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Syrup16gが新譜を出す。ライブをする。

表題の事実を受けてまず思ったこと。
「五十嵐隆が生きていてよかった。」

昨日、ちょうど「生還」を観ていた。
『昨日より今日が 素晴らしい日なんて わかってる そんな事 当り前の事さ』
「Reborn」から始まるライブ、まさに生還だ。
あのライブ映像を観たら泣けると思って、ベストとしか言いようのないセットリストにもれなく涙した。

Syrup16gがどういうバンドか。
他にはないコード感を大事にし、ダブルミーニングの言葉遊びをしながら、内省的な歌詞を、フロントマンである五十嵐隆が書いているギターロック。
紡がれるそのメロディが美しかったり、興味深かったりする。内省的な歌詞は「これはいつか見た景色だ」と天を仰ぐ。

Syrup16gはいつでも頓服のような効き方をする。
どうしようもないときに、どうしようもない状況下に置かれたどうしようもない自分を、救うでも殺すでもない、ただ生き延びていることを知らせる。
あんたの現在位置はこの辺だよ、そう言われているような気持ちになる、そんなバンドだ。

私は結成当初から彼らの姿を追っていたわけではない。年月が長ければ長いほどそのシーンに立ち会っていらした方々の熱を得たり情報を得たいと血眼になったりするものだが、それらを一切排除しながらただ「そこに在る」ので、Syrup16gにはそういう必要がない。

新譜が出る。ライブもやる。
新しい曲がSyrup16gのセットリストに新曲が入る。
Syrup16gが生きている。
これ以上に何があろうか。

五十嵐さんは心身に鞭を打ちすぎると生活がだめになってしまう方だと、勝手に思っている。
たしかセルフタイトルの「Syrup16g」はバンドのリズムと本人の調子が合わなくなり、歯車が狂ってしまって、Syrup16g自体が活動休止になった。
その後はソロ活動に向けて動いていたが、音源を出すこともなく五十嵐さんの名前を聞かなくなった。

そういう事情もあるにはあった。五十嵐さんは休みながらも何かを作っていて、生活費のためにCD-BOXを出したりしながら「生存」を伝えてくれた。
その度に私は「五十嵐隆が生きていてよかったなあ」と胸を撫で下ろしていた。

休止後、Syrup16gとしての活動を一旦停止した際に受けていらしたロッキングオンジャパンでのインタビューでも、ギターに触れず犬の散歩しかしていないといった旨の発言をしていたような記憶がある(要出典)。
ごはんを食べるお金を稼ぐための行動。
この社会に生きている人間にとって必要な代謝で、生存するために必要な行動である。それはシステムとして組み込まれている。見えているところでも見えないところでも、誰かが動かないと回らなくなることばかりだ。
当たり前だ。

じゃあ、Syrup16gが、五十嵐隆が、新譜を出してライブをやることは当たり前か?


私は少しずつ作品を買って、サブスクで聴いて、烏滸がましいながらもあなたの生活の足しになればと。ただそのささやかな思いを心のどこかで抱えていた。
ずっとその芽は摘まれずに、「元気だろうか」と。誰に言われるわけでもなければ誰が教えてくれるでもないが、ただそう思っていた。
いつかその姿が直接見られたらいいなとぼんやりして、それが叶わないまま年が過ぎた。

昨年、配信で観たライブはそれはもう素晴らしいものだった。「Syrup16gがライブをやっている」ことに打ち震えた。そのときも「元気そうでよかったなあ」とそっと呟いた。
ギターソロも、歌も、もちろんバンドアンサンブルも、これは最高傑作と言ってもいいのではないかとさえ感じ入った。
これはどうしようもない余談だが、調子の悪い五十嵐さんはギターソロが弾けない。声も出ない。それはもう、そういうものだからそうなのである。人間は必ずしも完全なパフォーマンスをするわけではない。しかしそんなことは感じさせなかった。
生命を削り取って、絞り出すような、その叫びに、生きて戻ってきてくれたと強く感じた。

そんなSyrup16g。
新譜。
新譜が、出るらしい。
5年ぶりだそうだ。

こんなに感動するものだとは思っていなかった。
胸の奥から「五十嵐隆が生きていてよかった」と、言葉にするのもからがらな思いが溢れてきた。

私は幸いにも「神のカルマ」の中で歌われているような『心療内科のBGMが空いてる鼓膜に張り付いて息が出来ない』ことはなかった。
『最新ビデオの棚の前で2時間以上も立ちつくして何も借りれない』こともなかった。
生きていればそういうこともある。いつかそうなる日が近いような気はずっとしている。

ただ、『本当の事を言えば俺はもう何にも求めてないからこの歌声が君に触れなくても仕方ないと思う』は、そうだ。「夢」での歌詞を思い続けている。

これまでSyrup16gにどのような気持ちを抱えてきたのか。
それは「透明な日」のサビで諦念として置かれた『ああそのバスは今日も来ませんか』だろうか。
今日、来たなあ。

syrup16g『Les Misé blue』
2022年11月23日(水)発売
とのことだ。

待とう。
今現在、五十嵐さんは元気そうだ。
ほんとうに、生きていてよかった。

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