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昭和8年 ゴーストップ事件陸軍VS警察 結果2名死亡



第一章:赤信号の交差点

1933年のある日、大阪市の天神橋筋6丁目交差点。ここで若き陸軍兵士、中村政一は、白い手袋をはめた手で、憧れの映画館へ向かっていた。彼は、ナポレオンのように胸を張って歩き、裕福そうな市民たちの視線を集めていた。不測の事態が彼を待ち受けているなど、想像もしていなかった。

あの日、赤信号を無視した彼は、ただ映画が見たくてたまらなかったのだ。彼の前を通り過ぎる市電に心を奪われ、信号のことなど忘れてしまった。しかし、運命の悪戯は彼を待ち構えていた。

「おい、あんた!」 声が響く。戸田巡査が彼に向かって叫ぶ。「信号に従え!」

第二章:軍と警察の火花

この一言が火に油を注いだ。中村は、「軍人は憲兵の命令には従うが、警察官の命令に従う義務はない」と反論し、争いが始まった。無邪気さが、一瞬にして戦場のような空気に変わっていく。そして、周囲の人々が目撃者となり、スマホもない時代に彼らは事件を目撃することとなった。

「何や!このアカンたれは!赤信号を無視した上に、警察官に反抗なんて!」と野次馬たちの中に混じって囁く声が聞こえた。そこから人々の間に広がる噂と興奮、感情が渦巻いていく。

第三章:対立の深刻化

時が経つにつれ、この小さな喧嘩は大きな対立に発展していった。兵士たちと警察官の間に横たわる深い溝が明らかになり、時には高高い声が昼下がりの空に響いた。「これは一兵士と一巡査の喧嘩ちゃうで! 皇軍の威信をかけた戦や!」と軍の代表が叫ぶ。

一方、警察の粟屋部長も屈しなかった。「軍隊が陛下の軍隊なら、警察官も陛下の警察官やぞ!」と。二つの権力が激突し、市民たちは互いに応援するかのように立ち上がった。

第四章:笑いと涙の中で

街は騒然となり、新聞は「軍部と警察の正面衝突」と見出しを打った。各地の寄席では漫才師たちがこの事件をネタにし、笑いを誘った。しかし、笑いの裏には人々の不安もあった。「果たしてこの争いはどうなるんやろか?」

それから数ヵ月後、事件に関与する者たちは疲れ果て、耐え難い日々が続いた。そんな中、高柳署長は過労が原因で倒れ、その一報を聞いた元軍人の寺内中将は、「事件で心痛のあまり病状が悪化すると気の毒なので、適当にお見舞いするように」と中堅には伝えた。しかし、その10日後、信じられないことが起こった。高柳は腎臓結石で急死したのだ。

さらに、証人の高田善兵衛が、憲兵と警察の厳しい事情聴取に耐えかね、自ら命を絶ち、轢死体となって発見されたという衝撃的なニュースが市に広がった。この二人の死は、ただの喧嘩がどれほどの悲劇に発展し得るのかを示すものになった。

第五章:天皇の憂慮と和解の手

この騒動は、ついに昭和天皇の耳にも届いた。天皇は事の重要性を憂慮され、特使を派遣されることとなった。特使の到着により、事態は新たな局面を迎えつつあった。「皇軍の威信を守るためにも、事態を早急に収拾しなければならない」という強い意志が、軍部にも警察にも届いたのだ。

昭和天皇の特命により、和解の道が模索される。帝国の威信にかけた戦いの果て、突如としてもたらされた和解の知らせに、街は静まり返った。11月18日、ついに双方が手を取り合い、握手を交わす。市民たちはその瞬間を固唾を飲んで見守った。

エピローグ:過ぎ去りし日の教訓

後に、この事件は武士の誇りや義務の在り方を問う契機となり、軍と警察の関係を見直すきっかけとなった。時代は変わり、赤信号が完全に守られるようになったが、その背後には一つの事件があり、人々の心に教訓として残ることとなった。

「信号を守ること、それはただのルールではなく、皆の安全を守るために必要なことなのだ」中村はふとそう思い、映画館に向かう足を速めた。過去を抱えながらも、未来へ踏み出す意志を形にして。

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