売り上げとゆとりが両立できる環境作りに取り組んだ福祉実践の4年間【後編】
こんにちは、左足の靴紐ばかりほどけるムーディです。きつく結んでもダメダメやで。
4年間。私は障害者福祉の「就労継続支援」世界に身を置いた。その中でも
・「日本最古の精神障害者福祉工場」
・「年商1億円」
という特殊性のある作業所の中で4年間、「支援員」と言われるものをやってきた。
主に私が注力したものは「売り上げとゆとりの両立ができる環境作り」。
私が力を入れたのは、「対人支援」ではなく、「環境作り」であった。
▼売り上げとゆとりが両立できる環境作りに取り組んだ福祉実践の4年間【前編】
前編では、私が入社したてのピネルがどんな状態であったかをまとめた。
「いかに社会的自立ができるだけの売り上げシステムを作るか」を
全国の作業所がどこもそれを模索している中、ピネルは先に社会的自立ができるだけの売り上げシステムを作り出し、
「社会的自立ができるだけの売り上げを確保しながら、いかにゆとりを作り出すか」という、
次のフェーズへと突入した。
仕事量の抑制と売り上げのバランス調整。売り上げ、賃金を落とさずにいかに仕事量を減らすか。
私のピネルでのミッションはここを追求し、環境として大きく変化を与えることであった。
1.ゆとりをつくろうとする前に、持たなければいけない両輪の考え
(1)ゆとりの効果とは
福祉現場では至るところでゆとりが大事だと言われる。就労継続支援でいうならば、大雑把に以下の理由から、大事とされる。
==========
○職員目線
・ひとり一人と向き合う時間を大事にできる
・職員同士の連携がしやすい(ゆとりがないとおろそかになる)
・「ものを売る」ということに関して抱えている課題にしっかり向き合うことができる
○メンバー視点
・仕事に対するプレッシャーやストレスが減る
・失敗できる余裕ができる(チャレンジができやすくなる)
・休日も豊かに過ごすことができる
・仕事の負担が減り、働く時間を延ばすことができる(結果的に全体の売り上げはあがり、賃金もあがる)
========
職員視点では、主に「ひとり一人と向き合う時間を大事にできる」ことにより、支援の質の向上に繋げることができる。
そんな認識があった。
(2)「ゆとりがあれば支援の質は向上する」が、「ゆとりを改善しない限り、支援の質は向上しない」ではない
確かにゆとりがあれば、支援のことを考える時間が増えるために、
「ゆとりがあれば、支援の質が向上する」となるのも正解である。
しかし、こうなると
「ゆとりをまず改善しないかぎり、支援の質は向上できない」
と考えてしまう人がいる。
決して、そうではない。
この発言ができる人は、そもそも「私は支援者としてパーフェクト」と自信をもって言える人か、「自分ができている」と思い込んでいる傲慢な人である。
そもそも、ゆとりが仮にできた場合、完璧に支援ができているかは別問題。個々のスキルの話もそうだし、そもそものマインドとして怪しい人も多い。
(3)両輪の考え
前提として、もし「ゆとりをつくることで支援の質向上を狙いたい!」と考えるなら、
①ゆとりをつくる工夫
②ゆとりがない状態の中で今より支援の質の向上を図る工夫
の両輪で常に自身の置かれている状態を見る必要がある。
つまり、ゆとりをつくろうとする前に考えなければいけないこと。
それは、
「支援ができていない」、「支援の質が低い」のは、ゆとりだけでなく、自身のマインドやスキルが低いことにも目をしっかり向けなければならないということ。
自分の実践を疑うことは忘れずに。
(ゆとりをつくることで支援の質を向上させよう政策をすると、「ゆとりがないからできません」と言い訳だけする人が出てくる可能性があるので注意。)
2.売り上げを落とさずに、どうゆとりをつくったのか
ここからは実際に「売り上げを落とさずに、どうゆとりをつくったのか」にて、どのようなことに取り組んだかを書いていく。売り上げを落とさずに、どうゆとりをつくったのか。
2-1.「○○さんしかできない仕事」を減らす
(1)クリーニング部門別の人員構成変化による、オールラウンダー増やす作戦
ゆとりをつくるために取り組んだことその1。
それは「○○さんしかできない仕事」を減らしたことである。
具体的にはクリーニング部門別の人員構成を変化させたことである。
もっと、具体的に言えば、部門別の人員を一部シャッフルをすることによって、
・各々のできるクリーニング業務の幅を広げる
・部門別の縦割りをなくし、部門別に納期が厳しいところに助っ人を入れやすくすること
を狙った。
