ヘーイし続けられていて本当に嬉しい)

この時期以降、本格的にオタクとして活発に活動することとなったのですが、続いてはそのへんのお話を2点ほどしていきたいと思います。

生誕祭の件

 15歳の誕生日となった2017年の9月10日は土曜日で、「高尾奏音生誕祭」と題した定期ライブが秋葉原のTwinBoxで開かれました。
 当時のESDではメンバーの誕生日ごとに同じように「生誕祭」と題したライブが開かれており、普段はグループで歌うところ、その日だけは特別にソロコーナーが設けられるのが慣例でした。
 そんな1年に1回の特別なライブでしたが、当日になり急遽、頼れるリーダーの愛原さんが欠席することとなり、突然予定外の4人でのライブとなってしまったのです。
 いきなり普段とは歌割りもダンスのフォーメーションも違ってしまう中でなんとか回していくものの、昼の部のソロコーナーのところで声が出なくなってしまうアクシデントが起こり、代わりに客席のオタクが「ドリームパレード/i☆Ris」をカバーするという他に例を見ない事態になったのです。

 この日は非常事態の中、みんな本当に、本当に頑張っていました。最後はそれらの苦難も乗り越えて、無事にライブを終えることに成功しました。結果としてその「ドリームパレード」も、後々ひかのんでのライブでリベンジを果たすこととなりました。
 しかしながら、どうしても「あの一日、何も悪いことが起こらず終始笑顔で過ごせていたら」というところが今もずっと忘れられずに心のどこかに残り続けている、というのは偽らざる本心です。
 事実として、あれ以来ソロでのお祝いの舞台・晴れ舞台のような場は未だないのですから。
 そんなわけで、もう今日で丸3年経ったからこの辺の機微を明言するんですが、あくまで自分としては「全部が全部いい思い出だったかというととてもそうではなく、しかしながら悪い思い出として片付けるなんてできないほどにいい思い出もたくさんあり、とにかく単純な出来事ではなかった」というなんともどっちつかずな形で、それでいて大切な思い出としてこの日のことは覚えています。
 正直今ですら、もう3年も前になる話を持ち出したせいで寝た子を起こすようなことになりやしないかと心配しながら書いてるくらいには微妙なところなんですよね。知らんけど。
(どこかの黄色いアラサー既婚女のnoteで「高尾奏音生誕祭の一件について語るのはピンク推しに譲る」と書かれていたスルーパスを数年越しに受け取った形)(でもほんとにこの件は難しい)

3周年ライブ\( 'ω')/ヘーイの件

 2017年の12月9日、ESD最後の大舞台となったディファ有明での3周年ライブがありました。
 ドリーマーのフォロワー各位は覚えているかもなと思うんですが、このライブのときに自分相当「ライブ始まって最初の挨拶、みなさん一緒に\( 'ω')/ヘーイをしましょう」という旨を全来場者宛くらいの勢いで触れ回ったんですね。あれもそういえば書き記してなかったなと思い。

 もちろん、当時のんのんが「3周年ライブで史上最大の\( 'ω')/ヘーイをしたい!」と常々公言していたことが根源ではあるんですが、もうひとつ自分の中では理由がありました。
 その年の9月末に(平常時比で)やたらと動員が多いライブがあったんですが、そのときの挨拶での\( 'ω')/ヘーイ(既にこの頃には挨拶の定番になっていた)がまばらで寂しかったんです。
 最初は勝手に憤りを感じていたんですが、「いや待てよ、彼らは別に我々に敵意があるわけではないはず、単に\( 'ω')/ヘーイを知らないだけでは………?」と思い至りました。
 で、300人程度の表参道GROUNDでああなるのであれば、何も手を打たなければ1000人規模のディファでは間違いなく繰り返すし、そんな光景を見たくはないので、本番当日会場での浸透作戦に至ったというわけです。
 そういった意味ではあの(平常時比で)やたらと動員が多いライブも無駄ではなかったなと思います。 

 会場中で前説を執り行う、良くも悪くも思いっきり目立つやり方を取ったせいで終演後のツイッターで「TOぶってる奴」みたいなことを言われたりもしましたが(←見ず知らずの人だけど未だにこのこと忘れていない)、やらなければ間違いなく一生後悔していたと思うし、3周年の映像を見ると一定の効果はあったと思うので、やってよかったとずっと思ってます。
 またもし次の大規模\( 'ω')/ヘーイの機会があれば、あんな力技ではなくもっと戦略的に浸透させていきたい所存です(?)。

