何故、見取り図が今年の上方にご縁がなかったのかを真剣に考える

大前提として、私はお笑い漫才共に全く詳しくないし、お笑いのおの字も、漫才のまの字も知らないような、ただのファンでしかない。ということをご理解いただきたい。

そんなただのファンが、漫才の賞レースに関する考察を発信する権利なんてあるのか?とも思う。一ファンがこのような考察を行うことに関して「ファンの分際で」と、私自身も感じている。

しかし、私個人としては、個人的な感情だが、賞レースにおいて絶対はないことは分かっていながらも、心のどこかで 今年は見取り図だろう と思ってしまっていたので、その気持ちを一度整理するという気持ちも若干だが含まれている。

漫才についてなんもしらない、私みたいなやつが、いくら真剣に考えてたって、答えを出せるわけがないし、そもそも解明しようとしていること自体、滑稽で、馬鹿げているかもしれない。「お前に何がわかるんだ!」と怒られる覚悟で、一度真剣に考えてみようと思う。

一度、見取り図のファンとして上方漫才を振り返ったが、今度は一観客として、今回の結果を真剣に考える。もちろん、怒られる、笑われる覚悟である。上方漫才大賞は審査員の方々にコメントをいただけないので、敗因は分からないままだ。ご本人は分かっているだろうけれど、お笑いを知らない私には分からなかったので、分からないなりに脳みそをフル回転しようと思う。

このnoteを読むにあたって、私は見取り図並びに受賞したミキ、そして全ての漫才師の方への多大なる敬意を持った上での考えであることをご理解いただきたい。また、ミキの受賞に不満がある。とかでもない。むしろ、流石ミキだな、かっこいいなと思っているということをご承知いただきたい。


私は見取り図のファンだから、贔屓目に見てしまっているかもしれない(というかその可能性が大な)ので、出来るだけフラットな視点を持って考える。

今回ノミネートされた賞は、上方漫才大賞奨励賞。
コンビ結成10年目以上の非大賞受賞者が対象である。

「奨励」を辞書で調べると「ある事柄をよいこととしてそれをするように人に強く勧めること」とある。また、奨励賞の審査基準は以下の通り。

上方漫才界にあって はノミネート5組全組に当てはまるので省略。

年間通じての寄席や放送、その他舞台などの活躍 という観点から考える。

まず寄席。数で言うと、どの組も寄席で拝見した数は多い。肌感だが、ロングコートダディ以外の4組が少し抜けているイメージか。

放送。この観点は、テレビラジオ等全ての放送を含めて、見取り図が飛び抜けていたのではと思う。

その他舞台。大まかなものではあるが、それぞれの活躍としては、ロングコートダディはM-1、すゑひろがりずは上方漫才協会大賞、ミキは全国ツアー、祇園はSDGs-1グランプリ2021、見取り図は全国を回った見取り図寄席 等だろうか。

そして、これが選考の対象になっているのかは定かではないが、「奨励」の本来の意味である人に強く勧めるという観点においては、媒体等の差異はあるものの、見取り図がノミネート5組の中では1番であったと思う。

しかし、こうは言うものの「ネタの一発勝負だから」と言われるかもしれない。実際に「ネタの一発勝負だ」と審査基準に明記されているわけではないが、司会の大平サブローさんが何度も仰っていたので、やはり当日のネタも大きく影響しているのでは、と考える。

ネタの一発勝負であると仮定するならば、何が勝負の分け目なのか(笑いの量etc...)が、明記されているわけでは無いので、こちらには正確には分からない。ただ、笑いの量は、程度は分からずとも絶対問われると思うが、客席にいた感じの笑いの量だと、圧倒的に祇園だったと思う。正直、見取り図はめちゃくちゃ反応が良かったわけでは無い。だが、ミキが飛び抜けていたわけでもない。

では、なぜ「ミキ」だったのか。
私は全国ツアーではないかと推測する。
もちろんこれのみでの選出ではないと思うが、この要素が大きいのではと考える。

上方漫才の審査員の方々にとって「奨励する」という部分で重きを置いているのは「テレビ」ではなく、「全国津々浦々で上方漫才を行う」ということなのではないかと。確かに、私は固定概念に囚われていたのかもなあと思う。「紹介する=テレビ」と無意識に思ってしまっていた。

