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荒川洋治論(序)-荒川洋治氏の評価について

2012-12-19 19:54:03
テーマ:評論・詩・荒川洋治
今回、荒川洋治氏の作品について思うところを書いてみようと思う。題名を「荒川洋治論(序)ー荒川洋治氏の評価について」としたのは、荒川洋治氏の言葉の使い方をどうとらえるか、それに対して自分自身の言葉への向かい方をどうしようと考えるか、それが、現代詩をどう詩人がとらえているかを示すと思うからである。

戦前の詩人を考える時、私たちは、ひとつの考え方を持っている。教科書で教わり、いろいろな詩批評で読んで、ひとつの考え方ができあがっている。下のような感じである。代表する詩人の名だけをあげる。

①高橋新吉のダダイズム/②安西冬衛のイマジスム/③中野重治のプロレタリア詩と転向文学/④西脇順三郎の詩と海外詩の影響/⑤滝口修造のシュールレアリスム/⑥三好達治と国民詩人/⑦「四季」派と抒情詩/⑧草野心平と「歴程」/⑨中原中也・立原道造・伊東静雄の個性/⑩金子光晴・小熊秀雄の個性/⑪戦争詩/⑫戦後詩の始まり

この①から⑪は、ほぼほとんどの批評家が同じ意見を持っている。しかし、⑫からの評価について、つまりここ65年の詩作品についての評価が、最近変わろうとしている。あるいは、過去の評価を変えないと、現代詩人は自分の立場がわからないところへ来ているのだろうと思う。

ほんの65年の詩の歴史、しかも、みんな個性があり過ぎて、ひとりの詩人を特別に扱うことはできず、新しい詩の流れを生み出したグループは、「荒地」派の他に見当たらないこの戦後の歴史の中で、現代詩人は悩んでいると思う。自分の立つ場が明確にできないのではないだろうかと思うのだ。それを野村喜和夫氏の批評を読んで感じた。

それを私は、野村喜和夫氏の作品を例にして考えてみたいと思った。というのは、私が知る範囲で、彼は、はっきりと現代詩人として、現在の詩の状態についてはっきり表明する詩人だとおもうからである。

私は、最初、野村氏は『現代詩作マニュアル』を書く時、三つの点で誤ったと思った。

ひとつ、「荒地」派の詩が、時代に限定された限界をもつと考えたことである。

しかし、言葉は作者を離れた時から普遍性を持つ。多分、「荒地」派の作品を、著者名を隠して若い読者に読んでもらったら、「政治性」「人生の意味」等々、いろいろな反応が返ってくるだろう。例えば、田村隆一氏の詩作品を、作者名を表示せずに読んでもらうと、今の詩人の作品だと思う人が多いだろう。「・・・・・一篇の詩が生まれるためには/われわれは殺されなければならない/多くのものを殺さなければならない/多くの愛するもを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ・・・・」(「四千の日と夜」)
どうだろう。六十年前のこの詩は、言葉の普遍性のゆえに、現代性を持っているのではないだろうか。

ふたつ目は、荒川洋治氏『水駅』を例として詩の通俗化についに語っている時、その通俗化が荒川洋治氏個人に起きている現象だと勘違いしているように思えるからである。

こうある。「荒川洋治は戦後の生まれであり、もちろん戦争は知りません。だから、『国境』も『復員』もフィクショナルなものにすぎず、戦後詩の第一世代がもちえたような体験的リアリティとは無縁です。」
「戦後の時間のなかで戦中を生きようとした『荒地』グループの逆説と社会的孤立についてはすでに述べましたが、・・・・彼らがもともとはモダニズム系あったことを忘れてはならないと思います。モダニズムとは、ひとことで言うなら詩的言語の自律性ら重きを置く立場です。・・・・・・吉岡実の登場によって、モダニズムという『詩の革命』の系はその戦前からの連続性を大いに快復し、そしてかつてないほどに、みずからの豊穣な未知の領土を自覚するのです。」

