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荒川洋治論⑦ー彼の「壇」の失くし方ー

2013-01-04 07:30:14
テーマ:評論・詩・荒川洋治
前回、「荒川洋治論⑥ー彼の詩のまとめ方ー」の最後にこう書いた。・・・・・・初期の荒川洋治氏の言葉の結び、それが修辞であろうと、その美しさから、だいぶ遠いところに来た。しかし、これが、荒川洋治氏が目指すところか、詩の言葉が自ずから向かっているところかは分からない。詩人が、美を薄めることは、本来の詩人の言葉との共同作業とは逆の作業であるからだ。絵の世界では、キュービズムがあり、詩の世界ではタダイズムがあった。しかし、いづれも、絵や詩の表現の一方法であり、一個人としての画家・詩人の作風となった。詩そのものの形式の変化にはいたらなかった。・・・・万葉集からの和歌の歴史、近代詩の歴史で、美を薄める、あるいは美を壊すことで、詩の新しい流れを作った詩人はいない。一時的に、戦争詩のように、プロパガンダになった時、宣伝が目的なので、美は除外されたが。・・・荒川洋治氏はどこに向かっているのか?次回、『渡世』以後の荒川洋治氏の「結」と修辞、形式を壊すことの意志についてまとめてみたい。 ・・・実際、彼のいうところの起承転結をもとに、「まとめ方」を考えてみようとしたら、「結」に少し美しさを残し、「起承転」はどんどん軽くなり、詩人の本質ー私はそれを美を求めることと思っているがーから遠ざかっていくように思えた。

私が、荒川洋治氏の視点からすると古い詩人かも知れない。

私は、偶然三十年、現代詩を読まない、書かない生活をした。もちろん批評も読んでいないわけだが、今回、それがとても幸いしている。また、こうしてブログを使っているが、荒川洋治氏については、誰のブログも読もうとは思わない。現代詩手帖を久しぶりに読んで、震災に対する詩人の姿勢に驚き、その驚く元となる発言をしていた野村喜和夫氏の岩波書店発行の『現代詩作マニュアル』を読んだことが、この荒川洋治論を描き始めるきっかけである。

多分、現代詩手帖やユリイカ、その他の詩の雑誌やブログには、いろいろな荒川洋治論が書かれているのだろう。それらを読まなくて済んだのは助かった。全く白紙の頭で考える事ができる。

Ⅰ.荒川洋治氏が越えたいもの

私は、荒川洋治氏は、これまでの詩の常識・必須であるもの、下の九つを壊したいとスタートしたと思う。このブログを書き始めた時は、このことに確信をもっていた。多分、あいまいでも、彼はそれを思っていただろう。まず、大きい花火『水駅』の言葉の美しさで現代詩の回りに集まる人々の眼をくらませた。みんなの眼が眩んだのだから、H氏賞受賞は当り前であろう。ランボーのイリュミナシオンに、フランスの一般市民は眩まなかったが、詩人たちが眩暈したのと同じである。

前回まで、私は、現代詩文庫と、岩波書店の『詩とことば』をたよりに、荒川洋治と言う詩人を考えた。そして、彼の「書く」ことの原動力は、下の九点を壊すこと、それらなしでも、「詩」は存在することを示したかったのではないか、と思っていた。

①詩は、真面目である。
②詩の作者と語り手は同じ視点、感性をもつ。
③詩の言葉には知性が感じられるべきである。
④詩の言葉はメッセージをもっているべきである。
⑤詩の作者は何か言いたいことをもっている。
⑥詩は美的である。
⑦詩の作者は作品を肉感的に感じるものにしたい。
⑧形式として、行分けである。
⑨詩と散文の区別がある。

しかし、『ヒロイン』まで読んで、私は少しずれを感じた。『ヒロイン』以後、彼を惹きつけたのは、⑨詩と散文の区別をなくすこと、彼個人の考えでは詩が散文を吸収することではないか、と思っている。