全国ツアーかと。見取り図が受賞に至るまでに足りないと判断された要因の一つは、全国ツアーもあったのかもなあと。

確かに、漫才は演劇やコンサートのように、生の魅力がとても多いし、生で全国に届けているという点は、高い評価になるのかもなあと思ったりもする。加えて、「上方漫才を継承していきたい」と考える上方漫才界や審査員の方々にとって、継承の観点から考えて“生”を重視しているのだろうとも推測する。質の高いものを伝えていくには、やはり何事においても“生”に勝るものはない。だからこそ、全国各地に足を運び上方漫才を披露するという行動は、多大なる“上方漫才の奨励”であると高い評価になるだろうと。


あとはやっぱり、漫才に費やした時間などもあるかなとも考える。見取り図は今年、山ほど劇場に立って、山ほど漫才をしてきたが、漫才に費やした時間が多いかと言われると、漫才をしてきた時間と漫才に費やした時間はまた別だと思うので、なんともなあという気持ちもある。もちろん、ファンが見ていないところで努力なさってることは承知の上であるが、テレビに劇場にお忙しすぎて、練ってるなあ〜時間かけて改良してるなあ〜感は若干薄かったかもしれない。どちらかと言うと、行って披露する行って披露するの繰り返しが多かったように思う。

新ネタに関しても、時間が無いであろう中で、数多く披露なさっていたが、他の候補者と比べて相対的に飛び抜けて多かったわけではないという点も若干あるのかもしれないと思ったりもした。



今は、今年しかないわけではないから、ここにこだわる必要も無いのかもしれないなあとも思っている。

私は「この努力が形になって欲しい」と思ったが、上方漫才の運営側審査側の立場から考えれば、見取り図が今年受賞すれば、今年の見取り図の体を壊しかねないような多忙なスケジュールを公式に肯定してしまうことを避けたのではないかとも思う。
もちろん、去年度の見取り図の功績は多大なるものであるが、全漫才師があれを成し遂げられるわけでは無いし、それを運営側自体が奨励してしまうと、何人もの未来ある漫才師が多忙により長く続けられなくなる可能性だってある。見取り図だからこそ成し遂げられたという考えであったのかもしれない。

また、ご本人も仰っていたが、確かに「数が多ければ多いほどいいと言うわけでもない」ということも一理あると思う。やはり、上方漫才は歴史ある伝統あるものであるから、“継承”という観点にも重きを置いていると思う。その中で、今回見取り図が受賞する運びになれば、歴史の中で“質より量”を認めた と誤認される可能性が生まれてしまうのではと思う。見取り図が立った500ステージの1ステージでもみた人は、「量をこなすために質が劣っていた」とは思わないだろうが、10年後20年後に、この記録だけ見た人にとっては、実際の様子を目の当たりにしていないから、「その年一番舞台に立った漫才師が受賞している!」=「とにかく舞台を数こなせば受かるんだ!」と思われてしまい、それこそ、継承していく上方漫才の質が下がりかねないとの判断からの、今回の結果であったのではないかと推測する。


今、彼らの努力が実りつつあり、テレビに定着し始めた頃だから、今すぐに上方漫才大賞にシフトチェンジは難しいかもしれないが、いつか、上方漫才大賞を見据えて、漫才にかけられる時間が今よりもっと増えたら、その時が受賞するべき時になるのかなとも思ったりする。

上方漫才大賞を狙って全国ツアーをするというのも変な話だが、アインシュタインも結構全国ツアーに力入れてるし、やっぱりそういうところも求められているのかなとも思ったりする。(アインシュタインがそのような理由で全国ツアーを敢行しているのかは定かではないが…)

少し話は飛ぶが、大賞に関しては、何人かが順番待ちの状態だと思うし(和牛銀シャリスーマラガクテンソク辺り)、正直なところまだ先の気もする。M-1優勝とかならまた変わるかもしれないが、現状では、上も詰まっている状況なので、少し先かなあとも思う。個人的には、獲れないわけないと思うし、見取り図がこのまま一生上方漫才の賞を獲れないなんてことがあれば、それはもうもはや「上方漫才大賞」そのものの信頼が落ちるレベルだとは思うので(主観です)、何年後かは分からないけど、その時は必ず来るから待つだけだよなと。



分からないなりに色々考え、このような結論になりました。的はずれなこと、知識がない故の恥ずかしい思い違い等もあるかと思います。
その際は、優しくご指導いただけますと幸いです。
加えて、私のこのような行為で、読んでくださった方並びにご本人を不快な気持ちにさせてしまうことがあってはならないので、その可能性があるならば、すぐにでも削除します。

次回はご縁がありますように。

以上

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