「〇〇さんしかできない仕事」というものを減らしていくこと、または「いろいろな仕事ができる〇〇さん」をたくさん生み出すことでゆとりを作り出そうとした。
なぜ「〇〇さんしかできない仕事」というものを減らしていくこと、そして「いろいろな仕事ができる〇〇さん」をたくさん生み出すことでゆとりを作り出せるか。
ピネルで行うクリーニング業務は連携プレーの連続。
ピネルが行うリネンサプライは
(1)洗濯物(不潔品)の回収、集荷
↓
(2)洗濯物の仕分け
↓
(3)洗濯をする
↓
(4)仕上げる
↓
(5)納品に行く
そしてまた(1)に戻るという形でまわっていく。
工程の中にもいろいろな役割があり、1人だけでは成り立たない仕事。だからこそ、全員で1つの仕事を遂行させるということが必要なのだ。
しかし、「〇〇さんしかできない仕事」というものが多ければ多いほど、仕事の工程で1人仕事が生まれてくる。
仕事の1人仕事化が進めば進むほどは縦割りになっていく。縦割りであればあるほど、手が余っている人がいても「あの仕事はできないから手伝えない」ということになる。
いざ、納期ギリギリでみんなで助け合けあわないといけないときに、ヘルプに入ってくれる人がいない、しんどい状況を作り出してしまうのだ。
しかも、ピネルは毎日納品に追われるぐらいの取引先を持っている。
「〇〇さんしかできない仕事」が多ければ多いほど、
「しんどいから休みたいけど、この仕事できる人少ないから抜けたら迷惑かけちゃう」
としんどいのに頑張らざるならない状況を作り出したり(それがプレッシャーになったり)、
そしてしんどくて抜けてしまったときに、その仕事ができる一部の人に大きな負担がかかってしまい、その負担でまた調子を崩してしまうという悪循環を生みだしてしまうことも。
そうなったときに結果、安定して仕事できる人に大きな負担が積み重なり、
「あの人が休むと私がしんどくなる」という感情を生み出し、職場の雰囲気も悪くなる・・・
という悪循環を生む。
でも、逆に言えば、「〇〇さんしかできない仕事」を減らすこと、つまり「いろいろな仕事ができる〇〇さん」を増やすことによって、縦割り仕事、1人仕事は解消される。
「アイロンができるのはAさん」という状態から
「アイロンができるのはAさん、Bさん、Cさん」という状態を作り出す。
部門関係なく、納期で急がないといけない仕事に対してみんなで助け合うことができる。
自分が休んでも納期に余裕を持って間に合うことを作り出すことで、調子を崩したときに安心して休憩や早退をすることができるようになる。
いつでもしんどくなっても休むことができる、またはいざ納期が迫ってきてもみんなで余裕を持って納期に間に合わせることができるという事実がプレッシャーを減らすことができるのである。
ゆとりは単に仕事量を減らすのみならず、人員構成の変化で生み出すこともできる場合もある。そのためにも、「○○さんしかできない仕事」を減らしていくということが、結果ゆとりを生み出すことになる。
(2)「障害者=1つの仕事を職人のごとく集中してやる」という考えが生み出す弊害
「○○さんしかできない仕事を減らす」
これは決して、1つの仕事しかできない人を否定しているのではない。
そして、「個性にあわせた仕事」を否定しているわけでもない。
ただ、障害者福祉の世界でこの「オールラウンダーに仕事を覚える」ことはあまり語られず、「障害者=1つの仕事を職人のごとく集中してやる」ということばかり強調されるように思えてしまうのだ。
または、そのような固定観念があるように思える。
僕はこの固定観念がどこか、職員と言われる人もメンバーと言われる人も。
自他共に可能性を閉ざしてしまっているように感じる。
中には、本当に1つの仕事しかできない人もいる。
けど、本当はいろいろな仕事ができる素質があるにも関わらず、チャンスをもらえない故に「自分にはできない」と思い込んで1つの仕事しかしていない人もいるように思うのだ。
実際に私が関わったYさん。この人は2年間同じ仕事をずっとしていた。会話のキャッチボールが苦手な障害があり、且つ不器用であったYさんは新しい仕事を教えてもすぐにできなかった。
多くの職員はYさんに新しい仕事を教えることを諦め、同じ仕事だけを任せていた。そして、「この仕事はYさんが得意だから」とプラスな言葉に変換していた。
しかし、僕がじっくりそのYさんにいろいろな方法で新たな仕事を教えた結果、Yさんは新たな仕事ができるようになったのだ。
単純にYさんが1つの仕事しかできなかったのではなく、仕事を教える立場の人が「どうやったら理解できるか、教えることができるか、できるようになるか」を試行錯誤していなかっただけなのだった。
