あいみゅう現場ことはじめ上巻 〜届けられない声に替え、クラップに包まれてあれ〜

\( 'ω')/ヘーイ
6/13からワンマンツアーも大入満員の中で始まり、いよいよ3周年に向けての雰囲気になってきた今日この頃のあいみゅう。
なんだかんだでデビュー当初から見続けてきた自分としても現場歴がもうすぐ3年ということになるので、ワンマンツアーに合わせてここらで温故知新の視点での記事を書いていこうと思います。

あいみゅうの存在を知ったのは2021年の初夏、オーディションの告知の頃でした。
8月のみなとみらいブロンテでのデビュー当日はあいにく見ることができず、初めて見たのは2日目のライブとなる所沢航空公園での野外対バンだったのを今でもよく覚えています。
今でこそ声出しが当たり前の環境が戻ってきて久しいですが、当時はまだ声を出すなんてとてもできないような状況でした。国内のいろいろな興行も、席数の50%かつ上限1万人のような制限がかかった中での開催だった頃のはずです。
コロナ自体の先行きも不透明でようやくワクチン接種が開始された中、イベントに行けるだけでもありがたく、声出しも何年先に実現するか、そもそもいつかできるようになるのかすらもわからないような見通しの中でのデビューだったと言えるでしょう。
(余談ですが、デビュー初日に見に行けなかったのは初のワクチン接種の副反応で寝込んでいたからで、いきなり所沢まで見に行っているのは決して最初からモチベーションが高かったわけではなく一晩寝たらケロッとよくなったので動けなくてウズウズしてた分も含めてドライブがてら飛び出していっただけです。そんな時期でした)

当初はアイドル方面やアニメ方面からWicky. Recordingsを知っている層、メンバーの前世からのオタクあたりがちらほら訪れていましたが、それでもあいみゅう目当ての来客は毎回総勢10名前後いるかいないかだったように覚えています。
デビューしたての頃はまだ1〜2週に1回ライブに出る程度で今よりイベントの頻度が低く、かつ9月に差し掛かる頃にはコロナ感染者が出て1ヶ月近く活動休止になってしまうなど、必ずしも順風満帆とはいかない駆け出しでした。

事務所初めてのアイドル運営ということもありいろいろなことが手探りの中で進んでいく一方で、ファン同士の繋がりも徐々に醸成されていきました。
おおよそ10月ごろまでには最初期ふぁんみゅうの塊ができはじめ、対バンに臨むのにもある程度の仲間意識のもとで固まれるようになっていきます。
この頃、フロアでできることと言えば振りコピ・クラップ、ペンラふりふりくらいのものでしたが、それらを地道にやっていくほかなかったので、特に個人的にはクラップはしっかり入れていこうとしていました。
フロアを少しでも盛り上げ、見向きだけでもしてもらおうとするにはそれ以外の道はなかったので、たとえ自分たちの人数がいかに少なかろうと、しっかりと勇気を持ってそこはやっていこうという意思のもとで少数精鋭、孤軍奮闘していた時期です。
10月末には椿の生誕で初の生誕ライブが催されたほか初のオフ会的イベントとなったハロウィンイベントも実施され、その後11月初頭には1stE.P.発売記念の1週間毎日リリイベがありました。
特にリリイベでは平日18時スタートの回で総勢4、5名くらいしか集まらないような過酷な回なんてものもあり、途中到着して正直いたたまれないような、辛いような気持ちでいっぱいになりながらも何食わぬ顔でクラップ入れまくったのは今でも忘れられません。(流石に以降はそんなスケジュールが組まれることも無くなりました)

そうこうしているうちにクラップをちゃんと入れるのが現場の確固たる方向性になっていき、周りのグループと比較してちょっとした差が付けられるところまでまとまりが出てきたように思いますが、それを決定付けたのが新衣装お披露目のタイミングでした。
最近の主催ライブでたまに初期SEが流れますが、そこからもわかる通り現行のSEは初年度の12月ごろにできて以来使われ続けている2代目なんですよね。
このSEができた際、個人的には「あ、武器授けてくれたありがてえ」という感想だったんですが、そこまでで作られてきた「しっかりクラップ入れる」現場のやり方とSEの曲調がマッチして、対バンであいみゅうのターンになった時に1曲目が始まる前の段階から周囲の耳目を集める効果が強まったと感じます。
それ以来今まで一貫してこちらのSEが使われ続けていること、つまり少なくとも変える必要はないと判断されているであろうことがその裏付けだと勝手に思っています。(あくまで勝手に)

そのあたりから主催ツーマンが開かれるようになり、今に至るまで交流が続くきゅるして、ハニスパあたりとの接点が生まれることとなります。
いずれもWickyが楽曲提供している縁から実現した言わば上方婚ツーマンで、こうした対バンが実現するのは非常にありがたいことです。
特にコロナ禍遥か前からの長い歴史と実績を持つユニットであるハニスパのフロアの完成度に学ぶ部分は非常に大きく、あいみゅうのフロアの形成・発展に大変大きな影響があったと言えます。「ふぁんみゅうハニスパ部」が自然形成されて一時期はハニスパ各メンバーに1人ずつ推してるふぁんみゅうがいるくらい深い交流になっていましたし、そこで勉強させてもらうこともたくさんあったので。(なので、昔ハニスパのワンマンを見に行った渋谷ストリームホールで今度はあいみゅうがワンマンをやるというのは非常に感慨深いものでもある)

そんな流れで迎えた22年は、デビューを飾った地であるみなとみらいブロンテで1stワンマンを成功させ、フロアの方もいい雰囲気で成長していきました。
未だ声出しができないままクラップの練度も上がり、この頃のライブでメンバーに「今日は舞台袖からたくさんクラップが聞こえるからさぞいっぱいの人が来ているのかと期待したら普段のお前らしかいない」みたいなぬか喜びをさせるレベルまでクラップの大きさが育っていく、「ハンドクリームを塗ったらクラップ音が大きくなるのでハンドクリームはドーピングアイテム」という言説が出回るなど、謎の文化が花開く境地に至りました。
ここまで「クラップが大きい」という特徴が伸びてきたことでひとつ効果的だったのが、「あえて後方で集団でクラップすることで、実態以上にフロアの勢力を大きく見せる」戦術です。
基本的に対バンの来客はステージに顔を向けている状態が当たり前で、よっぽど知り合いでもいない限り後ろを向いたまま過ごすことはないでしょう。そんな中で、それまでのグループにないほどの大きな音が後ろから聞こえてきたらさぞ人数も集まって人気のあるグループに思わせることが可能だろう、と仮説を立てて、意図して仕掛けていた時期がありました。前にいたオタクを振り向かせた回数は数えられないほど。それだけインパクトは与えられたかと思っています。
それが結果として本当に集客に繋がるかどうかの答えはわかりっこありませんが、それでもフロアがし〜んとしているよりは遥かに印象深いだろうというのは論を俟たないところです。

このように、22年前半まではクラップ文化が全盛。
その集大成が7月に豊洲PITで行った主催ライブのWicky FESだったと言えるでしょう。
約1000人を集めての入場SE時の盛り上がりは今でも1、2を争うほどのものでした。


ということで今回は声出し解禁までの「クラップ現場としてのあいみゅう」のお話で一区切りとし、次は声出し可能になってから今に至るまでのお話です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?