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ティッシュにまるっと愛情ぎゅぎゅっと
優しさってなんだろう。と、考えることがある。
自分が信じている"優しさ"を相手に押し付けることは優しさと呼べるのだろうか。その人にとっての"優しさ"を繕って移した行動は、本当に優しさなのだろうか。
「働きたくはないが車が欲しい」と言ってくる人に車をプレゼントする人。汗水流して働き、一生懸命貯めたお金で買うことに意味があると諭す人。優しさの基準や価値は人の数だけあるのだろう。
祖父を思い出す。「お小遣い」と一言、ティッシュにくるめた三つ折りのお金をよく渡された。差し出す祖父の手は大きくて、幾つものシワがあった。何十年と、働いてきた証なのだなと大人になってから気づいたが、当時の私にも祖父の優しさや愛情が詰まりきらない程に詰まったティッシュの有り難さくらいは、わかったつもりでいた。
人の過去をいちいち見ることができたのなら、人に優しくすることができるのかもしれないが、それは悪魔で同情なのかもしれない。だとしたら、それは優しさではないのだ。
やっぱりワタシは、自分の信じた優しさを自分の生き様で届けたいし、優しさの中にティッシュでくるめた愛情をぎゅっと詰め込みたい。
それが出来る頃にはワタシの手はシワシワになっているのだろうか。
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