市民と国会の関係性を体感する国会パブリックビューイング(日本政治学会 共通論題報告論文 2020.9.26)

上西充子(法政大学キャリアデザイン学部教授)

本稿は2020年9月26日にオンライン形式で実施される日本政治学会2020年度研究大会の共通論題「現代日本政治における代表性とアカウンタビリティ」の発表論文である。学会の許可を得て、ここにその論文を転載する。なお、同共通論題の内容は下記の通り。筆者は学会員ではなく、非会員としての参加である。
共通論題 16:00~18:20
ZZ【共通論題】 現代日本政治における代表性とアカウンタビリティ
司会:三浦 まり(上智大学)
報告:
ZZ-1 行政・官僚制における代表制とアカウンタビリティ
牧原 出(東京大学)
ZZ-2 国会とアカウンタビリティ:国民代表機関の二重の責務
大山 礼子(駒澤大学)
ZZ-3 市民と国会の関係性を体感する国会パブリックビューイング
上西 充子(法政大学)
討論:
齋藤 純一(早稲田大学)
岡野 八代(同志社大学)
なお、当日の共通論題の様子は、期間限定でYouTubeでネット公開される予定である。

1. はじめに

 筆者は2018年6月以降、国会審議映像を解説つきで街頭上映する「国会パブリックビューイング」の取り組みを行ってきた(注1)。きっかけは、働き方改革関連法案の国会審議に抱いたもどかしさだった。野党が法案の問題点を指摘しても、政府は巧妙に論点をずらした不誠実な答弁を続けていた。私たちの働き方を変える労働基準法の改正案が審議されているのに、政府が論点にまともに向き合おうとしない。そして、その現状がメディアを通じて市民に知らされておらず、市民が問題意識をもつ機会もないまま法案が成立しようとしている。その状況を変えるために、何かできないかと考えて思いついたのが、国会審議の映像からポイントとなる場面を切り出して、解説つきで街頭上映するという取り組みだった。
 同年6月15日の新橋SL広場に始まり、新宿、大阪梅田、名古屋、松本、茅ケ崎、有楽町など、街頭上映回数は2020年2月までに42回に及ぶ(その後の街頭上映は新型コロナウイルス感染予防の観点から休止中。室内からのライブ中継は継続中)。労働運動や市民運動にかかわってきた有志と団体を結成し、筆者が代表となり活動してきた。とりあげた国会審議は、働き方改革関連法案、外国人労働者受け入れ拡大に向けた入管法改正、毎月勤労統計調査の不正問題、大学入学共通テストへの民間英語検定試験の導入問題、「桜を見る会」など。多いときには80名ほどの通行人が街頭に設置したスクリーンの前に立ち止まった。YouTubeでもその内容は配信している。

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[政府統計不正問題を取り上げた2019年2月8日の新宿西口地下広場における国会パブリックビューイングの様子。右側のスクリーンにプロジェクタから国会審議映像を映し出し、ゲスト解説の全労連・伊藤圭一氏と筆者がその内容を解説した。1時間20分にわたり実施。YouTubeのサムネイル画像より。]

 私たちのこの活動は、法案成立を阻止するといった成果をあげているわけではない。国会前の抗議行動や新宿を歩くデモのように大人数を集めたわけでもない。しかし、独自の意義を持ったと考えている。それは、国会審議への市民の関心を高めたこと、国会を監視すると共に国会と市民の距離を縮めたこと、国会審議の街頭上映という新しい取り組みが主権者としての私たちの意識を高めたこと、などだ。これらの点について、以下に考察していきたい。

(注1)この取り組みについては、上西充子『国会をみよう 国会パブリックビューイングの試み』(集英社クリエイティブ、2020年)を参照。またYouTubeチャンネル「国会パブリックビューイング」でも、街頭上映の様子や、働き方改革に関する国会審議の解説付き番組、室内からのライブ中継などを公開している。