「1つの仕事を職人のごとく集中してやる」
「個性にあわせた仕事」
これらの言葉を盾にして、試行錯誤しない現状が、実は全国の福祉現場であるように思うのだ。
言い換えれば、個人と向き合えている気になっているだけで、勝手にその人の可能性を決めてしまっている現状があるようにも思う。
またはメンバー本人もそのような人に囲まれることで
「俺には無理や」「私には無理や」
と自分で自分の可能性を閉ざしてしまっている可能性が高い。
(3)その人の可能性を疑い、その人の可能性を信じる。
「その人にしかできない職人仕事」と「この人はこの仕事しかできないと決めつけること」は全然違う。
周りの人はもちろんのこと、仕事に取り組む人自身も自分の可能性を信して、いろいろな仕事にチャレンジしていく。
同じタオルを畳む仕事でもその人のやり方、個性はでる。
「『アイロンをかける』と言えばあの人!」というのは大事にしつつ、
でも「多くの仕事ができるのがいい!」というわけでもなく。
その人の可能性を見続けること。結果、それがゆとりがあり働きやすい環境をつくりだす。
人との関わりを大事にしている福祉実践者なら。
その人の可能性を疑い、その人の可能性を信じる。
ここは常に忘れてはいけないと思う。
2-2.一人のニーズからオーダーメイドに場をつくる~環境的視点を持つこと~
ゆとりをつくるために取り組んだことその2。
それは全体のニーズを環境に落とし込むのではなく、一人のニーズを深掘りし、環境に落とし込んでいくということ。
これによってゆとりが生まれた。
「ゆとりある場を考える」
働く場は、多くは複数人の人から構成される場である。
ゆとりある場を考えたとき、そこには複数人が一致する「ゆとりある場」が大雑把には存在する。
しかし、万人にゆとりある場を大雑把につくり出せたとしても、1人ひとりのゆとりがない原因をしっかり解決できているとは限らない。
広い視点で多くの人に共通してゆとりがある環境をつくっても、個々の「ゆとりがない」原因の解決に向き合えているとは限らないからだ。
1人のゆとりがない原因を追及する。そして、環境的視点によって解決する。1人のために環境を変えるというところまで落とし込む。
私の実践例を元にこのことを述べていきたい。
(1)昼寝が出来ずに調子を崩すAさん
月曜日。土曜日と日曜日という休み明けであることで洗濯物を仕上げる量が多い。よって他の曜日より仕事内容はハードになりやすい。納品の配達先も多かったり、それに伴い中で働く人の人手も少なくなりがち。
そんな中、いつも決まって月曜日の昼過ぎに調子を崩すAさんがいた。調子を崩しながらも休憩をこまめにとり、最後まで仕事をする。最後まで仕事をやりきる責任感あるAさん。しかし、月曜日の帰り際はいつも顔がしんだ状態で帰っていくAさんがいた。
月曜日は仕事がいつもより仕事がハードだから調子を崩すのか?
そんなことが頭によぎり、Aさんに聞いてみる。
すると、Aさんの答えは意外だった。
「休憩室がうるさくて昼寝できへんねん。昼寝できないと調子を崩してしまう」
(2)ピネルの休憩室の構造
①2つの休憩室
「休憩室がうるさくて昼寝できへんねん」
Aさんがそういったピネルの休憩室とはどのようなものか。
ピネルには休憩室が2つある。2つの部屋には
・冷暖房がある
・テレビがある
という共通点があるものの、2つの休憩室は性質が異なる。
○喫煙部屋
1つは喫煙部屋。冷蔵庫、電子レンジ、流し場があり、たばこを吸うことができる部屋。必然的に喫煙者はこの部屋で休憩することになる。
休憩中は話をしたり携帯をいじっている人がほとんど。テレビは大体ついていて、ワイドショーを見たり、隣の人間国宝見たり、高校野球見たりする。(勝山は野球に関心ないので話についていけない)
壁にはピネルの新聞記事や麦の郷内のイベントのチラシ、ピネルの人がバンド活動した際の新聞の取材記事があったりする。
ちなみにピネルの職員会議はここでやる。(私は誕生日席に座る。全員の顔がチェックできるので、「この人この話興味ないだろうんな」「帰りたそうににしているな」とかが丸わかりで楽しいからだ(笑))
畳ではないので、横になることはできない。寝るとするなら椅子に座りながら寝るしか手段がない。
○禁煙部屋
2つめは禁煙部屋。たばこ禁止。畳であり、布団を敷くことができるために横になることができる。
机を囲ってわちゃわちゃ話していたり、テレビをみていたり、携帯で音楽を聴いていたり、寝ている人がいたりと様々。
②まぶしくてうるさくて寝れねえ!
