「芙美湖葬送」③-死の朝

思い出したくもないが、その朝である。

夜明けから、急に気温が下がりはじめた。

明け方には霧が病院全体を覆っていた。乳白色の霧が陰湿な病院の外壁を少しだけロマンテイックに塗り替えている。

 私が立っている最上階の病棟洗面所からは、普段は付属看護学校棟が見えるのに、その朝は、何も見えなかった。

 

 明け方まで妻の傍らで寝息を伺っていた。いつもより静かになっている。カテーテルの尿も赤みがうすくなくっている。それだけ腎臓や膀胱からの出血が少なくなったのだろう。なんとなく、良くなっているような気がする。私は洗面所に洗顔に出る。途端に看護師からマイクで呼び出しが掛かった。すぐ部屋にお戻りください。なんだろう。私は駐車場を見る。

昨夜はあれほどハッキリ見えた駐車場も霧の中で霞んでいる。その中の一台で、娘の琳子夫婦が仮眠を取っているだろう。

 一瞬妻は、死んだのだなと思った。そんなわけはない。寝息が安定していた。出血量も少なくなっている。だから洗面所に来た。その瞬間看護師から呼び出された。なぜだ。何かの間違いだろう。看護師も徹夜している。寝惚けているのであろう。そんな確信に近い想いがあった。

でも、ひょっとして妻の命が・・・

 そのことを、娘夫婦に報せなければならない。なのにわたしの足は、看護師の呼び出しを聞いた瞬間から、洗面室の床に凍り付いたままになっている。脚を動かそうとしても力が入らない。

行くな、と何かが脚を抑え込んでいる。いけば妻の死を確認しなければならなくなる。それが怖い。したくない。

だいいちそんなわけがない。何かの間違いだ。

寝惚けた看護師が患者を間違えたのだ。

妻は本当に死んだかもしれない。いや、そんな馬鹿なことががあるものか。

 遅かれ早かれ、こんな瞬間が来ることは覚悟してきた。たぶん時間の問題だ。覚悟だけはしておこう。そう思い続けてきた。しかし現実を突きつけられると心が萎えた。何らかの手違いだといい聞かせた。

それなりに心の準備はしてきた。

 何故今なのか。

 洗面所に来る前に妻は、安らかな寝息を立てていた。久しぶりに落ち着いた呼吸である。記憶する限り、個室に移され、面会謝絶の札がつけられてから、最も安定した呼吸だった。なのに、看護師からマイクで呼び出された。

 他の患者の付添人だろう。妻は呼吸も安定している。何かの間違いだ。それでも、やはり駐車場の娘夫婦に知らせなければならないと焦った。

なぜ知らせる必要があるのか。死んでもいないのに。でもあの看護師の呼び出しは何だ。のっぴきならぬ事態が進行していることは間違いない。そんな確信に近い思いがあるのに、なぜか足が動かない。

 来るべきものが来ることは覚悟してきた。にも関わらず私には、緊迫した感情はなかった。他人事のように思える。よくあることだ。間違いだ。看護婦も疲れている。

妹が死んだ時もそう思った。伊敷の引揚者寮で妹は死んだ。その死にざまに立ち会ったのは私である。いきなり宙に腕を突上げるようにした。なにをとりたかったのだろう。指先に隣家に小さな鯉のぼりが見えた。そうかお腹が空いているのか。

引揚者寮になっている陸軍兵舎の寒い窓から小さな鯉のぼりがみえる。それを掴むように妹は腕をつきだしていた。妻の死とは何の関係もないそんな風景を思い出していた。

 相変わらず脚は床に吸いついたままだ。

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満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。