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思えば物心付いた頃には集団の中にいる事が怖かった。

教育番組のエンディングテーマが流れ終わるのが保育園の送迎バスに乗る為に、家を出る合図。
その曲が終わる瞬間がとんでもなく怖かった。
ずっと流れ続けてくれと願っていた。

母から離れ、送迎バスに乗り込む。
ぼんやりとした不安と共に窓の世界を眺める。周りの子たちは楽しそうにお喋りをしていて、その声を聞く事すら怖くて一刻も早く窓の外の世界に逃げたかった。

何が怖いのか分からないのが怖い のである。
ただただ漠然とした何かを恐れ、周りの子たちは何で笑っているのだろう、
何が楽しいのだろう、毎日が未知の世界を眺めているような感覚だった。

年長さんのクリスマス、サンタさんが保育園にやって来た。
「サンタさんが来た!」と嬉しそうな笑顔で盛り上がる皆んな。
私は「あんなのサンタさんじゃない」と思い、何で皆んなは気づかないんだ 
と不思議で仕方が無かった。
でも、それを口に出す事は無かった。
何となく これ は言ったらダメな事なのだろうと肌で感じたから。

歳を重ねるごとに
皆んなと違う と『変』だと言われる事が 多い のだと学んだ。
次第に『変』と言われる事が怖くなった私は『変』では無い方を選ぶようになった。

顔色を伺い、相手や周囲を観察しながら皆んなを真似して、
集団の中に馴染んで『普通』を演じようとする毎日。
『普通』が何であるのかも分からずに『変』を避け続ける日々。
少しでも『変』が漏れ出すと 可笑しいと
揶揄われ『変わってる者』扱いをされる。

嘘を付き続けると、嘘が何か分からなくなる。
嘘まみれの世界は虚しい。
嘘の言葉、嘘の心、嘘の関係。
疑心暗鬼になり、目に見える物が全て偽りに思えた。
何を信じて、何を疑ったら良いのかの区別さえ曖昧になった。

その虚しさに気づいた時には遅かった。
嘘と誠の境目が分からなくなり、当然の様に
周囲の人達と関係を保つのも難しくなった。
次第に引きこもりがちになり、集団の中にいる自分を認識する事が怖くなった。
もう誰にも会いたくない、
どこにも属したく無い、と心の底から思った。

そんな中、出会ったのが音楽だった。
音楽は良い。どう発信しようが、
どう受け取ろうが正解なんて無いから。
そこには真も偽も存在しない。
自由そのものだと感じた。
まとわりついていた『嘘』が溶かされて
「居場所はここにある」と教えてくれる。

大人と呼ばれる機会が増えた今
周囲に異質扱いされる事があると怯む気持ちが無いか という問いに
ハッキリ「無い」と答える事は 正直まだ出来ない。

でも今だからこそ過去の自分に伝えたい事もある。

「変」な所があるのなら「変」を磨き続けて
自分だけの武器に変えてやれ。
周囲に何と言われようと無理に「変」を手放そうとしなくて良い。
「変」を理解してくれる人はいる その人を信じる事を恐れるな。

最後に、弱気になりそうな時に出会って
背中を押してもらった曲を紹介させて下さい。

それじゃあ、また👋🏻‪



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