三つ目は、自分たちを吉岡実氏の後継として位置付けている点である。このことは、荒川洋治氏の作品について考えた後に、吉岡実氏の作品で考えたいと思う。

野村喜和夫氏は、荒川洋治氏の詩の言葉は「フィクショナルなものにすぎず」、経験した「復員」等の言葉が、意味でなく、美的感覚で用いられていると感じた。

次は、荒川洋治氏の「水駅」の最初である。・・・・・「妻はしきりと河の名をきいた。肌のぬくみを引きわけて、わたしたちはすすむ。・・・・・・・
国境、この美しいことばにみとれて、いつも双つの国は生まれた。二色の果皮をむきつづけ、錆びる水にむきつづけ、わたしたちはどこまでも復員する。・・・・・」(「水駅」荒川洋治)

しかし、下は同時期の野村氏の作品の一部である。

「這う眼の先へ息。/こころみに吹きかけて。/息のした。たまらなく秘匿され。/たまらなく胚かなにか。/ニュートリノ。」 (『息吹節』野村喜和夫)

あと一篇引用しよう。

「柔らかな戦争がしてみたい/夏の午前二時になると/この町の縁辺がまず反りはじめ柔らかな/戦争がしてみたい蛇行する川のかたちになって・・・・・」(「四季アーバニスト第弐番」野村喜和夫)

どうだろう。言葉が意味でなく、ほのかに造り出す雰囲気の世界を作るために用いられているのは同じではないだろうか。野村氏は、荒川氏は復員や戦争の経験もないのに・・・・と書いているが、自分もそうであることを忘れてしまっている。そして、そもそも、詩の言葉には経験ではなく、言葉の後ろにある歴史・意味・色合い・音の感じ等に気付き、用いることである。
確かに、荒川洋治氏の言葉の使い方には、意味でなく自身の感情を表すところがおおい。しかし、それは、現代の詩人の詩の特徴の一つではないだろうか。荒川洋治氏がH氏賞を受賞した頃、野村喜和夫氏は『息吹節』を書いた。言葉が、何かの回りを回りながら、その感覚を書いていく。上に観るように、この野村喜和夫氏の表現も荒川洋治氏と同じだと思う。

あの頃、多くの人が荒川洋治氏の影響を受けた。野村喜和夫氏もそうだろう。そのことをかたらないまま、明確に語らないと、野村氏の詩の立つ位置を説明するのは難しいだろう。

