見出し画像

荒川洋治論⑨ー彼の「壇」への向かい方ー

2013-01-06 08:24:15
テーマ:評論・詩・荒川洋治
前回、「荒川洋治論⑧ー彼の「壇」の境の無くし方②ー」で次のように書いた。・・・・・・・・・・以前、彼は、詩の敷居の高さから読者が入ってこれない、と書いていた。私は、その機会は『倫理社会は夢の色』や『ヒロイン』の特徴を強くし、他の難しい要素をなくし、エロティクな娯楽小説と張り合う詩集を出すことが、最も良い方法ではなかったかと思っている。娯楽小説、エッセイ、ノンフィクション、純文学、演劇脚本の順で、ひとつずつ段差のない作品を発表し、読者をつかまえる事。それしか方法はないのではないか、と思っている。唐十郎の舞台で小説を引用したり、俵万智の短歌が受け入れられたのは、観客、読者の方からである。現在の詩の「壇」の高さをなくすには、外からしか方法はないだろう。しかし、それでも「壇」は残るだろうと思う。「壇」は、「壇」を自由に行き来する個人を認めるが、「壇」そのものが無くなったり、誰もが自由に行き来することは認めないだろう。今、荒川洋治氏が自由に行き来しているかは知らない。しかし、上に書いたように、「娯楽詩」という分野をつくることはできただろうし、『水駅』の後、そのまま、「インフィクション詩」を簡単に書くこともできただろうと思う。しかし、彼はそうしなかった。理由は分からない。その時は、その欲望が強くなかった?でも今でもできるはずだ。もしかすると、詩「壇」に違和感はあっても、「詩」からははなれられないのかもしれない。・・・・・・・・

これが『水駅』から『渡世』『空中の茱萸』と読んできて、『心理』を開いて、私の理解が誤っていたのか、荒川洋治氏が、戦法を変えたか、あるいは、これまでの言葉への向かい方を変えたのではないかとすら思ってしまう。それほど変わったとしか言いようがない。

Ⅰ.現在の荒川洋治氏の方向

A.『心理』について

『心理』におさめられているのは、2000年から2004年までの作品である。
まず、一般の読者が開いて、「楽しそう! 読むぞ!」と思うような内容でない。つまり、これらの作品は、まだ、詩「壇」の「仲間」を読者と想定してかいているということだ。

a.荒川洋治氏の詩「壇」への思い(2000年作品)

その中で古い、2000年の作品二作、『こどもの定期』と『足跡』を読んだ。
『こどもの定期』は、歴史の事実と作者の意図、読者の思いがズレ、いわゆる歴史的名著と呼ばれる文学作品の内容には、現代の人は誰も気を払わないし、知ろうとしない。読者もファッション、あるいは、「読んでいる」という気分良さで継続しているという、「現代詩」への皮肉であろう。また、『足跡』も、「植民地の画家」である自分と、路面電車である詩「壇」の関係とその心理を書いているとしか想像できない。

「いつまでもあの/勢力の下で ものもいえず/彼らのいいなりになっているわけにはいかないのだ/勇気のないものだけがいつかはこんなことをする/「植民地最高」の繪であることを捨てよう・・・・」
「趣味も反射もない 明日でも昨日でも/なにもできない人たちの人だかりなのだ 重い体なのだ・・・」(『足跡』)

これらは、作者の詩「壇」への思いと理解しないと意味が理解できないのである。

b.郵便番号等のデータ、地名等の固有名詞の多用

これまでの荒川洋治氏の作品には見られなかったのが、郵便番号等のデータ、地名等の固有名詞の多用である。また、過去の作家、詩人の固有名詞や作品名の使用である。2001年以降の作品12作について調べると、下のようになる。

『宝石の写真』(2004年)・・・郵便番号と住所の多用
『デトロイト』(2003年)・・・・・アメリカの地名が少し
『心理』(2001年)・・・・・・・・・丸山眞男と講演名
『集会場の緑』(書き下ろし)
『軽井沢』(2002年)・・・・・・・佐野学等の名前と戦前の左翼の雑誌
『話』(2003年)・・・・・・・・・・・尾崎紅葉
『葡萄と皮』(2004年)・・・・・・インドネシア・ジャワの都市別人口リスト、朝鮮語講師の名前
『美しい村』(2002年)・・・・・・堀辰夫の名とアフガニスタンの詩人の名前
『風俗小説論』(2003年)・・・・丹羽文雄と作品名、中村光男の名前
『カラカラ』(2004年)・・・・・・・スペインでの都市別逮捕者数リスト、日本の市町村人口リスト
『安房』(書き下ろし)
『あからしま風』(2005年)・・・片山潜、江藤淳等の名前

