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佳津山杉本のすべらない話

高校生のときに
人志松本のすべらない話に
憧れて
佳津山杉本のすべらない話という
DVDを作った。
普通にマネして作ったわけではなく
もはや完全再現に等しいくらいまで
高クオリティで作った。
高校までは良かったのだが、
芸人になって見返せなくなってしまった。
めちゃくちゃ恥ずかしくて
今じゃもう見れない。

NSCの頃、
同期のネイチャーバーガー笹本と
鳥山大介、今はフリーで活動しているジャンスーに深夜にこのDVDを発見され、
めちゃくちゃいじられて、
めちゃくちゃ爆笑され、
実家に送り返した。
封印していたのに
今年の2月に
鳥山大介がトンツカタン森本さんと
やっている配信『おこたしゃべり』で
勝手にすべらない話を見るライブを
計画し、実行された。
僕からしたら公開処刑並みに
恥ずかしいし、
本当に久しぶりに見た。
本当にライブ中信じられないくらい
汗びっしょりになり、
マジでキツかったが
なんか懐かしい気持ちにもなり
そのことについて
色々教えてほしいと言われるので
少し経緯を書いていくことにする。





高校2年生の頃
お笑いにMAXにハマっていた。
友達からアメトーークのDVDを借り
めちゃくちゃみまくった。
『後輩のアンタッチャブル山崎に憧れてる芸人』や『竜兵会』が面白すぎて、何回もリピートして見た。
放課後のゴミ出しじゃんけんは
みなさんのおかげでの男気じゃんけんで決め、
部活の皆で部室でイロモネアごっこ。
お笑い芸人になりたいなぁって
薄々思い始めたのはこの頃なのかな?

ある時
自分でバラエティ番組の
パロディやれないかな?
それをDVDにして、
自分らがテレビ出れる感覚になれないかな?
と思い、
高校時代はバレーボール部に
所属していたので
自分らの代8人に頼んで
何かバラエティできないかな?
と勝手に1人で考えていた。

最初はアメトーークをやりたかった。
しかし雨上がり決死隊さんのMCもやりたいし、ひな壇で爆笑をかっさらう芸人の役もやりたい。
難しそうだ。
めちゃイケの色取り忍者は
忍者のコスプレも揃えられないし
お相撲さん役どうしよう。
どうしよう何かスマホ1つで
簡単にできないかなぁと思った時に
たまたまテレビで
人志松本のすべらない話をやっていた。

これだ!!!!

たまにしかやらない番組だから
見落としていたが
ずーっと好きな番組だった。
確かこの時見た回が
クリスマススペシャルで
小籔千豊さんが
『スノーボード』の話で
10代目MVSを獲ったときの回。
やっと自分の部屋に録画機能が付いたので
このクリスマススペシャルも
何回も何回も見た。

まず教室の机を10個くらいくっつけて
すべらない話の大きい机みたいにしよう。
待て待て。教室はいつ空いてる?
土日だったら部活終わりどの教室も
空いてるか!
スーツはどうする?
学ランの襟を内側におり、
ネクタイは100均で買えばいいか!
サイコロは?
サイコロも100均で作れるか!

いける!!

決まりだ。

すべらない話やろう!

こうして勝手にやることが決まり
部活のみんなに話して
ポカーン?って感じだったけど
僕がやろう!って言ったことは
ノリ良くやってくれるみんなだったから
とりあえずスケジュールだけ押さえてもらった。

そして問題点が1つ。
スマホで撮ったやつを
どうやって編集する?
1番身近な人に相談するしかない。

お父さんか…

正直お父さんとは
高校生の時に話した記憶が全然ない。
中学生の時にすんごく嫌いな時期があって
あんまり近寄らないようにしてた時期が
実はあり
中学までやっていたサッカーの試合には
欠かさず見に来てくれていたが
高校でバレーボール部に転向してからは
部活の話なんて一切してないし
試合も一回も見に来てないし、
見に来てくれ!とも頼んでいない。
そんなお父さんに
パソコンをもってるという理由1つで
『動画編集出来ますか?』
と聞いてみた。

『何で?』

『部活のみんなですべらない話を撮ってDVDにしたくて…』


『なにそれ!?めちゃくちゃおもしろそーじゃん!やってやるよ!』

編集してもらうことになった。
編集したことない編集素人。
パソコンは古ーい大きいパソコン。
今みたいにiPhone1つで簡単に
動画編集が出来ない時代だったし
今みたいにデータを送ったりするのだって
すごく時間がかかる。
今思うとめちゃくちゃ大変なことを
させてたなと思う。
しかしそんなお父さんの目は
小学生から中学生まで
僕のサッカーの試合を夢中になって
応援してたときの
あのキラキラした目をしていた。
久しぶりにあんな嬉しそうな顔を
僕に向けていた気がした。
その理由の1つとして
ビデオカメラを買ってきたのだ。