2. 市民が国会に目を向けることはなぜ必要か

 国会パブリックビューイングの第1の意義として、国会審議への市民の関心を高めたという点を挙げた。しかし、なぜそもそも市民が国会審議に目を向ける必要があるのだろうか。国会で野党が適切に問題を追及すればよい話ではないのか。あるいは、野党だけでは力が足りないなら、メディアや市民運動が世論喚起すればよい話ではないのか。ところが、それだけでは不十分なのが現状なのだ。
 国会審議はテレビ中継されないものも含め、すべてがインターネット審議中継でリアルタイムに公開されており、録画も提供されている。時間差はあるが国会会議録でも発言がほぼそのまま記録されており、WEBで検索も可能だ。そのように可視化され、記録される場で法案が審議され、野党が問題点を指摘し、追及する。その審議の過程で、法案に重大な瑕疵があることが判明すれば、あるいは、法案が正当な根拠に基づいていないことが明らかになれば、修正されるか撤回される。利害や見解が鋭く対立する法案であれば、その論点が広く周知され、世論が喚起され、その世論の動向を見ながら採決の判断が行われる。そしてその採決の結果が、次の選挙における有権者の行動に反映する。――本来であれば、そのように国会という場は機能すべきだ。しかし現実には、そのように機能していない。
 「野党がだらしない」からか。「野党の追及が甘い」せいなのか。よくそのように言われるが、そのような言説は実際の国会に目を向けさせないための煙幕に思えてならない。実際の国会審議を見れば、野党議員が核心を突く質疑を行っている場面は多数、存在している。にもかかわらず、その質疑が生きる場面が少ない。なぜか。
 まず、政府・与党の側に、野党の指摘を受けとめる姿勢がない。政府提出法案であれば与党の事前審査と閣議決定を経て国会審議に付されるため、政府はとにかく追及をかわして法案の成立をめざそうとするし、与党もそれをアシストしようとする。その姿勢が、「ご飯論法」と呼ばれる論点ずらしの不誠実答弁になって表れる。
 「ご飯論法」とは、働き方改革関連法案の国会質疑における加藤勝信厚生労働大臣の巧妙な論点ずらしの答弁について筆者が朝ごはんをめぐるやりとりにたとえてツイートしたものを、ブロガーの紙屋高雪が「ご飯論法」と名づけたものだ。「朝ごはんは食べなかったんですか?」との問いに、「ご飯は食べておりません」と答える。「朝ごはん」について問われているのに、「ご飯(白米)」について問われているかのように勝手に論点をずらし、自分の都合のよい形で答えて、都合の悪い事実(パンを食べたこと)については隠しておくのだ。答弁は誠実そうにおこなわれるので、問うた側は論点がずらされていることに気づきにくい。そして、答弁した側は、都合の悪い事実を追及されずに済み、あとで批判されても、事実を答えただけ、と言い逃れることができる。
 次に、メディアが問題を的確に報じる力を減じている。特に地上波放送には政治の圧力とそれを受けた報道機関側の忖度が働き、ニュースの中で国会審議を取り上げる時間が減っている。その限られた時間の中では、国会で何が問題になっているかを伝えることは難しい。働き方改革の国会審議においては、筆者も関与した裁量労働制をめぐるデータ問題で安倍首相がみずからの答弁を撤回したことから、民放の地上波の朝のバラエティ番組を含めて裁量労働制の拡大という隠された論点が取り上げられることとなり、閣議決定前の法案からの裁量労働制の拡大案の削除という異例の展開となったが (注2)、このように地上波放送が争点を大きく取り上げることができたのは、首相の答弁撤回という「お墨付き」があったからこそ、と考えられる。
 本来であれば、働き方改革関連法案については、あたかも労働者のための法改正であるかの体裁を取りながらも、時間外労働の上限規制のような規制強化を前面に出しつつ裁量労働制の拡大と高度プロフェッショナル制度の導入という規制緩和を抱き合わせで実現しようとしたものであることが報じられるべきだった。そして、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度は、「柔軟な働き方」を可能にするようでいて、実は「柔軟な働かせ方」を可能とするものであるということが、労働基準法に即して解説されるべきだった。そのような規制緩和が長時間労働や過労死の問題を悪化させるという野党の指摘に政府が向き合わないまま法案成立をめざしていることも報じられるべきだった。

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[筆者作成]

