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躁のワタシ

ライブの翌日は、夢と現実との差に心が追いつかず、生きる希望を見失いがちなので、今回も不安に感じていたが、割と平気でいることができた。
理由は1つ。
「躁」だから。
躁のワタシは、常にスケジュール帳が黒で埋まるほどの予定を抱えているのだが、今日も来月行われる某フェスティバルに参戦する、という黒を埋めた。

生きる理由を自らつくることができる(それほどの余力がある)という面で、躁のワタシは生きやすい。
が、金銭面の感覚がバグを起こす。
将来のために貯めることが必要なのだが、今は生きる理由をつくることの嬉しさや楽しさの方が勝るために、躁のワタシが生きている限りはとことん遊んでやろうと、いう考えに至る。

先日拝読した SUPER BEAVER 渋谷龍太 「吹けば飛ぶよな男だが」にも、「その時期にしか得られないものがあるから、為になるなら遊ぶべきだ」といった内容が書かれていたことを思い出したので、余計にワタシの意思は固くなる一方だ。

いずれ(毎年の統計によると来月)躁のワタシが死に至り、鬱のワタシに蘇ることになる。その時ほんの一瞬でも「生きることも悪くない」と思えるように、生きている間の思い出を少しでも多く心に蓄えておきたいと、そう思うのだ。

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