よって、①彼は彼の視点で真面目である。⑥詩は、いや言葉は少しは美しさをもつべきである。彼はこの二点しかもっていないのではないだろか、と想像する。

『詩とことば』で描いていた「社会的な問題」については、『渡世』で『VのK点』という作品がある。タンカー事故のオイル除去ボランティアのことを書いている。しかし、途中にスキーのK点越えの喩を入れたり、モーパッサンやバリスカン運動を入れる。そして、それらを含むたくさんの修辞の最後にこう書く。
「近くには/自分たちの生まれた家と死ぬ家がある/彼らは早く帰った」(『VのK点』)

彼は、社会的な問題、詩人の外の世界で起きている問題と詩をとおして関わろうとした。しかし、私は、荒川洋治氏の個人的な美学の範囲であったと思う。これからどのように変わるかは分からないが、『水駅』以来彼が見に染みこませてきた、詩の「結び」とそれを修辞する他の言葉の存在するところ・・・私は、作者が作る閉ざされた世界と思っている・・・から、言葉が出てこないのである。

『VのK点』は、詩を読みなれた人にも、詩人にも、作者の心の風景はこれで、こう語っていると明確に言いづらいだろう。そういう意味では、彼の作風では、「伝えたいこと」を書くことと「美しさ」を同時に明確に表すのは難しいのかも知れない。『倫理社会は夢の色』の『森』や『ベストセラー』、『ヒロイン』の『ライフワーク』や『おとなのおもちゃ』は、詩の世界に住んでいない人でも読みやすい。誤解はするかもしれない。しかし、読める。しかし、『VのK点』は読みづらい。詩を読みなれない人は二、三行で止めるかもしれない。

詩の社会性については、荒川洋治氏は『詩とことば』で明確に書いているが、作者本人が、模索しているのだろうと思う。

さて、すると、彼は今何処を向いているのか。私がスタートで考えたこれまでの詩を中心とした円周上ではあるが、私は、詩の概念を拡大し、自分が歩んだ円周を詩と名づけるために、最も難しいことを試みていると思う。

それが、詩と散文の区別をなくすことである。彼個人の考えでは詩が散文を吸収することではないか、と思っている。歴史的には、韻文、詩から散文が生まれた。彼はそこにもどそうとしているのではないだろうか。
『渡世』に入っている『雀の毛布』である。「壇」について書いた詩である。
こう始まる。
「詩か小説か それともエッセイか
フィクションなのか ノンフィクションなのか
娯楽小説か純文学か
区別もない ただただ言葉の
だらりとした夏帯

  兄弟でいっしょに勉強するときの
  机は
  二つの机より
  ひとつの机がいい
・・・・・・」(『雀の毛布』)

また『詩とことば』に、こう書いている。「詩は、そのことばで表現した人が、たしかに存在する。たったひとりでも、そのひとは存在する。でも散文では、そのような人がひとりも存在しないこともある。・・・・・・いなくても、いるように書くのが散文なのだ。それが習慣であり決まりなのだ。散文は、つくられたものなのである。」・・・「散文はつくられたものなのである」。そして、こう終えている。「散文は、果たして現実的なものなのか。・・・・・・だが、散文がどんな場合にも人間の心理に直接するものなのかどうか。そのことにも注意しなくてはならない。詩を思うことは、散文を思うことである。・・・・」(『詩とことば』)

私は、荒川洋治氏は、小説、エッセイ、ノンフィクション、娯楽小説、純文学、すべて言葉による作品は詩に取り込めると考え、それを行おう、少なくとも試みようとしていると考えている。

Ⅱ.その後の詩集

その後、『渡世』(1997年)、『空中のぐみ』(1999年)、『心理』(2005年)と詩集を出している。今回、初めて読んだ。

まず、『渡世』が高見順賞、『空中のぐみ』が読売文学賞、『心理』萩原朔太郎賞を受賞していることに驚いた。その時の撰者の談は読んでいないので、分からないが、「継続している新しい試みを評価して」となっているのではないだろうかと想像する。

