見出し画像

憧れと現実

1ミリも嫉妬しなかったって言ったら嘘になる

思いやりが敬意があったかどうかも分からない
単純な言葉がそんなにも簡単に
咀嚼して貰えるんだって

でもゆきむら。さんが仰る

「リスナー」と「殿厨」

の括りに当てはめるのなら
「殿厨」であって欲しいなって

超俯瞰だけど、
私はどこの誰かも分からない人じゃなくて

いつも 日々努力してるゆきむら。さんが
誰よりも報われて欲しい って強く思うように

いろんなゆきむら。を見て 感じて
愛を伝えてきた殿厨という存在が
報われて欲しいな って思ってるんだと思う。

でもそれと同時に
それは自分が「殿厨」だからなんじゃないのって
自分もどこか報われたい そこに当てはまりたいって
思ってるんじゃないかって 怖くなった。


ゆきむら。さんと殿厨さんが
一緒に笑って泣いて いろんなものを共有して
たわいもないことなのかもしれないけど、
私にはそれがものすごく美しく見えた。

自分もこんなふうになりたいって強く思った
自分というちっぽけな人間から
ゆきむら。さんへの愛を形として残したくて始めた

愛を言葉にして伝えるということ

ゆきむら。さんから強要された訳じゃない
自分が伝えたいから 好きだから勝手にやってること
全部事実だし、今も変わらずそう思ってる

だけど 愛を形にして伝えて
伝えている現状に満足して

どこか慢心してる部分が
あったんだろうなって思った

ほんと人間臭いなって
ゆきむら。さんはこんな私でも認めてくれるかな

でもここで立ち止まったら終わっちゃうから
まだまだ伝え足りない
終わらせたくない

日々積み重なっていく不安と絶望の中で
手を差し伸べてくれた
大好きなゆきむら。さんに
まだまだ伝えたいことたくさんあるんだ

もういいよって こいつ馬鹿だなって思われても
伝えることと考えることだけは
辞めたくない ってずっとずっと思ってる


私がゆきむら。さんと出会った当時
外から眺めてた
殿厨とゆきむら。さんとのキラキラした空間

殿厨がゆきむら。さんに好きを伝える中で
ストレートにド直球に伝えることはもちろん
「敬意」だけは忘れちゃだめだなって
勝手に思ってる

友達の時は全力で友達するけど
大前提に殿厨にとって
ゆきむら。さんって神様なんだよね

タメ語使ったりとか馴れ馴れしくできないくらい
私の中でのゆきむら。さんの存在って
ものすごく大きくて大切なんです

どこか怖いって思われるかもしれないけど
最後の一人になっても
それだけば自分の中で貫き続けたいなって思う

あと、「はい」とか「しぬ」とか「w」で
埋め尽くされるコメント欄も

初めてゆきむら。さんの配信お邪魔した時
ものすごく衝撃だった

愛と同時に狂気ささえ感じました

この人達の愛って純愛じゃなくて
狂った愛の“狂愛”なんだって

分からせられた

今まで廃止されてきたものもあったりするけれど
コメ欄こそ殿厨の文化だよなって思ってます。

この殿厨ならではのコメント欄も
私にとってはものすごく大切

感情と勢いに任せてつらつら書いちゃったけど
何が言いたいかって

今までゆきむら。さんと殿厨さんから
学んで来たことを大切にしながらも
時々形を崩したりとか
いろんな形で愛を伝えて行きたいなって

それと、
自分のありのままの感情も大切にしたいし
自分以外からゆきむら。さんに向けられる言葉
にも触れていきたい

私が見様見真似で愛を伝えてみたあの日みたいに

自分がやりたくて始めたこと
日々努力されてるゆきむら。さんに
着いていくのはもちろんだけど
そのスピードに置いてかれないよう
めげずに自分と向き合いたい 慢心しない

たくさん悩んで苦しんだ五月
ゆきむら。さんが仰った
「素直って露呈なのかな」っていう言葉が
ずっと心に残ってて

私はその時 「 露呈なんかじゃないゆきむら。さんの素直はもっともっと綺麗で美しいものです 」
って答えたんだけど

こんな一丁前なこと言っても
自分も素直じゃなきゃ意味ないよねって

伝え方も礼儀も大切だけど
言いたいことが言えなかったら
絶対に意味ないから

ゆきむら。さんが素直をぶつけてくれるように
私も素直で答えていきたいって
強く思います

今日も明日も明後日も
ゆきむら。さんだけに変わらない愛を


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?