 しかし、抱き合わせの一括法案の形で法案が提出されたこと、「働き方改革」や「多様で柔軟な働き方」といったキャッチフレーズが印象操作に効果的であったこと、そして論点ずらしの「ご飯論法」の答弁が繰り返されたことによって、争点は巧妙に隠された。そして、それを解きほぐして時間をかけてわかりやすく報じる力をメディア、特に地上波放送は持っていなかった。国会審議が紹介されても、それは数秒の切り貼り編集されたやり取りの形で示されるにとどまり、そのように編集されると、よくても「与野党攻防」、そうでなければ「政府の方針に野党議員が難癖をつけている」としかとらえられないものになっていた。
 そこに「野党は反対ばかり」といった印象操作がさらに加えられる。そういう状態の中では、労働組合や市民運動が法案への反対を訴えても、多くの市民にはその意味が届かない状態であった。
そういう現状だからこそ、メディアが十分に報じなくても、メディアに頼るだけでなく、より多くの市民がみずから国会審議に目を向けることが必要なのだ。
 とはいっても、実際の国会審議は上述の通り論点ずらしの「ご飯論法」に満ちており、ただ見るだけでは、何が問題となっているのかわかりにくい。だから私たちは映像に字幕を添え、解説を加えた。紹介する国会審議映像については、1つのテーマについて重要な「やりとり」の場面を3分程度の時間に切り出したものを5つほど選び出し、それぞれの前後に解説を加えて1回の街頭上映とした。そのため1回の街頭上映時間は60~80分程度と長い。テレビの特集番組以上の長さだ。しかし、立ち止まってそのままじっと見てくれる人が工夫を重ねるにつれて増えていった。

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[「桜を見る会」に関する2020年2月10日の国会パブリックビューイングで質疑の解説のために作成し、スクリーンに映し出したスライドより。安倍首相の答弁の「ご飯論法」を開設したもの。筆者作成。]

 テレビのニュース番組で紹介される国会審議映像との違いは、ニュース番組の場合は野党議員の質疑に首相や大臣が答える場面が「切り貼り編集」されているのに対し、国会パブリックビューイングの場合は「切り出し」にとどめたことだ。途中の映像をカットして要点だけをつなぎ合わせるということは行っていない。また、かならず質疑と答弁をセットにして「やりとり」の形で示した。
 そうすることによって、はじめて見えてくるものがある。数秒に編集されたテレビのニュース映像では、首相や大臣は明確に答えているように見える。質疑の内容とは微妙にかみ合わないようにも見えるが、「まったくご指摘は当たらない」などときっぱりと答弁が行われているのを見ると、野党議員が的外れな指摘を行っているようにも見えてくる。しかし実際の国会審議映像を「切り貼り編集」なしで実際の「やりとり」として見ると、政府側が時間稼ぎの長々とした説明を繰り返したり、論点ずらしの答弁を答弁書の棒読みの形で行ったり、野党の指摘に誠実に向き合ってないことがありありと見えてくるのだ。
 このような実際の「やりとり」を自分の目で見れば、野党議員と答弁に立つ首相や大臣の、どちらが国会審議に誠実に臨んでいるかは、おのずと判断がつく。野党の問いに政府側が、あえてかみ合った答弁を避けていることも見えてくる。そこに解説が加われば、なぜ的確な答弁を避けるのか、そこで問われていることは何であるのかが見えてくる。そうすれば、大事な論点に政府側が向き合うことを避けていることに気づける。こんな国会審議で法案を成立させてよいのかという問いが、見る者自身に湧き上がってくる。
 政府側が同じ説明を繰り返して時間つぶしを行い、答弁書を棒読みし、野党議員の質疑にかみ合わない答弁を繰り返す。なぜそのようなことが起きているかと言えば、それで大丈夫だろうと高をくくっているからだろう。どうせ国会審議を実際に見ている人の数など多くはない、と。ところどころ顔をあげてきっぱりとした様子で答弁しておきさえすれば、その部分だけをニュースが取り上げるから大丈夫だ、と。そのような政府・与党の姿勢は、野党議員だけでは正せない。メディアの力も弱い。だから主権者である市民が国会審議を監視し、見守ることによって、それを正常化させていく必要があるのだ。

