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荒川洋治論⑩ー詩「壇」についてー

テーマ:評論・詩・荒川洋治
野村喜和夫氏の3.11についての『現代詩手帖』での発言、『現代詩作マニュアル』に書かれていた荒川洋治氏批判、荒地派はペシミズムをもたらしただけという内容、自分たちは吉岡実氏の後継であるという内容に驚き、先ず、三十年ぶりに荒川洋治氏の作品を読んだ。この三十年間、どういう討論がなされ、どういう批判が互いに為されたか、どういう批評が書かれたかは分からない。吉本隆明氏の『戦後詩誌論』、北川透氏の『詩的レトリック入門』は読んだ。あとは、荒川洋治氏の詩作品と批評、エッセイ、野村喜和夫氏の詩作品と批評、エッセイを読んで、そこから私自身が感じるところを書きながら、現在、現代詩はどこに立っているか、と考えて来た。

そして、前回、『荒川洋治論⑨』で下のように書いた。私なりに、荒川洋治氏が現在の詩壇をどう考えていると思うか、まとめてみたものだ。

【想像による荒川洋治氏のモチーフ(独白風に)】

・・・・・詩でもエッセイでも書いていくなら、一時的に「きれいだ」とほめられるよりも、その後の文学の歴史のひとつの土台になるような、そんな作品を書きたいな・・・・・・・だって、生きるのは幻のように消えるし、残したい・・・・・・・・文学の歴史でAからBへ伝わったとかいっても、本当だろうか??作者は自分の書き方で書いていくしかない。私に現代詩の歴史を継いでいくべきだと言っても、私は私だ、嫌われようと、叱られようと、自分の詩の道しかあゆめないのだから。これからも自分の道を歩むしかない。それが、自然な心理だ。・・・・・・自分の詩も、出版社も自分で立ち上げ、一人前になるようにやってきた。壊れないように泣くながらやってきたんだ。何度も諦めた仕事もある。そのたびに泣く思いをした。これからも、誰の前でも、たとえ泣くとしても続けて行く・・・・・・・高いところから話すひとを人々は見には来る。しかし、話をはじめると、人々の心はがっかりするのだ・・・・・・・・詩「壇」にはお墨付きをもらっていないかもしれないが、ひとりの詩人が命をかけて書く作品は、ひとからひとへと伝わり、読まれるものだ・・・・・・・私の進む詩の道は、詩「壇」とは違う方向に向かっているかもしれない。しかし、同じ日本語で詩を書く人間として、私は自分の道を行く。それがうれしいのだ・・・・・・・娯楽小説はこれまで読まれてきた。しかし、読み手は少なくなるだろう・・・・・・いつも読者数を見ている。これまで、詩「壇」の人々とその周りの人々が読者だったが、これまで詩を読んだことがない人にも読んでほしい・・・・・・・読者を喜ばそうと(せきぞろになると)すると、攻撃され、厳しい評価を受ける。まだ、「これで良し」という安心感はない・・・・・・・・

そして、野村喜和夫氏の作品を読み、彼の批評『散文センター』、城戸朱里氏との対談『討議戦後詩』を読み、私の甘さを思い知った。

『野村喜和夫論』に書いたが、読者として想定しているのは、大学教授と学生、特にフランス語とフランス文学、言語学を学んでいる学生が想定されているとしか思えない難しさである。

それが、詩もそのようにしている原因である。詩を書く時の言葉の選択が、日常語でなく、専門用語を使用すること、詩人は日常語を壊すために詩を書き、読者は読みづらいだろうがそれを読み解くことが要求される、なぜなら、彼らは、それが詩の役割であり、詩とは一部の人間が専門的に書き読むものだと確信していると感じた。

『討議戦後詩』の谷川俊太郎氏についてのページでこう書いている。

「吉岡実の詩を読むと、詩というのは言語への批判でなければならないということが端的に出ている。言語を超越していかなければならないという倫理的な場に詩の行為を設定するんですね。・・・谷川さんの場合、・・(略)・・ふつうの共同体の言葉で詩を書いているわけで、ラングから詩の富を奪うというようり、詩の富をラングに返す、そうやってラングそのものを詩的なものにしてしまう。・・・・」(134ページ)

さて、吉岡実氏の詩のどこに、詩は言語への批判でなければならないと端的に出ているだろうか。また、ラングから詩の富を奪う詩の行為とは具体的にどういうものか。「・・・・・と出ている」「・・・・は自明である」「誰もが知っているように・・・・」という言葉は、野村氏が自己の発言を何かバックグラウンドに調査結果や理論があるように見せる時に使う常套句である。
吉岡実氏は、詩は言語への批判でなければならないとは言っていないし、彼の作品のどこにもそういうことは表現されていないし、示唆されてもいない。どこか提示してもらいたいと思うくらいである。また、もし「言語を批判する詩」が存在するならどんなものか、見せてほしいと思う。また、ラングから詩の富を奪っている詩作品、あるいは詩人を提示してほしいと思う。

このような、大学でよく見られる、仮構の上に虚構を積み上げ、ひとつの理論に見せること、それが、現代詩に拡がっている病気だと思った。

最近どのような詩が書かれているか、簡単に見てみようと思って、古い『現代詩手帖』2006年6月号「2000年代の詩人たち」を探し求めて読んだ。全く知らない詩人たちの名が並んでいたが、半分は読めた。半分はページを開いて読み始めて、読む気力を失った。誰に向かって書いているのだろうという疑問がわいた。まるで、学生が担当教授へレポートを提出する時、その担当教授の造語を使う、理論の一部を使う、よって秘密集団内でしか通じない言葉になっているというのが実感である。

このことは、野村喜和夫氏の作品について書く時にもっと詳しく書きたい。しかし、私が想像していたより、荒川洋治氏のいう詩「壇」の閉塞性はひどい状態だと認識した。

また、教授と学生の間で、次の講師・助教授への推薦があるように、詩の「壇」でも壇の上の詩人とそのグループに入った詩人の間で、似た関係がある、と嫌な批評まで読んでしまった。

これが「壇」か!!と驚いたというのが正直である。

詩は専門家が書き、専門家が読む。昔の貴族社会の特権の感じを味わいたいのか、本気で詩を能のような伝統芸術にしたいのか、はかりかねるが、私にとっては思いもよらぬことである。

荒川氏が、詩「壇」を壊すことに執着する理由が、このブログを書きはじめた時にははっきりとはしていなかったが、野村氏の批評を読んで納得したというところである。

私は、荒川氏の紫陽社グループがひとつのグループで、他にはないと思っていたが、「壇」には先生がいて生徒がいると、そこにグループができやすいことがわかった。

詩の流れが幾つかに別れて行き、それぞれの流れの違いが明らかになることが、読者のためではないだろうかと考えている。経済学・哲学にも学派があるように、小さい日本の詩の世界も別れていってはどうだろう。最後は一人でたつのが詩人であるはずだから、先ずは二つに、と別れ道を作ってはどうだろうと思っている。

(つづく)

(2013.02.18)

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