私は、野村喜和夫氏の詩作品と詩批評を追っていくならば、現代詩が迷っているところを洗いだせると考えた。しかし、野村氏の批評を理解するために、荒川洋治氏の詩作品を30年ぶりに読んで、私が考えているような甘い状態ではないのではないか、と思ってきた。
まず、37年前、私が初めて読んだ荒川洋治氏の「水駅」を、もう一度、読んでみた。
「妻はしきりに河の名をきいた。肌のぬくみを引きわけて、わたしたちはすすむ。
みずはながれる、さみしい武勲にねむる岸を著けて。これきりの眼の数でこの瑞の国を過ぎるのはつらい。
ときにひかりの離宮をぬき、清明なシラブルを吐いて、なおふるえる向きに。だがこの水のような移りは決して、いきるものにしみわたることなく、また即ぐにはそれを河とは呼ばぬものだと。
妻には告げて。稚い大陸を、半歳のみどりを。息はそのさきざきを知行の風にはらわれて、あおくゆれるのはむねのしろい水だ。
国境、この美しいことばにみとれて、いつも双つの国はうまれた。二色の果皮をむきつづけ、錆びる水にむきつづけ、わたしたちはどこまでも復員する。やわらかな肱を輓いて。・・・・・(略)・・・・・・・」(『水駅』荒川洋治)
野村氏が問題にしたのは、「国境」「復員」の言葉の使い方だが、野村氏は、「経験していない」と言ってしまった。本音は、言葉の歴史性、指示する事実性を無視しているのは、おかしいと言いたかったのだろう。しかし、それは、言葉の「修辞性」だけを考えると、つまり、言葉の特別な歴史性を無視して、言葉一般(英語、フランス語で考えると分かり易い)として考えると、全く問題ない。それを修辞性という。
シンボリスト、シュールレアリストの言葉を考えると、荒川洋治氏の詩の狙う美が理解しやすい。あるいは新古今和歌集を考えると分かり易い。
ある意味では、そこまで、言葉の指示性、現実性を消し去るところまで現代詩人は現実の実生活や言葉の示す「その対象」より、「言葉」の世界に生きているし、言葉がつくる虚構の想像の世界に美を作ることに心をむけているように思う。
そして、「水駅」の9年後、荒川洋治は下の詩を含む『倫理社会は夢の色』を発表する。
「オリエントの、/銀座の、それも、/暗い道をひろって歩いていたら いきなり/行き止まりにぶつかり息が止まったので/彼女を抱きよせ/網にかけ スカートをたくし上げて/指を入れ お尻のあなにさわった/彼女は意外なことに/このぼくの狂暴に/体をくっつけてきた。
あれでよかったと思う?/と/ユタカにたずねると/(おまえはほんとにスケベエだなあ/・・・・・・・・(略)・・・・・・・・」(『オリエントの道』荒川洋治)
この変化は荒川洋治にとっては、詩そのものの変化ではないだろう。彼にとっては、心情の表現方法を少し変えただけだろう。つまり、荒川洋治氏は全くかわっていない。その詩のスタートの時から、言葉は彼の感覚を、しかもとても身近な感覚を表現する道具だった。それが「国境」であり、「復員」だったのではないだろうか。「水駅」の作者の心の中にあったのは、「妻」に「強き水の眼」で観てもらうことでなく、「官能のようなものに」立ちくらんでいてほしい「妻」への欲望あるいは恋心ではなかろうか。
すると、同じように、「オリエントの道」で作者が書いているのは、彼女の「あな」に触り、写真に撮りたいほど好きであるという恋心であると言える。
まだ荒川洋治氏の作品は読んでいる途中だし、野村氏の荒川洋治論は知らないが、私は、荒川洋治氏の詩は、万葉集の時代から、新古今和歌集、戦後の詩を通じて変わらない、「男性の女性の性への恋心」だと思っている。そして、その技術的な、美的な表現が彼の詩の中心ではないかと思う。
吉本隆明氏が、荒川洋治氏の作品を評して「修辞的な現在」を示すと書いたのは、良し悪しの判断でなく、修辞になってしまう現代詩の現在の事だろうと思う。それは、荒川洋治氏の詩に批判的な目をもっている野村喜和夫氏の作品にも表れている。多分、荒地派の後、みんなそうだろう。鈴木志郎康氏、清岡卓行氏、そして吉岡実氏の作品もそうだろう。少しずつ個性を表しながらだが。
私は、荒地派の後、詩人と作品、そして言葉の関係はほとんど変わっていないと思っている。荒地派はまだ、人類、この世への絶望が、言葉の秤の向こう側にあった。その後、秤に載せる共同の現実や夢が無くなった。詩人は、詩人自身の感性が捉える世界を、言葉を美しく使って、つまり、美しい心象を表現する(あるいは卑猥な心象を表現する)しかなかった。それが現在の詩の状態ではなかろうか。清岡卓行氏や吉岡実氏の時代、40年から30年前は良かった。彼らの個性的な表現が際立ったからだ。
それから30年。詩人は、言葉の向かう個性的な方向と自身の表現の個性的な対象を選ぶことができず、迷っているように思える。
「この一行で死んで良い」という詩を世界は許さない状態になった。私たちの時代には許されていないのだろう。
野村喜和夫氏の詩批評をスタートにしたが、しばらく、現代詩にとって修辞とは何か、荒川洋治氏の作品から考えたいと思う。
(2012.12.02)

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