(注2)上西充子「裁量労働制を問い直せ」(『世界』no.908、2018年5月号)参照。

3. 国会を監視し、国会と市民の距離を縮める

 国会パブリックビューイングの第2の意義として、国会を監視し国会と市民の距離を縮める機能を果たした、という点を挙げた。どういうことか。
 当初、2018年6月15日に新橋SL広場で働き方改革関連法案の国会審議を街頭上映したときには、法案はまだ審議中で、しかし成立がほぼ確実視されていた時期だった。労働基準法の労働時間規制を適用除外する高度プロフェッショナル制度の創設に野党や労働組合、過労死を考える家族の会、労働弁護士などは強く反対していたが、野党が高度プロフェッショナル制度の問題点について質疑を行っても、政府は時間外労働の上限規制を導入する意義を答弁するといった意図的なすれ違い答弁が続けられており、働き方改革関連法案をめぐって与野党になぜ対立が存在しているのかということさえ世間一般には認知されていない状況にあった。
 そういう中で国会審議映像を街頭上映した当初は、「とにかくこの国会審議の実情を見てほしい」という思いだった。WEB記事を書いても関心のある人を超えて問題意識の共有を図ることは難しい。だから街中に国会審議映像を持ち出して、この問題をほとんど報じていない日本経済新聞の読者にも仕事帰りに街頭で見てもらいたい、と考えていた。
 しかし、同年11月に新たに外国人労働者受け入れ拡大に向けた入管法改正の国会審議を取り上げたとき以降は、別の感覚があった。数日前の国会審議の中から、私たちが街頭上映で取り上げるべき論点をピックアップし、質疑映像を切り出し、説明スライドを加えて上映する。その映像を、まさに今、国会で審議されているトピックであることを認識している人たちが、足をとめて見守る。そういう手ごたえがあった。私たち自身が、路上のスクリーンを通して、政府答弁を、そして野党の追及を、監視し、見守っている、という手ごたえだ。
 つまり、国会審議を街頭のスクリーンを通して街ゆく人に見てもらう、という「国会→(スクリーン)→市民」というベクトルとは逆の、「市民→(スクリーン)→国会」というベクトルが、この活動を通して生まれることが見えてきたのだ。

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[外国人労働者受け入れ拡大に向けた入管法改正案の国会審議を取り上げた2018年11月18日の新宿駅南口における国会パブリックビューイングの様子。]

 上記の写真で示した2018年11月18日の新宿西口における国会パブリックビューイングは、1時間半近くの時間をかけて、外国人労働者受け入れ拡大に向けた入管法改正の国会審議を取り上げた。筆者が進行を担当し、全労連雇用・労働法制局長の伊藤圭一氏と日本労働弁護団の中村優介弁護士にゲスト解説を依頼した。取り上げた国会審議は下記の通りで、それぞれ数分の「やりとり」を切り出した。

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<新たな在留資格の受け入れ人数は>
● 2018年11月1日衆議院予算委員会 長妻昭議員vs 山下貴司法務大臣

<「相当程度の技能」とは>
● 2018年11月5日参議院予算委員会 蓮舫議員vs 山下貴司法務大臣・石井啓一国土交通大臣

<雇用の調整弁か>
● 2018年11月7日参議院予算委員会 小池晃議員 vs 山下貴司法務大臣・安倍晋三内閣総理大臣

<基準が決まっていないのになぜ見込み数が算定できるのか>
● 2018年11月15日参議院法務委員会 小川敏夫議員vs 和田入国管理局長・山下貴司法務大臣

<技能実習制度:失踪者の増加と背景>
● 2018年11月1日衆議院予算委員会 長妻昭議員vs 山下貴司法務大臣

<「より高い賃金を求めて」?>
● 2018年11月7日参議院予算委員会 小池晃議員vs 安倍晋三内閣総理大臣・山下貴司法務大臣・根本匠厚生労働大臣・坂口厚生労働省労働基準局長
● 2015年8月28日衆議院法務委員会 重徳和彦議員vs 上川陽子法務大臣

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 2015年の国会審議が含まれているのは、技能実習生の失踪の原因についての過去の答弁を映像で確認するためだった。2015年8月28日に当時の上川陽子法務大臣は、次のように答弁していた。

これまでの調査、数々してきたわけでありますが、失踪の動機などを調査してみますと、多数の者におきまして、技能実習に対してそもそも意欲が大変低いというようなケースもあるということもありますし、また、より高い賃金を求めて失踪しているということなども判明をしているところでございます。

 また、2018年11月7日の参議院予算委員会で、小池晃議員の質疑に対して山下貴司法務大臣もこう答弁している。

これまでに失踪した技能実習生及び関係者から事情を聴取するなどしてした調査では、主な失踪の動機としては現状の賃金等への不満からより高い賃金を求めて失踪する者が約87%、実習修了後も稼働したいとする者が14%、また厳しい指導を理由に挙げる者が約5%などであることが判明しております。

 あたかも技能実習生が指導を受ける姿勢に乏しく、より高い賃金を目当てに失踪しているかのような答弁だったが、その答弁に対し、小池晃議員は、

その「より高い賃金を求めて」というのは、調査票でいう「低賃金」「契約賃金以下」「最低賃金以下」、これを合わせたものですね。

と指摘してそれを認めさせ、

「より高い賃金を求めて」って何かきれいな言い方していますけど、低賃金なんですよね。失踪者の87%は、低賃金を理由にしていると。こんな事態を放置して受入れを拡大するのは、余りにも無責任だと思うんですよ。大臣ね、失踪者の調査項目、これ全ての集計結果を明らかにしていただきたい。