これまでの詩の理念で考えると幾つもずれるところがあるからである。

A.『渡世』について

『渡世』を読んで感じたのは三点。

①最初に「壇」について書いた『雀の毛布』をおいたこと。

「詩か小説か それともエッセイか/フィクションなのか ノンフィクションなのか/娯楽小説か純文学か/区別もない ただただ言葉の/だらりとした夏帯/兄弟でいっしょに勉強するときの/机は/二つの机より/ひとつの机がいい/物のとりあいが見られるから・・・」

詩「壇」、文「壇」とか、壇の高さも境も無くしましょうという意思表示である。こんなことを考えて、書いていると食べれなくなるリスクがあると感じている、少しだと思うが。

「三〇になっても/家がない、/遊びに来た雀が/机を汚したので腹をたて、/雀をぴしゃりと叩くと雀が死んだ・・・・・・」

この詩を頭に持ってくることができるというのは、今、多分、荒川洋治氏を詩「壇」は叩きつぶせないし、それだけ、『紫陽社』から詩集を出している詩人が多くなったと云う事だろうか。

②想像したほど、散文を含む詩が少なかったこと。

散文を含む作品は、『「空」と「恥」』、『ほおずき』、『赤くなるまで』、『最終案内』、1992年から1996年に書かれた四作品である。書き下ろしはすべて行分け詩である。

これらの散文を含む詩作品を、別ジャンルとして考えると何になるか考えてみた。こうなる。

『「空」と「恥」』・・・・エッセイ
『ほおずき』・・・・・・小説あるいはエッセイ
『赤くなるまで』・・・・小説
『最終案内』・・・・・・エッセイ

詩として読むより、エッセイあるいは小説として読む方が読みやすい。しかし、身についた「結び」はそれぞれの作品についている。

『「空」と「恥」』・・・・「なぜなら/この国の郵便屋さんはちいさなバスでやってきて/必要な手紙だけを笑顔で運ぶからである/空と風と星と詩のあるところへ」
『ほおずき』・・・・・・「黒いマジックを胸に立て、高校と想像を出て行った」
『赤くなるまで』・・・・「その母は娘をぼんやりと抱きよせ、白いスノウボールの花が咲く自分の庭を眺めながら、帽子のない顔をゆらし、『人間はよその家で死ぬこともある』と、ただ一日の話をした。」
『最終案内』・・・「忘れずに、『友人宅』という意味不明の場所を片隅に入れる。」

③行分け詩が散文になった。

先ず気付いたのは、荒川洋治氏の作品は、散文の行分けでできているものがもともと多かったが、『渡世』では体言止めや二、三行での暗喩がなくなり、そのまま散文詩、あるいはエッセイ、小説になるようになっている。

散文を取り込むためにそうなったのかも知れない。これは作者にしか分からないが、私はそう思う。詩は、作者の意識に感づかれないまま、作者の意図に沿って言葉を選んで行くからだ。

今回は、『渡世』のみで、後の二冊については次回に書きたい。

詩『渡世』の次の部分は、作者の、詩「壇」への意思表明だと思うので、引用しておこう。

「 ぺたぺた。
ちゅう。ちゅう。

『ね、うれしいんでしょ。これで、いいんでしょ。
でも、どうして、そんな顔になっていくの?』

そんなとき
言葉は輝く
お尻にさわる は
その力なさにおいて
輝く
日本が
残していい言葉だ
(それがあまりにも
 身の近くにあることが
  結露をそこねるとしても」

言葉の軽さ、卑猥さを避けるのが詩ではない。詩は、全ての言葉を用いるという表明かも知れない。あるいは、娯楽小説と詩の境を取り除くと云う意思表示かもしれない。

(つづく)

(2013.01.04)

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