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MyStory『無我夢中人#006』 ジュエリーデザイナー 谷口堅一郎(その1) 「何も持たずに飛び出した青春時代」、「手に職をつけて勝負した青年時代」

世界でひとつの想いを、
世界でひとつのリングに添えて

3月11日放送のゲストは、ジュエリーデザイナーの谷口堅一郎さん。昨年6月に愛媛県松山市にジュエリーショップ「here to stay」をオープン。白を基調としたスタイリッシュなインテリアの店内に陳列している商品は数えるほどしかない。ここは、カスタムメイドのジュエリーショップ。お客さまの要望を聞きながら、一から一緒につくっていく、どちらかと言えば「工房」だ。大切な想いが詰まった、世界でひとつだけのリングを仕立てていく。まさに『人の想い』をカタチにしていく谷口さんの人生観を覗いてみた。

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デザイン、素材選び、製作まで一緒につくり上げていくカスタムメイド(オーダーメイド)ジュエリーは、松山のような地方都市では少し珍しい。代表の谷口さんは、福井県出身。縁もゆかりも無い松山で最初のお店を出した。穏やかな口調で淡々と語る谷口さんだが、ライフストーリーはとても興味深い。

思春期真っ只中の中3の時、不登校になった谷口さんを支えたのは音楽だった。

不登校になった谷口さんにとって音楽だけが心の拠り所だった。正体の見えない「怒り」「不満」「苛立ち」。全てを音楽にぶつけていた。高校卒業後、一度は就職するも、ミュージシャンを目指して何も持たずに東京へ。地方都市から「大都会、東京」への憧れを抱いてチャレンジするというのは、昭和的な発想かも知れないが、実際、多くの若者たちがそうであった。「一花咲かせる」という根拠の無い自信と熱い思いが当時の社会を動かす原動力だったのかも知れない。ところが、3ヶ月で挫折して、福井にトンボ返りしてしまう。不安を抱え漠然と過ごしていた頃、たまたま、見つけたジュエリーデザイナーの求人に「儲かるかも」「モテるかも」という、よこしまな考えで就職。一からジュエリーについて学ぶも、厳しい師匠との毎日は、辛いものだったと言う。それでも、6年勤めて一人前になった。

手に職をつけて、東京へリベンジ

特別な記念に、人はジュエリーを贈り、受け取る。そんな大切な「気持ち」を伝えるジュエリーに作り手も想いを乗せる。

谷口さんは、東京で全国的にも名の通ったジュエリー会社で13年働いた。宝飾職人として多忙を極める中、顧客の顔を見ることの無い分業システムに疑問もあった。自分がつくるリングが「どう言う想い」で発注されたのかさえ分からないまま、黙々と製作し続けることに悶々としていた。時折、送られてくるお客さまからの感謝の手紙に感激して涙することもあった。

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お客さまと向き合って、一緒に大切なジュエリーをつくっていきたい

番組では、谷口さんのジュエリーに対する想いや、今後の夢などを赤裸々に語ってくださっています。3月11日と18日、2週に渡って放送いたします。ぜひ、お聴きください。

『My Story 〜無我夢中人〜』 
 2021.03.11&18/21:30-22:00 on FM愛媛
【パーソナリティ】西城戸淳平/遠山恭輔
【ゲスト】ジュエリーデザイナー 谷口堅一郎

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