と求めたのだ。
 このように、政府は都合のよい印象操作を行い続ける現状がある。だからこそ、野党は独自に原資料にあたって、実態を把握し、それを政府に認めさせようとしている。実態に即した国会審議を行おうとしている。そのことを、この日の国会パブリックビューイングでは、下記のようなスライドを添えながら解説した(注3)。

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聴取票

[いずれも2018年11月18日の国会パブリックビューイング街頭上映のスライドより。筆者作成。]

 このような野党の取り組みを、市民は果たして知っているだろうか。メディアは伝えてきただろうか。せっかく野党が監視の目を利かせていても、そのおこないにメディアや市民が注目しないならば、政府は平然と同様のことを繰り返しかねない。だからこそ、野党議員が法案の問題点を指摘したり行政監視を行ったりしていることを、私たち市民が国会パブリックビューイングのような形で背後から見守って、同じように監視の目を利かせておくことが大切なのだ。
 そう考えると、「国会パブリックビューイング」という名称は、この活動の趣旨をよく表している。国会を市民がパブリックな空間で見守る、という意味合いが示されているからだ。
 「国会パブリックビューイング」という名称は、国会審議の解説つき街頭上映という活動を表す名称でもあり、その活動を行う私たちの有志の団体の名称でもあるのだが、実はこの名称は、私たちが考えた名称ではない。2018年6月15日に新橋SL広場で行われる予定だった従来型の街頭行動の場に国会審議映像を持ち込んだことは、その日の夜からツイッターで話題となったのだが、その中でこの活動に名称がほしいという声があがり、ツイッター上で名称を募集し、提案された中から選んだものだ。
 「街頭テレビ」「街頭国会中継」「国会ダイジェスト」「国会可視化プロジェクト」など、様々な提案があった。その中で、サッカーのワールドカップの試合をライブ中継会場やスポーツバーでビール片手に観戦するように、国会審議も、わいわい言い合いながら、みんなで見るもの、というイメージが共有できればと考えたのだった。
 ここまでは国会審議を監視する、見守る、という意義を見てきた。そのように国会審議を監視し見守っていることは、質疑に立つ野党議員を応援することにもつながる。
 本報告論文の冒頭に写真を示した2019年2月8日の新宿西口地下広場における国会パブリックビューイングでは、毎月勤労統計の不正問題に端を発した政府統計の不正問題に官邸の関与が強く疑われることを緻密に追及した同年2月6日の衆議院予算委員会における小川淳也議員の質疑だけを取り上げた。下記の写真はその上映映像の一場面だ。

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[2019年2月6日の衆議院予算委員会における小川淳也議員の質疑。同年2月8日の国会パブリックビューイングにおける上映映像の一部。]

 統計の精度を高めろという表向きの指示の裏で、いい数字を出せと暗に政治的圧力をかけてきたのではないかと追及した小川議員に対し、麻生太郎財務大臣は「役所におられたらおわかりと思いますけれど、圧力をかけたら数字があがるものでしょうか」と相手を愚弄するような答弁を行った。それに対し小川議員はひるまずに、

役所にいたから訊いているんですよ。ちょっと、この政権は、公文書を書き換えさせていますからね。それは具体的に指示したんですか。指示していないのに、なんでやるんですか、官僚が。そんなことを、追い詰められて。そういう政権なんですよ。そういう体質を持った政権なんだ。その前提で、この数字について訊いているわけです。

