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『アフターダーク』

『海辺のカフカ』『1Q84』を読んで、この作品はずーっと、横に積んで忘れてしまった。多くの人が「最も好き」とあげる作品だ。


私は、この作品で表現される、鏡の向こうの世界、テレビの向こうの世界が存在し、人が原子罰の世界と行き来できるだけでなく、もうひとりの自分を見ることができる状態が気になった。表現はシナリオのように、テレビカメラの眼にあたる「私たち」の語りが中心で、登場人物たちは、そのカメラが捉えた画像として表現される。


『ねじまき鳥クノニクル』の井戸の中、『1Q84』の高速道路の階段と同じ、別世界への出入り口が、この作品では、テレビ、あるいは鏡になっている。『ねじまき鳥クロニクル』では、第二次世界大戦中のモンゴルや現代の欲望で生きるもう一つの世界へつながり、『1Q84』では、月が二つある、恋人と出会えないまま理解できない戦いを続けなければいけない世界に繋がっていた...。そして、向こうの世界では、死、虐待があり、そして人は傷をうけて戻ってくる。


『アフターダーク』では、マリは暴力の世界から、眠り続ける姉エリのもとに戻って終わる。


著者が最近インタヴューで露わにする、この世界のやむことのない暴力への嫌悪感、それがかくれた動機となり作品の中で、シェルターを作り、そこへ主人公をもどして安らぎを与えているように思える。


私たちに救済の道があるとしたら、個人的な世界の中、あるいは男女や家族という親密な人間関係の中しかないと、著者は語っているのかも知れない。カメラで覗いているようなシナリオ文体は、作品の世界と距離を置いて読むためには良いが、いつもの心象を風景に描く文章が押し殺されているように思う。物語のストーリーとしては、もっと先まで書いてほしいと思う感じが残ったが、マリという少女の心の物語と捉えるなら、姉の眠るベッドという安らぎの場所に戻ってきて、幕を閉じるのも良いのかもしれない。全体として、いつもどおり不可のない作品である。
(2011.12.29)

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