まあ、この2つのうち昼寝をするとするなら横になれる②の禁煙部屋になるだろう。しかし、この部屋。誰もがもちろん寝ているわけではない。テレビを見て休憩している人もいるし、楽しく話をしている人もいる。もちろん電気はついている状態。
休憩時間に楽しくおしゃべりする場がある、というのは一見良さそうにみえる。しかし、昼寝をして調子を整えている人にとっては、おしゃべりなどの音、テレビの音は昼寝をさまたげる。
ましてや電気もついている。まぶしい。睡眠をする、昼寝をするということに適した場ではない。
1人1人にあった働く場を考える。そう、働くを考えるときに切り離せないのは「休憩」であり、案外1人1人にあった「働く」は考えられることがあっても、1人1人にあった「休憩」はこぼれ落ちな考えなのかもしれない。
しかし、休憩を充実させることは単純に働くを充実させることでもあり、パフォーマンスもあがる。そのことによって、より稼ぎたい人は稼ぐことができるようになるし、より働きたいと思う人はより働くことができる環境を作り出す。
(3)睡眠部屋を作ろうぜ!
昼寝ができないことで調子を崩す。ならばどうするか。昼寝ができなくても調子を崩さないように訓練するか。別の方法を用いて調子を崩さないようにするか。または調子を崩すことを悪いこととして受け止めずにいくか・・・
ここもいろいろな考えをする人がいると思う。
でも僕が出した答えは昼寝できる環境を整えることだった。
でも、喫煙部屋には喫煙部屋の良さがある。禁煙部屋には禁煙部屋の良さがある。
この2つの部屋でどうにか昼寝できるようにすると、それまで楽しくおしゃべりしていた人やテレビを見ていた人は肩身を狭くしてしまうかもしれない。
ならば、簡単。Aさんのために第3の休憩場「睡眠部屋」を作ろうぜ!
まず、昼寝に適した場を考える。
・電気を消すことができる
・静か
・冷暖房がある
・横になれる
の4つ。この条件がある場をつくればいい。
そのとき思いついたのが当時使っていたおしぼりを袋詰めしたり、オムニマットをセットする部屋。この部屋は冷暖房が効く。
大量に積み重なったオムニマットを整理すればスペースがあく。そこにベッドを置けば寝るスペースができる。横になる場を確保。
そして、その部屋は休憩時間中は人がいなくなる。静か。そして電気を消すことができる。
休憩時間中、その部屋は私語厳禁のルールをつくる。
・電気を消すことができる
・静か
・冷暖房がある
・横になれる
4つの条件を満たした。
シーツや布団は汗をかいたらいつでも洗濯できる。完璧!睡眠部屋の完成だ!3人まで利用可能!