と応じた。
 この場面を紹介したときには、スクリーンを囲んだ聴衆から自然と拍手が湧いた。小川議員の毅然とした態度と、緻密な論証の手堅さと、双方に向けられた拍手であったと思う。
 この日の上映の終了時に、筆者は聴衆の方々に、できたら小川議員に、質疑が良かったとフィードバックを返していただきたいと呼びかけた。それに応えて、多くの人たちがツイッターで小川議員に質疑を評価する声を送った。そしてその声に対し、小川議員がツイッターで感謝の意を示した。
 このように国会パブリックビューイングは、市民と国会の距離、市民と政党や個々の議員の距離を縮める役割も果たしたと考えている。
 国会パブリックビューイングでは、質疑の内容を解説するゲストは迎えるものの、議員をゲストに迎えることはあえて行わずにきたが、2019年12月17日の新宿西口地下広場における街頭上映には、田村智子議員の「桜を見る会」をめぐる質疑を紹介したあとに田村議員本人を迎え、質疑を振り返っていただいた。さらに2020年2月3日の新宿西口地下広場における「桜を見る会」問題に関する街頭上映には、山添拓議員をゲスト解説に迎え、質疑の内容に加え、参議院予算委員会の「片道方式」についても解説いただくなど、スピーチではなく、質疑を理解するための解説を丁寧に行っていただくことができた。同年2月10日の新宿西口地下広場における「桜を見る会」問題に関する街頭上映には、辻元清美議員を迎えた。さらに同年3月22日には、新型コロナウイルス対策のため室内からのライブ配信の形であったが、山添拓議員をゲストに迎え、検察庁法改正案をめぐる問題を、黒川弘務検事長の勤務延長問題や森まさこ法務大臣の「逃げた」発言問題とも絡めながら、2時間にわたり詳しく解説いただいた。
 さらに、このように市民が国会を見守ってきたことによって、議員や政党の側からも、それに応える動きが生まれてきている。吉良よし子議員がみずからの質疑を街頭で映像により紹介しながら語る「パブリックビューイング」を始めたり、原口一博議員が議員会館内で国会審議中継を見ながらコメントを加えてその様子をツイキャスで流したり、といった動きが起きた。また、立憲民主党は独自に国会情報のアカウント(@cdp_kokkai)を通じて、個々の委員会審議の時間配分と質疑を行う議員の一覧表を事前に開示するようになった。さらに現在は、同じアカウントから、ツイキャスとYouTubeによるリアルタイムでの国会審議の配信もおこなっており、それぞれコメント機能に書き込むことにより、WEB上ではあるが、国会審議のリアルタイムでのパブリックビューイングのプラットフォームの役割を果たしている。また、不定期のようだが、「立憲国会解説」という、1週間の質疑を国会審議映像と国会議員のトークにより振り返る動画の配信も行われるようになった。ツイッターには2分20秒以内の動画を直接貼り付けることができるが、その制限時間内に編集して、会派の議員の質疑の見どころをその日や翌日に流す取り組みもこのアカウントでは始まっている。
 このような動きはもちろん、私たちの国会パブリックビューイングの活動だけがきっかけになっているわけではない。私たちの活動より前から、TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」では、その時々の論点について国会審議のやりとりを音声で丁寧に伝えつつ専門家を迎えて議論する番組を放送しており、他に「国会論戦・珍プレー好プレー!」という特集も組んでいる。ツイッター上では国会中継のミラー配信や、注目の国会審議場面を各自が2分20秒以内に編集した発信が以前から行われており、映像に字幕をつけるなどの工夫も行われていた。YouTubeでも市民や政党・議員が独自に国会審議を配信する取り組みが続けられている。私たちの国会パブリックビューイングの活動も、そのような活動に学んで始めたもので、まったく独自の活動、というわけではない。
 しかし、国会審議の街頭上映という取り組みは、国会審議と市民をネット空間を超えて結びつけるというアイデアを形にし、そこに通行人が実際に足をとめたことによって、国会審議を理解しながら見たい、という市民の潜在的なニーズが可視化され、政党や議員の関心を呼び起こし、政党や議員自身からの積極的な発信にもつながっていったものと考えられる。

(注3)なお、11月6日の山下法務大臣の答弁と小池晃議員の質疑では、「より高い賃金を求めて」の割合は87%とされているが、その後11月16日になって、政府は計上ミスがあったとして、割合を86.9%から67.2%に修正した。そのため、11月18日のこの国会パブリックビューイングでは、修正後の割合をスライドで示している。野党側は答弁の修正に納得せず、聴取票の現物の開示を求め、閲覧だけを許可した政府側に対し、議員が連携して1つ1つの聴取票の内容を書き写し、失踪の背景に労働基準法違反の劣悪処遇があったことをデータに即して明らかにして行った。前掲の上西(2020)の第4章および第5章参照。

