腕も足も短いけど、何か問題でも?
こんばんは。容器に入ったボディクリームを床に落として、床がボディクリームだらけになったまつもとです。床が保湿されました。ありでしょう。
最近、コロナで自粛していたゴルフに行き始めて、自分のメンタルの弱さを感じたり、
駅までの歩く道で、隣を歩くお姉さんは信号を渡れたのに私は渡れなくて電車を逃し、ああ、私は人より足が短いと思ったり、
そう言えば、同じ身長の友達は手が届くところに私は手が届かず荷物が取れないことを思い出して、私腕も短かったじゃん、と思ったり。
自分の身体的特徴や自分の性格について改めて感じては、スポーツ選手にならなくて良かったなあ、と思う。足は20cmしかないし。
思い返してみれば、小中高とほんとにたくさんのスポーツをやってきた。陸上、水泳、バドミントン、ダンス。クラシックバレエなんかも習わせてもらってた。バレエは、なんだかんだ10年くらいやってたような。
なんなら運動は割と得意な方だと思ってた。
学校の成績も良かったし。
でも、大人になってみると、たまに行くヨガでは明らかに隣の主婦の方のほうがバランスよくキープはできてるし、あれ、私、運動できないじゃん、筋肉何もないじゃん、どうなってんねん、と思うことが多くなった。
そう、今になって自分でやっとわかるけど、田舎の高校ではちょびっと運動ができていただけで、明らかにスポーツの才能はないし、身体的にも人より劣ってることが多い。どんなに頑張ったってどうにもできない部分もあるわけなんだよね。
でも小さい頃って、あなたは手が短いし、バレエは向いてないよ、なんて誰も教えてはくれなかった。
1秒1秒が、がさつって言われてたけど。
夢は自分で破れることが良いってことなのかなあ。
まあ、親としては可能性の種を摘むわけにもいかないから、いろんな習い事をさせるってことなんだろうけどね。
バレエは、きっと親が、おしとやかになってほしくて習わせてくれてたんだろう。ごめん、おしとやかさは1ミリも残ってない。とゆうか、そもそも持ち合わせてはないみたい。
でも、夢を見つけるのに、本当に大事なことは、習い事をいっぱいするってことじゃなかったんだ、ってことにも、大人の私は気づいているのだ。
それはこの前、新しいプール付きのホテルでお茶をしたときのこと。空間のデザインが素晴らしくて、どんな人が作ってるんだろう、私の人生の中には空間をデザインする知識を得るという選択がまったくなかったなー、と思った。
銀杏を1シーズンに2万個拾うことはあったけど。
考えてみると、きっとこの空間をデザインをした人は、空間をデザインすることを習い事としてやってた訳じゃない。当たり前だけど、ステキな空間に出会う、という体験があって、自分もこんな空間を作りたい、と思うようになったんだろう。
そう、人間はどんな体験を重ねていくかってことが大事なんじゃないだろうか。
コンサートを見て感動、スポーツを観て感動、なんでもいいから、体験を通して、こんなことがやりたい!自分の使命ってこれなんじゃないか?ってことを見つけていくんだろうね。
もしそうであれば、今からでもできる。遅くはない。
何も直接的に自分がプレイヤーにならなくて良くて、舞台に立つ人や、前に立って活躍する人をサポートする役目だっていい。
私は何に感動して、誰にどんな幸せを届けていきたいかなあ。
そんなことを考える今も、私の腕は短い。
そんな自分も愛して、半径3メートルの人の笑顔を作れる自分であれますように。
以上、まる。
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