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助産師学校時代1

群馬で看護学校を卒業したあと、京都の助産師学校を受験し補欠で合格しました。当時の彼氏が京都に就職したため追いかけて行ったのです。(浅はかな子供でありました、余計な学費をかけさせて親には申し訳なく思います)
 赤ちゃんは大好きですが、いざ後期に病院実習が始まるととんでもなくハードな毎日でした。一人十例取り上げさせてもらったり家庭訪問させてもらったり。並行して研究もグループで進めていきます。あと就活と国試の勉強が並行します。
 実習は大阪などの病院にも分かれて泊まり込みでお産をとらせてもらうのですが当時はポケベルを持って待機しました。昼も夜も関係ありません、お産が終わって2時間は何があるかわからないのでずっと観察し褥婦さんに付き添わせてもらいます。お産だから当たり前なのですが二人分の命を預かるということへの覚悟が足りない未熟な認識で恥ずかしい限りです。このような未熟な学生の介助を快く受けてくださった産婦さんたち本当にありがとうございました。
 教官の先生もさぞ看護師経験のない私達の指導は大変さを極めたのではないかと思います。(全員学生上がり)先生の研究室にカルシウム入りのお菓子が山のように食べてあったのを皆で目撃してしてしまい、先生の心労が激しいことを皆で察したのです。厳しく真剣に叱って下さったのは、自分が学生から嫌われてでもちゃんとした助産師になってほしいという先生の覚悟と優しさなのだと今はわかります。
 その他就活もしました。以前実習でお世話になった前橋市の病院に採用して頂けることになり、群馬に戻ってアパートから病院に通勤することになりました。前橋市は看護学校で三年過ごした街で慣れてもいますが、知り合いもほとんどなく新鮮な気持ちでドキドキの病院勤務が始まりました。

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