アイドルとプライド

ディエゴ・マラドーナが永遠の存在となった、象徴的な週です。

今、幕張はアパホテルの高層階に泊まっています。
IDOLY PRIDEのライブがあるからと前乗りして、同じく近くに前乗りしたオタクと決起集会(総勢2名)を行い、アルコールで最高にハイになってからの大浴場でライブを翌日に控えながら早くも優勝を手中に収めたところです。

アルコールで最高にハイになったまま、高層階に泊まって位置エネルギーが高いまま、今のテンションを書き残しておこうと思いこんな時間に持ってきているChromebookをおもむろに開いた次第。
(そんなわけなのであとから見返したらめっちゃくちゃ恥ずかしいタイプの文章だと思う。(ラストまで書き終えたあとこの辺に戻ってきて書いているのでここの括弧内がこの文章内で最後に書いた箇所になります)現在進行系で黒歴史を創造しており辛くなってきた)

日付が変わって今日、我らが高尾奏音さんが、実に2018年春のひかのんラストライブぶりに、本格的なライブのステージに立ちます。
この日をどれだけ待ったことか、というのを表すには、言葉では足りません。
少なくとも、自分にとってのこの2020年は明日という日のためにあったのではないか、とさっき風呂で体洗ってるときに思い至ったんですが、その程度には明日が楽しみです。

さて、IDOLY PRIDEというタイトル。
読んで字の如く、「アイドル」という言葉が含まれています。
高尾奏音さんも以前は「声優アイドルユニット」に所属しており、名実ともに彼女は(日本での一般的な字義通りの)アイドルという身分を背負って活動していました。
が、高校に入ってからは、「声優」としての活動がメインとなりました。
かつてのいわゆるアイドル的活動は鳴りを潜め、その代わりとしてたくさんいいアニメ作品に出演し、ひとつひとつ、歴史に名を刻んできたのです。
そんな中で迎えたのがこのIDOLY PRIDE。
かつてのような姿と、そしてこの3年で確かに歩みを進めてきた姿と。
そのふたつを身に纏い、きっと明日は素敵な時間を作り上げてくれることでしょう。

話は急に変わって。
冒頭で触れたサッカー界の永遠のスーパースター、ディエゴ・マラドーナの急逝には、世界各国、各界の著名人たちからその旅立ちを惜しむ声が寄せられました。
そんなコメントの数々を見かけた方もいらっしゃるでしょうか。
それらの中で、(とりわけ日本以外の方から)このような言い回しが数多く見られました。

 「彼は私の永遠のアイドルだ」

ここでの「アイドル」は、ステージに上がり歌って踊る存在のことを指すのではありません。
「スーパースター」「ヒーロー」「憧れの存在」「尊敬する人」「心のなかでいつも輝いている人」………そんな意味だと捉えられるのではないでしょうか。
ここまで話題に上げておきつつ全然マラドーナは関係ないんですが、そんな言い回しを見て、自分にとっての高尾奏音さんは、そういった意味でも「アイドル」であることだなあとふと気づきました。

小学校のころから声優アイドルとして活動を繰り広げ、ユニット活動休止、事務所爆散、移籍からそして今に至るまで、楽しいこともあれば当然辛いことも悲しいこともあったでしょう。
我々一般人の想像を遥かに超える苦労や痛みもあったことでしょう。
こちらからは100%どころか10%、5%ぽっちもそんなところは見えてないんだろうなと思います。
それでも前へ進んできた彼女は、明日、幕張イベントホールなんていう、大きな大きな舞台に立ちます。
この業界、そんなにも立派な舞台に立てる人はごくごく一握りです。
ましてこの未曾有の事態、そうした道を志そうとして志し続けられる人だって、そう多くはありません。それこそ、我々のかつての仲間がもうまもなく舞台を降りるように。(今日だっても、残念ながらある惜しい人が芸能の道を外れるというご報告を幕張までの道中に聞いたくらいです。悲しみキャリブレーション、ひつじのショーン。)

「胸の奥に刺さった切なさは痛いけど」、こうして明日という日を迎えられる幸せは、本当に心から噛み締めていかねばなるまいと思うのです。
同時に、いろいろ乗り越えてここまで来れたこと、そしてこれから先を切り開いていく資格を持ってIDOLY PRIDEの始まりの地に立てるということは、こんな世の中だからこそ、精一杯誇っていきたいと思うのです。

そんなわけで。

明日、俺の"アイドル"が、辿り着いたでっかいステージに立ちます。

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