二作の書き下ろし以外は、固有名詞を引用しての物語の組み立てや、人口リスト、郵便番号リスト、等を利用して物語を進めている。

この手法を、作者は何のために取ったか? それだけが私の関心である。私も、個人名を引用することは良く行う。しかし、ほとんど、その個人への讃歌の詩の場合である。しかし、荒川洋治氏の場合はどうだろう。上の作品のそれぞれの「結び」の行と固有名詞や郵便番号と並べてみるとわかる。

『宝石の写真』(2004年)・・・郵便番号と住所の多用
結び:「・・・なにかの土台になるような、ああそんなことになりたいな/『宝石よりも宝石の写真なの』『そのようね』・・・」

『デトロイト』(2003年)・・・・・アメリカの地名が少し
結び:「・・・人が列車のなかで行なうことは/まぼろしだ・・・」

『心理』(2001年)・・・・・・・・・丸山眞男と講演名
結び:「・・・『飛ぶ』とは雲をつかむ話だ/『西鶴に飛ぶ』『秋声に飛ぶ』/といわれても/子犬は生まれたところを歩く/心理は/心からは遠いところ/大叱責(おおしかられ)の大嵐!」「これからも生まれたところを/歩いていく/心理だ、・・・・・」

『軽井沢』(2002年)・・・・・・・佐野学等の名前と戦前の左翼の雑誌
結び:「・・・むねの小さな羽だったのに ひとりでにはずれた/ひとりで国策をこしらえて 粘土のように育て/小止みの雨に粘りついた 小屋へ投棄しながら泣いた/これからも誰かの目もとでこの涙はこぼれてやまないだろう と思えるほどに/・・・」

『話』(2003年)・・・・・・・・・・・尾崎紅葉
結び:「口を開き 話をはじめる/冷えてゆけ 何もかも冷えてゆけ/・・・」

『葡萄と皮』(2004年)・・・・・・インドネシア・ジャワの都市別人口リスト、朝鮮語講師の名前
結び:「真夜中の沼で/詩『恋の一生をおえるために』/封筒をわたしあう/・・・」

『美しい村』(2002年)・・・・・・堀辰夫の名とアフガニスタンの詩人の名前
結び:「・・・でもぼくは/日本に生まれた男の子のうれしさで/ずっとそのあとをついていくのだろう/・・・」

『風俗小説論』(2003年)・・・・丹羽文雄と作品名、中村光男の名前
結び:「・・・がらがらが 四日市の北浜田で振られ/そのあと大阪で 振られたあと/この世界で 止まる」

『カラカラ』(2004年)・・・・・・・スペインでの都市別逮捕者数リスト、日本の市町村人口リスト
結び:「・・・いつも人口を見ている 胸が呼吸でいっぱいなのだ/・・・」
「ありがとう、町のあんちゃん/あんちゃんを、これまで 数えたことはないけれど/たいせつな人だ/・・・・」

『あからしま風』(2005年)・・・片山潜、江藤淳等の名前
結び:「・・・子供たちの山となる 向こうの高い山/負傷した攻撃の赤い雲を 静まる風を/ことしも友人の家で/見ている」

B.『心理』を発表する作者の思い

a.荒川洋治氏の心理(想像)

上で拾い上げた「結び」だけをならべ、その他の修辞(もちろん、そこには作者が感情を重ねた部分もあるが)をすべて取り払い、作者である荒川洋治氏の心の中を、詩集の順に並べ、想像で読み変えると下のようになる。
これが正しい(??)詩の読み方であるかどうかはわからない。しかし、『心理』は、それまでの詩集よりも、意識的に理解し辛く書かれ、暗喩というよりも、連想か彼の経験で繋がる言葉がひとつの流れに書かれているように思うので、これもひとつの方法だと思う。