4. 主権者としての私たちと路上の政治空間

 国会パブリックビューイングの第3の意義として、国会審議の街頭上映という新しい取り組みが主権者としての私たちの意識を高めたことを挙げた。この点に話を進めよう。
 最初に国会審議の街頭上映を行った2018年6月15日以降、私たちは「#テレビが流さないなら街で流そう」とハッシュタグをつけてツイッターでこの取り組みを発信した。その後、独自の番組制作と上映のための寄付を集め、国会パブリックビューイングという団体を組織し、同年7月には「国会パブリックビューイング 第1話 働き方改革―高プロ危険編―」という55分の解説つき番組を作成した。その番組の映像データを自由にダウンロードして利用できるようにしたところ、高円寺、京都、札幌などで、独自に国会審議映像の街頭上映に取り組む人たちが現れた。その後、多様なテーマについて独自に国会審議を市民が街頭上映する取り組みは、名古屋、埼玉、広島、鹿児島などにも広がった。
 同年の夏から冬にかけて、私たちは新宿、渋谷、代々木、恵比寿などで同番組を街頭上映すると共に、議員会館、新橋、京都、大阪梅田、名古屋、松本、札幌、名古屋、藤沢などの室内で上映交流会を開いていき、国会審議の内容について語り合うと共に、街頭上映の方法についても情報交換を重ねた。そうやって知り合った人の中から、「京都で国会パブリックビューイング」のように、独自の街頭上映活動を継続的に展開する団体も生まれてきた。
 メディアが私たちの問題意識に応える報じ方をしてくれないのであれば、市民である私たち自身がメディアとなって、私たちが考える国会の論点を広く一般市民に向けて発信することができる。国会パブリックビューイングは、その形を示したのだと考える。
 それは、かかわったメンバーそれぞれのそれまでの経験とスキルを活かして実現したものだ。国会パブリックビューイングは現在、14名のメンバーで構成されているが、そのほとんどは、従来から市民運動や労働運動で様々な街頭行動に加わってきた人たちだ。その経験に、映像編集・上映という専門性、そして国会審議の解説という専門性が加わって、この形となったものだ。
 筆者自身は、用意された街宣の場で依頼されてスピーチをしたことはあるが、みずから街宣を主催したことはなかった。最初の2018年6月15日の新橋SL広場も、「仕事帰りの新橋デモ」というデモの終着点におけるスピーチ会場として設定されていたもので、そのスピーチのかわりに街頭上映をやりたいと持ち掛けて実現にこぎつけてもらったものだ。
 その後、団体を結成して、機器の購入・管理・運搬、運営資金の調達と管理、切り出す映像の指定とスライドの準備、街頭上映の場所の選定と設営など、1回1回の街頭上映の準備から片付けまでの一連の活動にかかわる中で、私たち自身が主権者であり、私たちの「不断の努力」がなければ政治は変わらないのだということが実感できるようになっていった。

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[「桜を見る会」問題を取り上げた、2019年12月24日の新宿西口地下広場における国会パブリックビューイング。強風の中でスクリーンが倒れないように、背後で支えるボランティアの人たち]

 2020年6月から劇場公開され、ドキュメンタリーとしては異例の2万人を超える観客動員数を8月に記録した大島新監督の映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」。その中で、2003年10月に小川淳也議員は大島監督にこう語っている (注4)。

政治家がバカだとか、政治家を笑っているうちは、この国は絶対に変わらない。だって政治家って、自分たちが選んだ相手じゃないですか。自分たちが選んだ相手を笑っているわけですから、絶対に変わらないと思ったんですよね。

 小川議員はそれから15年半後の2019年3月1日に、衆議院本会議における根本匠厚生労働大臣の不信任決議案趣旨弁明の中で、こう語った。

 そして、小手先の改革ではどうにもならない構造問題が、この国の未来には横たわっています。
 そして、私たちが真に国民の負託に応えるために、血みどろになる覚悟でその課題に向き合うために、私たちに求められるのは、国民に対する信頼であります。
 政治家が国民に信用されていない。しかし、政治家もまた国民を信用し切れていない。このはざまを、このすき間を埋めなければ、小手先でない、正しい改革はなし遂げられません。

