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荒川洋治論①ー彼の修辞とは何か?①ー

2012-12-19 19:55:29
テーマ:評論・詩・荒川洋治
今、荒川洋治氏の作品についてどのように考えるかが、現代詩をどう考えるかの大きな要素になると思う。スタートは、野村喜和夫氏の詩論が現在の日本の現代詩にどのような意味をもつのか書こうと思ったが、その前に、荒川洋治氏の作品について、その「修辞性」について、その後、吉岡実氏の「詩の歴史に占める位置」について考えたいと思う。

面倒だが、それを行わないといけなくなった。今の日本の現代詩は、どこに立っているか、荒地派の後、時間が過ぎた今見えなくなってしまった、と私は考えている。そのひとつが、野村喜和夫氏が「自分たちは吉岡実氏の後継」と考えている、ことである。

問題は、四点である。これは、野村喜和夫氏の考えをもとに私が考えた問題点である。
①荒地派は、日本現代詩界にその暗さをもたらした。
②荒川洋治氏の作品に対する評価の「修辞的な現在」とは、荒川洋治氏の作品だけの問題か。
③荒地派の後、個人の感性で突出した詩人はいたが、考え方としてのグループがあったか。
④野村喜和夫氏が言う「吉岡実氏の作品」の後継とは何か。

【荒地派について】

野村喜和夫氏は、荒地派がもたらした「暗さ」のために、現代詩が縛られてしまった、その「暗さ」から抜け出す必要があると書いている。このことは前回も書いたが、言葉は普遍性をもつ。古今和歌集の作家が、万葉集は素朴すぎるとか、新古今和歌集の作家が古今和歌集の作家に、言葉の技術性がないと言っても無意味であると思う。

それぞれの時代を通して言葉を読み理解するべきが詩人であり、言葉に関わる人間の基本だろうと思う。

前回書いたとおり、多分、「荒地」派の作品を、著者名を隠して若い読者に読んでもらったら、「政治性」「人生の意味」等々、いろいろな反応が返ってくるだろう。例えば、田村隆一氏の詩作品を、作者名を表示せずに読んでもらうと、今の詩人の作品だと思う人が多いだろう。「・・・・・一篇の詩が生まれるためには/われわれは殺されなければならない/多くのものを殺さなければならない/多くの愛するもを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ・・・・」(「四千の日と夜」)

この作品を現代の読者は、「暗い」と同時に、暗い世界の情勢を思い、「現代性」を表すと読むのではないだろうか。

【荒川洋治氏について言われる「修辞的現在」】

野村喜和夫氏は、荒川洋治氏『水駅』を例として詩の通俗化についてこう書いた。

「荒川洋治は戦後の生まれであり、もちろん戦争は知りません。だから、『国境』も『復員』もフィクショナルなものにすぎず、戦後詩の第一世代がもちえたような体験的リアリティとは無縁です。いうなれば、『うつくしい言葉』として、たとえば『二色の果皮』や『錆びる水』と同一の水準にあるにすぎません。このような表現行為の事態をさして、批評家の吉本隆明は『修辞的現在』と名づけ、その荒川を『若い現代詩の暗喩の意味を変えた最初の、最大の詩人』とまで言挙げしました。」

私には、荒川氏に対する評価の高さに野村氏が感覚的に間違って書いてしまったと思う。というのは、吉本隆明氏の『修辞的現在』いう名づけ、荒川洋治氏を『若い現代詩の暗喩の意味を変えた最初の、最大の詩人』というのは、技法としてめだったからであり、早かったからである。その技法は、その後多くの詩人が、そうとは知らずに行っているし、昔からそういう詩人もいた。

下の詩を読んでほしい。

鉄亜鈴は私の周囲へ私の世界をかく
私の大胸筋はその中心で赤くなる

雲が私の世界へはいってくる
それをぬふて針のような旅客機が旋回し私の中へはいってくる
エンジンの響きが私の内部でする
私の肉体からおびただしい雲が出てゆく
(『体操』)

私の考えでは、修辞性としてはそれほど変わらない。「暗喩の意味を変えた」という荒川洋治氏の「暗喩」を使って書きかえるとこうなる。

鉄亜鈴は私になめらかに
周囲をめぐりながら
私の世界を示す
私の地軸はその中心で赤くなる

私の世界へ
雲が耳や鼻をとおしてはいってくる
針のような旅客機が旋回し私の中へはいってくる
エンジンの響きが私の内部でする
私の肉体からおびただしい雲が出てゆき
きみのサイクロンで回る
(荒川洋治氏風書き換えの村野四郎『体操』)

荒川洋治氏の作品では、すべての言葉が、最終行「きみのサイクロンで回る」ことを表現するための前置きになっている。これが、荒川洋治氏の「暗喩」である。

「修辞的現在」とは、荒川洋治氏の作品の特徴ではない。多分、吉岡実氏、清岡卓行氏、他の現代詩人として名前があがるすべての詩人について言える言葉だろう。それだけでなく、戦前の詩人の作品にも、それが見えるのである。それが「修辞」だろう。そして、「修辞」のみで作品にしたのが荒川洋治氏である。それが私の理解である。「修辞」とは、詩の技術か?それは今後書いていこうと思う。

「修辞」による世界で、「修辞」による表現をなし、それを作品としたのは、現代詩では荒川洋治氏が初めて目立ったのだろう。

下は、適当に新古今和歌集から選んだ。

末の露もとの雫や世の中のおくれさきだつためしなるなむ
(『新古今和歌集巻第八』僧正遍昭)