『DVDにして、人様に見せるなら編集してやるからキレイな動画で撮れ』

うちにはビデオカメラがなかった。
僕が小学校の頃に
8ミリビデオカメラを落として
壊してしまった時から
杉本家にはビデオカメラがなかった。
運動会や、サッカーの試合、卒業式など
ビデオカメラで思い出で撮って欲しくて
買ってよ!と言っても買ってもらえなかった
ビデオカメラを
訳の分からないすべらない話をやるためだけに
電気屋で買ってきてくれた。
本当に驚いた。
ネクタイも人数分貸してくれて
ネクタイなんか結べないから
お父さんがネクタイを結んで、
それを緩めて
輪っかになってる状態で渡してくれた。
後は自分で首に巻いてギュッとすれば
ネクタイをしてる状態になるようしてくれた。

全てが揃った。

当日、
部活が終わり
すべらない話をやると言われて
別になんも考えなしに教室へ移動した
皆んなも
学ランを内側におり、ネクタイを締めたら
大人になった気分なのか
テンションを上げてくれて
かっこいい!
大人じゃん!なんて言いつつ
クオリティを高くやることを
理解してくれた。

後輩にカメラを頼んで
司会はキャプテンにやってもらって。
すべらない話のナレーションの声を
下手くそなモノマネで僕がやり
最初のべしゃりの達人たちの登場シーン含め、
オープニングを撮影した。
みんな僕も含めて
めちゃくちゃ恥ずかしいし、
笑いが堪えられない。
しかし段々と慣れてきてパロディに寄せていった。


今思うとまじで
完全再現だった。
話はもちろん素人。
でも、すべらない話をやる!と言って
頑張ってすべらない話を持ってきてくれて
それをしゃべりが苦手なやつもいたけど
全力でやってくれた。
合間には、女優さんとか俳優さんが
見学をしにきてる所も
他の部活のやつらに頼んで
見てもいないのに
『◯◯さんの話が面白かったです!』
とやってもらい
想像以上に面白いものができた。

ビデオを撮ったその夜に
お父さんお母さんに見せ
めちゃくちゃ爆笑してくれて
その日からお父さんが全力で
DVDを作ってくれた。
パソコンがポンコツすぎて
何回もデータが全部飛び、
何日も徹夜して、DVDを完成させてくれた。
パソコンがまだそんなに発達していない時代、
YouTuberなんて存在しない時代に
その時の高校生ができる最高のパロディが
完成した。

そのDVDの存在が
少しだけ学年に広まり、
1学年650人、全体で1,800人の
マンモス高校で
全然知られてなかったバレーボール部の
みんなだが
"すべらない話の人!"と
各々少し知られるようになった。
正直バレーボール部なんて
甲子園経験のある野球部や
花園経験もあるラグビー部などに比べれば
地味部活に区別され、
強化部活軍団に存在感は勝てなかったが
そこから出来たラグビー部や野球部の
友達も沢山いて
みんな友達がすごく増えた。


3年生の頃
友達が増えたおかげで
第2回を色々な部活を交えて
やることになった。
みんな部活も引退したし、
推薦で大学も決まっていた
連中ばっかだったので
予定を合わせられた。
しかし学校としては受験シーズンで
まだまだピリピリしており、
とても教室ですべらない話を撮ろうなんてことは絶対に出来ない空気だった。
なので
中学校のときに必死になって
勉強した早稲田塾に
ふらーっといって
久しぶりに顔を出してきた。
すると
当時のおもしろ塾長と、当時新人で
僕に人生で最初で最後の
数学のテスト100点を取ることを
アシストしてくれた平方根マスターの
先生がいた。
3年ぶりに顔を出したのに
僕のことを覚えていてくれて

"どーしたんだ!久しぶりじゃないか!
佳津山と杉本どっちが名字だっけ?"

3年前と変わらないボケをしてくれた塾長。
たわいもない話をして
速攻本題に入った。

『塾長、教室を貸してくれませんか?
高校最後の思い出を撮りたくて…』

『いいよ!』

二つ返事で貸してくれた。

今となって考えると
本当にやばいことしてる自分。
志望校に落ちて、
志望校に落ちたから塾の送迎会に参加せず
挨拶もせずにやめたその塾に
ふらーっと3年ぶりに顔を出して
教室を貸してくれて!と頼んで
貸してくれた。
本当に感謝しています!猪俣塾長!!

っていう感じで
場所を押さえ
第2回すべらない話〜部活対抗戦〜を
早稲田塾に撮りに行った。
第2回は、2回目ということもあり、
動画や話のクオリティもUPし
出てくれた強化部活軍団の野球部やラグビー部の力もあり、学年全体や先生方にも広まり、
みんな見てくれた。
高校生活最後の良い思い出になった。

第2回ももちろんお父さん編集のもと、
作成されている。
そして
DVDの最後にエンディングがあった。
ミスチルの常套句が流れ、
みんなの幼少期から現在までを
振り返った写真が次々と出てくる。
ちょっと感動したエンディングとなっていた。
その中で僕に向けたメッセージが一言
書いてあり、
僕はそのメッセージ通り
現在お笑い芸人になっている。

いつか
本物のすべらない話に出るのが
僕の1番の夢だ。


衝撃デリバリー 杉本佳津山





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