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安らぎの日

霞にかくれたビルから少年は飛んだ
かれの手には
向こうへの通行手形が彫られていた
今日のように雲が沈み国を覆った日
青年は緑の迷路に入った
かれの骨から若葉と蔓が伸びた
血でつながる家族の
網の危うさに横たわり
娘は海流が身体をからっぽにするにまかせた
かのじょの寝床に
青い液体が広がった
骨から肉が干された糸のように
絡み合いながら布に織られたおとこは
地球をめぐるミサイルを見ていた
枕に後頭部をのせ
かれの天井をシルクロードの埃がながれ
葬送の管楽器が
終日細く鳴った

かれらの死をみおくってから
きみは出発したのだ
家族がいないことを確認し
きみの死を孤独にむかえるために

本当は
一緒によこたわるあたたかさと
一緒に凍る存在のダイヤモンドのような空の
透明さが
すべてを捨てたあとに
生まれるのを期待して

戦場をはしり回った画家の足跡
喪服の背に
顔をのせていた小説家の裂けた傷
うぶ毛のような緑の芽
絡みあう手脚のような枯れた蔓
死んだあとに吹く風のような
安らぎのかおり

輪郭だけのきみの頭に
宇宙が拡がり
出会ったことのないたましいの
体温と生がこぼれ出る
しばらくするとマットレスは
きみの一部になる
きみの空を死のあとの風がめぐっている

きみの宇宙を
理論の枠の向こうまで行って
きみは戻ってくる
久しぶりにフライパンを暖めて卵を落とす
パンをトーストする
スプーンや皿を洗う
宇宙はどこまでも濡れている

久しぶりの生きていることの楽しさ
甘いパンにトマト
サイコロのかたちの芋
何ヶ月振りかで飲むコーヒー
少年が身を投げた霞ヶ関のビルにかおる
少年が葡萄の蔓になった山奥に
蒸気が立ちこめる
大きな手のひらに手をのせる
生の安らぎの日

窓の外は葉桜
さくらは見逃した
きみの寝床はトルキスタンの砂漠
萌黄色の風が何度も何度も
喜びの手招きをする

きみは外出しようという
命が安らぐ時のなかへ
空に陽がさしこみ歌が聞こえるだろう
きみはすでに
透きとおり
わたしはきみのリズミカルな
呼吸をきいている

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