【想像による荒川洋治氏のモチーフ(独白風に)】

・・・・・詩でもエッセイでも書いていくなら、一時的に「きれいだ」とほめられるよりも、その後の文学の歴史のひとつの土台になるような、そんな作品を書きたいな・・・・・・・だって、生きるのは幻のように消えるし、残したい・・・・・・・・文学の歴史でAからBへ伝わったとかいっても、本当だろうか??作者は自分の書き方で書いていくしかない。私に現代詩の歴史を継いでいくべきだと言っても、私は私だ、嫌われようと、叱られようと、自分の詩の道しかあゆめないのだから。これからも自分の道を歩むしかない。それが、自然な心理だ。・・・・・・自分の詩も、出版社も自分で立ち上げ、一人前になるようにやってきた。壊れないように泣くながらやってきたんだ。何度も諦めた仕事もある。そのたびに泣く思いをした。これからも、誰の前でも、たとえ泣くとしても続けて行く・・・・・・・高いところから話すひとを人々は見には来る。しかし、話をはじめると、人々の心はがっかりするのだ・・・・・・・・詩「壇」にはお墨付きをもらっていないかもしれないが、ひとりの詩人が命をかけて書く作品は、ひとからひとへと伝わり、読まれるものだ・・・・・・・私の進む詩の道は、詩「壇」とは違う方向に向かっているかもしれない。しかし、同じ日本語で詩を書く人間として、私は自分の道を行く。それがうれしいのだ・・・・・・・娯楽小説はこれまで読まれてきた。しかし、読み手は少なくなるだろう・・・・・・いつも読者数を見ている。これまで、詩「壇」の人々とその周りの人々が読者だったが、これまで詩を読んだことがない人にも読んでほしい・・・・・・・読者を喜ばそうと(せきぞろになると)すると、攻撃され、厳しい評価を受ける。まだ、「これで良し」という安心感はない・・・・・・・・

これが、私が想像した作者の心理である。どうであろうか。そして、『心理』では各作品全体で暗喩を作りつつ、その修辞部分が大きくなり、また、まるで違う分野から修辞の材料とする言葉をもってきていると思う

b.言葉の流れの不自然さについて

先に書いたように、『心理』には、言葉の流れに不自然さを感じるところがある。シュールレアリズムの方式でなく、暗喩でなく、作者の個人的な心理あるいは経験の中で結びついている言葉の流れがあるように思う。

「他人になれる少し前に かきけしてしまう」(『デトロイト』)
「ぼんやりと軽く会社をかぶせながら」(『デトロイト』)
「・・・出たら/雨の日の傘にみせよう 子犬にも」(『心理』)
「・・・だがこの美麗な町には/くちびるがあり/数々の投棄を果たした/・・・」(『軽井沢』)

例であげると、上のような行である。読んで理解できない。考えて、想像し、読むしかない。

『心理』は、もともと一般の読者に読まれることを想定していないのだろう。多分、詩「壇」の人々とその周りの人々に、どこまでの想像性をもって読んでくれますか??と提出した作品集ではないだろうか。
前回、下の図を書いた。荒川洋治氏の、詩から、他の分野との境を取り除くと云う計画を想像して、それを説明するために書いた。
『心理』は詩集である。しかし、その作者の意図を考えると、『心理』の位置は、下の場所になるのではないだろうか。

≪言葉のイデアと流れを重要視する≫
↑娯楽小説
↑   ノンフィクション
↑      純文学
↑        エッセイ
↑          演劇脚本
↑            詩    
→→→→→→→→→→≪作者の思いを表現することを重要視≫
↓ 
↓               『心理』 
↓               

つまり、これまでの荒川洋治氏の詩と比較しても、読みづらい、さっと意味を把握することができない。どうも、作品のモチーフを飾る修飾部分を独特な感覚を表しだそうと選択しているために、「意味の把握のし辛さ」「そこにその言葉があることの必然性を感じる実感の無さ」がどうしても感じられる。

この「荒川洋治論」を始める時、「現代詩文庫」を読んで、下の九の項目を無くすことが、作者の意図するところではないか、と想像した。そして、それは今も続いているのだろう。
①詩は、真面目である。
②詩の作者と語り手は同じ視点、感性をもつ。
③詩の言葉には知性が感じられるべきである。
④詩の言葉はメッセージをもっているべきである。
⑤詩の作者は何か言いたいことをもっている。
⑥詩は美的である。
⑦詩の作者は作品を肉感的に感じるものにしたい。
⑧形式として、行分けである。
⑨詩と散文の区別がある。

しかし、現在の荒川洋治氏は、①④⑤からのがれられないようである。

C.その他

まず気付くのは、『渡世』は筑摩書房から、『空中の茱萸』は思潮社から、そして、『心理』はみすず書房から、また『詩とことば』は岩波書店から、というその出版社を見る時、詩「壇」との関係はどうであれーーー彼は、ある年齢になると中心に居ないといけない、と作中人物にかたらしていたがーーー出版界との関係は良いのであろう。

しかし、詩を読む人が増えるためには、別の方向へ進まないといけないと思うのだが。私は、個人的には、詩を読む人が増えることは良いことであり、だれもが現代詩の詩集の一冊は愛読し、もっています、という状態が来ると良いと思っている。

荒川洋治氏が本当にそのことを望んでいるかどうかは分からないが、そのためにどうすべきか、いつも考える詩人でいてほしいと思っている。

(2013.01.06)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?