とにかくいろいろあったあの頃から、今に至るまで

 ESD時代、と言っても2016年12月の2周年ライブからひかのんラストライブの2018年3月までの正味1年3ヶ月ですが、楽しいことも悔しいことも経験し、とても濃密な日々を過ごしました。
 今はもうすっかり新たに増えることのなくなったチェキ帳を開けば、そんな満ち溢れた日々の1コマ1コマが鮮明に残っています。
 自分は写真に映ることがすごく苦手で、人生の中でそうそう写真に映ること、そしてその写真を残すことがなかったので、生涯で一番写真を撮った時期でもあります。
 時折そのチェキの数々を見返すと、ありえんくらい幸せそうな自分の姿があり、なんだか我ながら微笑ましくなります。

 2018年4月、声優マネジメント事業から撤退するアース・スターを後にし、「養成所でゼロからやり直す」という宣言があってからというもの、それまでのような2ショットのチェキが撮れる機会は一切無くなってしまいました。
 でも、その先に続く真っ当な声優としてのキャリアは、それを補って余りあるほど輝きに満ちたものとなっています。
 「養成所でゼロから」と言いながらその年の夏にいきなりメインキャラを張った(上なぜか実況がめちゃくちゃ盛り上がった)『百錬覇王』を皮切りに、リンク・プランへの所属と同時期に発表されたあの『艦これ』の人気キャラ、『マギアレコード』のメインシナリオを担うキャラに2019年夏の主役級2枚看板、そして『このすば』『ていぼう』に『IDOLY PRIDE』………

 本当に、こうして振り返ってみても想像を超えるような毎日のなかにいるんだなと思います。
 Twitterに潜ってみても、ゴトランドやアイリス、陽渚らCVを務めるキャラのアイコンをしている人がたくさんいます。
 そんな光景、3年前には想像もしていませんでした。
 今まさに、#teiboのハッシュタグをつけてのんのんが演じるキャラについてツイートしている人がたくさんいます。いろんなところから画像が流れてきます。
 この光景も、まさかこんなに早く目にすることができるとは。
 かつて、一度は完結したアイドルとしての姿が、もう一度「星見プロ・白石千紗役」としてより進化して蘇って。目一杯思いの込められた衣装に身を包み、先端技術の結晶のようなステージで優雅に舞い踊るのをこうして見られるなんて…………

 本当に、応援している身としては冥利に尽きるところです。
 でも、これすらもまだ序章に過ぎない、そんな気がしてなりません。これから、きっともっとすごいところまで行ってくれるんじゃないかと、そう期待せずにはいられません。
 18歳を迎え、かつて散々悩まされ続け、時に途中退場さえ強いられた時間制限とも今日を以ていよいよおさらばです。(20時制限は「15歳を迎えて最初の3/31まで」ですが、22時制限は18歳になった段階で解消とのこと。)
 そして高校生活も残すところあと半年。
 一人前の大人として、次のステップを踏み出す時が刻一刻と迫っています。そして、そこから先こそがキャリアの本番となることでしょう。
 もっともっと、活躍する姿を期待したいです。

おわりに ちょっと気は早いけど、2022年9月10日を夢想する

 2002年9月10日生まれの高尾奏音さんは、2022年9月10日に20歳の誕生日を迎えます。
 奇しくも、その日は土曜日。かつて「高尾奏音生誕祭」が行われた15歳の誕生日・2017年9月10日以来となる、週末で迎える誕生日となります。
(2018年→月曜、2019年→火曜、2020年→木曜、2021年→金曜)

 今から丸2年後、もし大学に進学するとしたら大2の時期です。
 これは完全に願望なんですが、高校卒業以降更に活躍の場をどんどん広げてファンもたっくさん増え、この20歳の誕生日に満を持してソロイベント………なんて、ドラマみたいなシチュエーションじゃあありませんか。
 その頃には世の中もイベントが開けるくらいには秩序を取り戻していることでしょう。

 18歳になったそばから20歳の誕生日の心配をするなんて鬼が笑うどころの話じゃないですが。
 でもきっと、そんな未来だって十分にありえるんじゃないかなと思います。2年後、楽しみだな!!!!!!!
 そのときにはまた史上最大の\( 'ω')/ヘーイしような!!!!!!!

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