見出し画像

小説「芙美湖葬送」⑥

守護神が殺し屋に変わる自己免疫疾患

芙美湖が難病と診断されたのは東京から千葉に転居して二年経った頃だ。芙美湖は千葉への転居を嫌がった。東京の経堂は便利だし新宿や渋谷へも簡単に出られる。もう何年も住んでいるから街に馴染んでいる。しかし借家だからいずれは出てゆかねばならない。そんな時に千葉の住宅団地があたった。見晴らしの良い戸建てである。好きな房総にも近い。

そんなことから強引に引っ越した。土地は広いし空気もいい。でも不便だった。それまで通っていた青山の伊藤病院には一人では通えない。仕方ないから私が暇を見つけて車で送り迎えした。病弱な芙美湖への私なりの心配りである。でもしばらくしてそれもできなくなった。負担が大きいのだ。

仕方なく千葉大学病院内分泌科へ転院した。そのころからだんだん体調が悪くなった。それまで掛かっていたのは甲状腺疾患では全国的に名の通った専門病院である。

千葉大内分泌科でも丁重に扱ってくれたが、それも有名な専門病院からの転院患者だったからだろう。それまでの服薬が徹底的に調べられた。さまざまな検査をされた。これは何の薬だときかれた。分からないと答えると不機嫌になった。結果的にはそれまでと真逆の薬が処方された。ステロイドである。

ここから先は

2,298字
まずは単品で100円から。徐々に200円。月極めで500円と上げて行く。期間限定もある。いまはにコロナ追放キャンペーン期間中につき、無料です。 読んでください。拡散お願いします。 若者の自殺が多い。86歳の私も死を思ったことがある。友人に誘われて二回自殺を試みたが失敗。記念に左腕を火箸で焼いた。今もやけど跡は残っている。 確かに人生は辛い。でも生き抜く価はある。体験的実感です。生き抜くために「死ぬ準備」をしよう。紙?鉛筆?ボイスメモ?なんでもいい。生き抜く力になる。

生きるとは死ぬことである。死ぬために生きている。計画では95歳まで生きる。理由は母親が100歳まで生きたから。男のおれは女性に敬意を表して…

満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。