(4)1人の「ゆとりがない原因」を追求することで、複数人のゆとりを生み出した
Aさんは早速昼休みはここで仮眠をぐっすり取るようになった。電気を消すことができて真っ暗。そして静か。
「めちゃくちゃぐっすり寝れたわ」
顔色すっきりのAさんはそれ以来、月曜日に調子を崩さなくなった。
月曜だけではない。他の曜日も調子を崩すことが格段に減った。
そしてそして。面白いことにAさん以外もこの部屋を使う人は多く、睡眠部屋は人気の休憩スポットになった。
口には出さなかったし、ニーズと思っていなかったが、いざ睡眠に特化した休憩室が出来たことによって、
「その方が自分らしく働けるな」
と気づく人がいたのだろう。
Aさんに限らず、他の人も調子を崩すことが格段に減った。
結果、仕事を多くの人で回せるようになり(仕事を少ない人たちで回すことが少なくなり)
結果、精神的にも感覚的にもゆとりを生み出した。
1人の「どうやったらゆとりを生み出せるか」というニーズを深掘りすることで複数人のゆとりを生み出す。
更に他の1人の「どうすればゆとりができるか」というニーズに寄り添い、環境に反映させることで、さらに全体にゆとりができていくのだ。
1人のために、環境をオーダーメイドにつくっていく。
このマインドがあれば、ゆとりある場はできていく。
3.ゆとりができることによって何が変わったか
・「〇〇さんしかできない仕事」というものを減らしていくこと
・一人のニーズからオーダーメイドに場をつくる~環境的視点を持つこと~
ピネルは売り上げを落とさずにゆとりを生み出すためにこの2つに取り組んだ。そうした結果、ピネルにゆとりができた。
ゆとりができたことによってどのようなメリットがあったか。ここではこれを記していきたい。
(1)有給をとることへの心理的ハードルを大きくさげた
「自分が休んで抜けてしまっても自分の仕事はあの人もできる」
ということで心理的に有給を取りやすくなったし、有給をとって抜けても納期に余裕持ってクリアできるために「あの人が有給とると私がしんどい」と思うような人もいなく、職場の雰囲気も悪くならない。ピネルの課題だった「有給を取りにくい」という課題から、有給への心理的ハードルを大きく下げることができた。
(2) 仕事時間中に生活課題への支援や個々の悩みの相談に対応しやすくなった
クリーニング部門別の人員構成の変化により、仕事中でのゆとりも以前よりは生み出され、仕事時間中にじっくりと一緒に働いている人とのコミュニケーションをとる時間が確保されるようになった。ピネルに来ることができていない人に対してもじっくり電話で話せるようになったり、生活課題と向き合えるようになってきた。
職員同士でも仕事時間中にじっくり話し合えるようになったことも見逃せない。
雑談、どうでもいい話ができる余裕ができることで関係性がよくなる。連携がすすむ。
(3)「職員主体」から「全員主体」へ
Bさんは前まで「次はどうしたらいいですか?」「●●やっていいですか?」といちいち職員に確認をとっていた。しかし、今では職員に聞くことなく、Bさんが「次●●行くよー!」と言ってみんなに指示を出したり、みんなと相談しながら職員そっちのけで仕事をまわすようになった。
ゆとりがなかった頃は、納品を間に合わせるために仕事の順番の失敗が許されず、職員がみんなに指示していることが当たり前であった。しかし、ゆとりができたことにより、失敗してもみんなに仕事の順番を任せることができるようになり、そこから主体性が生まれ始めた。クリーニング部門別の人員構成の変化も主体性を育む手助けをした。
失敗できる余裕は挑戦できる環境を生み出し、主体性を育みやすい環境を作り出しやすい。
(4)社会運動面強化が期待
私はピネルが作業所団体の会議に参加できていないことが気になり、参加の必要性を確認。ゆとりがない中で2018年9月から作業所団体第2ブロック会議に参加し始める。ただ、第2ブロック会議が16時半からあるため、仕事の関係上行けないことがほとんどだった。行けても会議後にピネルに戻り、抜けた分の仕事を片付けなければいけなかった。
ゆとりができたことによって自分のかわりに仕事ができる人が増えたことによって、第2ブロック会議に安定して出席できるようになった。(といっても忙しくて参加できないことも多かったが)
ピネル外の情報の入手のしやすくなったり、運動面も強化されていくことが期待できた。
(5)みんなの願い「●●したい」が顕著に現れ始めた
「自身の書道の個展をひらきたい」
「古着屋さんをずっとやりたくて、一度古着を売ってみたい」
「人前でバンド演奏したい」
「高校のときにキャプテンだったサッカーやりたい」
ゆとりが出来た後、ポツポツと「●●をやってみたい」という声がみんなから出始めた。ゆとりがなく、休みを自由に取れなかったときと比べ、ゆとりが生まれたことによって、仕事時間外での仲間の活動が活発になった。もしかしたら、ゆとりが生まれたことによって余裕が生まれ、個々が自己実現へと向かい始めたのかもしれない。
「よっしゃー!やろうぜ!」
「それならあの人に聞いたら実現できるかも」