上の五七は、下にかかる「修辞」である。後から来るものが先になってしまったりする世の中だが、それは、露になり、雫として落ちる水の順序がどうなるかわからないようなものである、という意味であり、書き手は、「世の中のおくれさきだつためしなるなむ」と語るために、その暗喩として「末の露もとの雫や」があるのである。荒川洋治氏と違うのは、ひとつ、荒川洋治氏の場合は、恋心に繋がることである。では下はどうだろう。

春日野の若紫のすりごろもしのぶのみだれかぎり知られず
(『新古今和歌集巻第十一』在原業平)

この和歌も同じで、上の五七五が下の「しのぶのみだれかぎり知られず」の修辞である。

この恋を辛抱する気持ち、誰も分かるまい、というこの和歌は、荒川洋治氏の詩そのものである。

荒川洋治氏の「水駅」を、もう一度、読んでみよう。

「妻はしきりに河の名をきいた。肌のぬくみを引きわけて、わたしたちはすすむ。/
みずはながれる、さみしい武勲にねむる岸を著けて。これきりの眼の数でこの瑞の国を過ぎるのはつらい。/
ときにひかりの離宮をぬき、清明なシラブルを吐いて、なおふるえる向きに。だがこの水のような移りは決して、いきるものにしみわたることなく、また即ぐにはそれを河とは呼ばぬものだと。/
妻には告げて。稚い大陸を、半歳のみどりを。息はそのさきざきを知行の風にはらわれて、あおくゆれるのはむねのしろい水だ。/
国境、この美しいことばにみとれて、いつも双つの国はうまれた。二色の果皮をむきつづけ、錆びる水にむきつづけ、わたしたちはどこまでも復員する。やわらかな肱を輓いて。/
青野季吉は一九五八年五月、このモルダビアの水の駅を発った。その朝も彼は詩人ではなかった。沈むこの邦国を背に、思わず彼を紀念したものは、茜色の寒さではなく、草色の窓のふかみから少女が垂らした絵塑の、きりつけるように直ぐな気性でもなかった。ただあの強き水の眼から、ひといきに激しく視界を隠すため、官能のようなものにあさく立ち暗んだ、清貧な二、三の日付であったと。/
水を行く妻には告げて。」(『水駅』荒川洋治)

荒く表現すると、それまでの詩の言葉は、この最後の一節のための修飾、虚構の物語である。「ただあの強き水の眼から、ひといきに激しく視界を隠すため、官能のようなものにあさく立ち暗んだ、清貧な二、三の日付であったと。/水を行く妻には告げて。」「強き水の眼」はエアーブラシのような表現する意志をもった、鋭い眼と捉えて良いだろう。それから隠れて、性的な感覚を感じながら進もう、という妻への言葉である。あるいは、仮想の妻、詩の言葉だと考えて良いかも知れない。

暗喩に物語をもたせ、昔からあった修辞方法を大きく拡大し、そこに詩の技術を表したのが荒川洋治氏である。

戦前の近代詩を考えると、近代詩・現代詩に、この荒川洋治氏の詩風はない。しかし、私には、万葉集から存在し、特に新古今和歌集にあった喩の形態だと思う。

このことを感じていた野村喜和夫氏は、新しく高く評価するものではないと感じていたのではないだろうか。それが、野村氏の苛立った文面に表れているように思う。

しかし、問題は、「修辞的現在」と呼ばれた荒川洋治氏の「水駅」以来、四十年近くたっているが、現代詩が変わっていないと云うことである。
このことも別テーマで考えたいと思う。

【荒地派後の思想を持った詩人グループ】

荒地派の後、吉本隆明氏の「試行」グループの他、ひとつの思想をもったグループは日本になかった。あるいは、それほど人々をおおえる思想は存在しなかったというしかない。
あるいは、荒地派のあとは、個人の感性がひとりひとりの作品を作り上げたともいえる。

また、思想と言わずに、ひとつの詩風をもったグループというと、もしかすると荒川洋治氏の「紫陽社」グループがあると言えるのかもしれない。

【吉岡実氏の作品】

私は、吉岡実氏の作品は、技術的にシンボリスムであり、ひとつの流れをつくるものではないと考えている。このことは将来の「吉岡実論」で書くつもりである。

さて、荒川洋治氏にとって、詩とは何か?次回はこの件を中心に書きたいと思う。ただ、これは言える。上に書いたように、彼にとっては、詩は恋歌である。

「水駅」の9年後、荒川洋治は下の詩を含む『倫理社会は夢の色』を発表した。
「オリエントの、/銀座の、それも、/暗い道をひろって歩いていたら いきなり/行き止まりにぶつかり息が止まったので/彼女を抱きよせ/網にかけ スカートをたくし上げて/指を入れ お尻のあなにさわった/彼女は意外なことに/このぼくの狂暴に/体をくっつけてきた。
あれでよかったと思う?/と/ユタカにたずねると/(おまえはほんとにスケベエだなあ/・・・・・・・・(略)・・・・・・・・」(『オリエントの道』荒川洋治)
「オリエントの道」で作者が書いているのは、彼女の「あな」に触り、写真に撮りたいほど好きであるという恋心である。
次回のテーマだが、荒川洋治氏の作品のテーマは、「男性の女性の性への恋心」だと思う。そして、その技術的な、美的な表現、つまり「修辞」を膨らませ、そこに仮想の物語を作り上げたのが彼の詩の特徴ではないかと思う。
(2012.12.07)

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