 政治家と、彼らを代表として選ぶ主権者としての市民が、相互に信頼関係を築くこと。そのためには、政治家も変わらなければならないし、市民も変わらなければならない。私たちが主権者として選挙の時だけでなく日頃から政治に関心を持ち、意見を表明し、行動し、政治を監視していてこそ、政治家もその市民の負託を得て緊張感をもって活動するようになる。政治家に求めるだけでなく、私たち自身がその変化の起点になりうるし、本来はそうでなければならない。
 そういったことは、実際に市民運動に主体的に関わっていく中で、はじめて実感されていくことだ。そういう実感が得られる場を、私たちはより多くもっていくことが望ましいのだろう。しかし、それが難しい事情もある。パブリックな空間が、少ないのだ。
 国会パブリックビューイングに関心を持つ人からは、道路使用許可を取って実施しているのか、という質問が最初に出されることが多い。私たちはこれまで、道路使用許可が不要な公共空間を選んで街頭上映を実施してきている。しかし、都市部では、そういう場所は限られている。
 私たちがよく利用してきた新宿西口地下広場は、その限られた場所の1つだ。人通りがありながら、スクリーンを囲んで聴衆が集まっても通行のさまたげとならないだけの空間がある。屋根があるので雨の日も機器を濡らす心配なく実施できる。この空間は、政治家の演説の場や、労働運動・市民運動の場として継続的に利用されることによって、パブリックな政治空間として確保され続けている。
 パブリックな空間は、「お上」に「許可」をもらってはじめて使用できるものではなく、私たちが一定の自制のもとに自由に主張できる空間であるということ。そして、そういう空間は、守っていかなければ失われてしまうということ。そのことも、実践を通して初めて気づかされることだった。
 国会パブリックビューイングは2018年10月に長野県・松本駅前で街頭上映を行ったことがある。広々とした駅前の空間の一角で街頭上映を行うと、写真の通り、地面に座り込んでじっと見入る人や、自転車で近付いて足を止める人など、人数は少ないものの、それぞれが思い思いの形で国会審議に目を向ける空間が生まれた。

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[長野県松本駅前での「第1話 働き方改革―高プロ危険編」の街頭上映の様子。2018年10月7日]

 渋谷のハチ公前のように人の流れが多すぎる空間で街頭上映を実施したこともあるが、ちらっと眼を向ける人の数は多くても、それではその人自身が国会審議から何かを考える機会にはならない。少ない人数であってもこうやってじっくり見てもらえれば、その人自身が何かを考え、その人自身の心の中に何かが残る機会になる。市民が自分たちで作り育てるメディアと空間が、主権者としての市民を育てていく。そういう可能性の萌芽が国会パブリックビューイングにあったことが、この活動が注目された理由の一つであったと思うのだ。

(注4)「なぜ君は総理大臣になれないのか」劇場パンフレット収録の、大島新「小川淳也との17年」より。

5. 終わりに

 冒頭に述べたように、現在、国会パブリックビューイングは新型コロナウイルス感染症対策として、街頭上映は中止している。室内からのライブ配信は行っているが、今は積極的に活動しているわけではない。2020年3月23日に前述したように山添拓議員と室内からのライブ配信で検察庁法改正案の問題を取り上げた後は、国会審議の紹介としては、6月15日の参議院決算委員会における田村智子議員の権利としての生活保護をめぐる質疑を7月28日に取り上げたにとどまる。
 他方で、この間、大きく存在感を増しているのが、現役のテレビのディレクターらが有志で立ち上げたプロジェクトChoose Life Projectだ(注5)。2015年9月の安全保障関連法の成立に至る国会審議に問題意識をもった彼らが活動を始めたのは2016年7月からで、当初は投票を呼び掛ける動画を配信していたとのことだが、2020年2月からは検察庁法改正案や新型コロナウイルス対策などをめぐる国会審議のポイントを2分20秒以内の動画に編集し、「国会ウォッチング」としてツイッターでタイムリーに動画配信を始めた。さらに検察庁法改正案をめぐっては有識者や国会議員らを集めた緊急配信番組を短期間のうちに集中的に配信。続く東京都知事選では、テレビでは実現しなかった主要候補の討論会も実現させ、その内容がニュースに取り上げられるなど、現在のテレビの限界を、テレビ関係者有志がみずから切り開いていくという展開を見せている。筆者も登壇した「映画『パブリック 図書館の奇跡』から考える、いま日本の公共に求められること」のオンライン配信を映画配給会社ロングライドと共同で企画・実施するなど、ニュース報道と文化芸術を融合した取り組みも進めている。法人化に向けて同年7月に行ったクラウドファンディングでは、5日間で1600万円超を集めた。
 お任せにしてはおけない政治の現状に対し、従来の市民運動・労働運動の枠を超えて、独自のやり方で、監視し、見守り、関わる活動が新たに起こっていく。そうであって初めて、市民運動はその担い手を新たに生み出し、継承されていく。国会パブリックビューイングも、そのような大きな流れの中の一つの試みであると考えている。

(注5)「民主主義とは何かと問われるとき、メディアである私たちも問われている Choose Life Project代表、佐治洋さんインタビュー」(Dialogue for People、2020年8月18日)(https://d4p.world/news/6211/)およびFrontline Press「テレビ報道に危機覚えた記者たちの重い一石 Choose Life Projectは公共メディアを目指す」(東洋経済オンライン、2020年8月9日)参照。