「ポポロハスマーケットの野外ステージ募集してるよ!」
「知り合いの法人と一緒にサッカーやろう!」
和歌山駅近くみその商店街にて書展の開催、
値段設定から商品の配置、仕入れまで本人がやる形でのマルシェの開催
ポポロハスマーケットの野外ステージ出演者募集にてバンド演奏の実現
他県からサッカーコーチをよんで、和歌山初のソーシャルフットボールを開催
ゆとりが生まれたことで、「みんなのやりたい」が現われ、実現しはじめた。
4.ゆとりを生み出すためのマインドとは・・・
ここまで、ゆとりを生み出すにあたっての実践とそこで大事にすべき考え、ゆとりが生まれたことによって生まれた効果を述べた。
「その人の可能性を疑い、その人の可能性を信じる。」
「1人のために、環境をオーダーメイドにつくっていく。」
ゆとりを生み出すために大事にした、先述した考え。
でも、この考えはそもそもゆとりを生み出すためにだけ必要な考えではない。
「目の前の1人としっかり時間をかけて向き合い、試行錯誤していく」という考えはそもそも、1人の人を大事に扱う「福祉」の考えの根底にあるものだと思うのだ。
前編、後編に書いた「売り上げとゆとりが両立できる環境作り」に取り組めたのは、ここを大事にできたからだと私は思う。
このピネルで行った実践はそのまま、他のゆとりを生み出したい場に適応できるわけではない。
けど、根底に福祉で大事にすべきマインド「目の前の1人としっかり時間をかけて向き合い、試行錯誤していく」を持つこと。
もし、ゆとり以外の環境的課題があったとしても。このマインドからスタートする。理念としておく。これが大事だと思うのだ。
試行錯誤は一見面倒くさいし、非効率にみえる。
でも、これって短期的な視点であって。
長期的に見れば、試行錯誤した分だけ確実に私たちは幸せになれる。
誰かが生きやすい場は、私も生きやすくなる。
5.4年間の福祉現場を得て、私が得たもの
新卒で障害者福祉の就労継続支援という仕事を得て。
常々、私は悩んできた。
人との関わりで答えなどない。そして、私自身がまず、「支援者」と言える器ではない。
何度、仕事の中で後悔したことか。
「あのときこうすればよかった」
「なんであのとき感情的になってしまったのだろう」
悪気なく関わる人を傷つけた。常々、誰か1人を深く見つめることは、自分自身を見るようで。自身の巣くう悪魔に気づく。差別的な視点や偏見があることに気づく。
いつしか、「共に共に」と言う人に対していらだちを覚えた時期もあった。
真剣に向き合えば向き合うほど、支援者と被支援者の壁をなくすことは簡単ではない。それは私の意識だけの問題ではないからだ。
「仲間だけの分科会」という本来の仲間の定義を考えるとおかしい表現を普通に使い、且つ「仲間」という言葉をどや顔で語る支援者にも腹がたった。
そんな簡単な話ではない。
ソーシャルワーカー。同じ地域の生活者を目指しながら、自分は「同じ地域の生活者じゃないよ!」というスタンスをとる。
ここを最後まで私は割り切ることができなかったし、
最後まで「関係性」について答えがでなかった。自分に「支援者」という肩書きは向かないことを最終的に理解した。
毎日のように今日の反省と学びを記す「今日の学びノート」は、書いても書いても、答えがでることはなかった。
もがく毎日。しかし、私のイベンター的側面だけ注目し、私の実践を見ずに批判する人もいた。私の実践も見ず、Facebookの投稿だけ見て、「足下を見ろ!実践に集中しろ!」と言う人に腹がたった時期も実はあった。
実践を見ずにそういうことを言う人たちは嫌いで仕方なかったし、その人たちには結局、心を開けなかった。
「もっと俺の実践をしっかり見て批判してくれよ!」
と子どもっぽいことを考えていたこともあった。
けど、辞めるときに気づく。
なるほど。1番私の実践を見ていたのは、法人の幹部でもなく、人事でもなく、そして同じ職場で働く職員でもない。
実際に一緒に試行錯誤したメンバーだったのだと。
メンバーとの適切な関係性。自分の中で4年間では答えはでなかった。
そんな答えがでない中でも、わかったこと、学んだこともたくさんある。
・「働く」を生み出すことは社会の歯車の一部になることであり、社会との関わりしろを生むこと
・他の人との試行錯誤は自身への生きやすい環境への投資になること
・エゴを大事にすることで助かる人が多く出ること
・人は理屈ではなく、感情が全てであるということ
・弱さをさらけ出すことは大事だということ
・なんだかんだ、人は人を「カテゴリー」で判断すること
・人との関わりの中で、人は共に成長していること
他にもたくさんある。けど、1番大きいのは
自分は思っているより、自分はろくでもないダサい人間であること。
人と向き合うことで、結果的に自分と向き合うことになった4年間。
居場所を求めて選んだ福祉の世界は、私を苦しめ、且つ私に大きなものを与えてくれた。
数年後、またこの4年間の捉え方が変わっていると面白いなぁ。
福祉よ。ありがとう。
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