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還暦異聞 そどくにんべん

少納言よ、香朗朗ひとなりの素読はいかならん、、、

💎小林秀雄全集別巻I人間の建設 新潮社 P286~
(小林) ⋯話が違いますが、岡さん、どこかで、あなたは寺子屋式の素読をやれ、
 とおっしゃっていましたね。一見、極端なばかばかしい、
  ようなことですが
   やはり大変本当な思想があるのを感じました。
(岡)  私自身の経験はないのですが、、、
(小林) ⋯古典はみんな動かせない「すがた」なのです。
            その「すがた」に親しませるという、
         大事なことを素読
               教育が果たした、、、
(岡)   ⋯理性の中を泳いでいる魚は、
                  自分が泳いでいるということがわからない。
(小林)             お説の通りだと思います、、、
(尾生坐婆)        魚意っ、、、
       使子使對曰孔蘧 🐟
       乎日出曰夫子伯
       使  夫子與玉   
       乎  子何之使
          欲為坐人
          寡 而於
          其 問孔
          過 焉子
          而     
          未   
          能
          也     
      、、、 しおしおと使いにしをじを英語でサルート尾もしろいよゝ

💦三好達治 新唐詩選 岩波新書 P163
(三好) 詩を読むことは、何は措き、まず純粋に、読書ない真の喜びであっていい。自由な個人的歓びであることを要する。それが始まりであり終わりで差つかえは無い。果実を啖ものはそれが甘いから啖うのである。やがてそれが彼の栄養となるにしてもテントポールヴァレリーを行っている。この比喩に従っていえば、詩に就いて私の語るところはすべて、美果の甘きを語るより外には出ないであろう。
(尾生坐婆) うめの種はヤバイよ、、、
          襄 莫 偶 主
          中 漫 坐 人
          自 愁 為 不
          有 沽 林 相
          錢 酒 泉 識
          、、、徳利の挙げ底 net de 格子みこうしシヲでジャネイロ

💧パブロ・ピカソ ファブリ世界彫刻集12 P
(ピカソ) 個性は問題にならない。一般に、
    人は自分の個性を送りものに仕立てて、
    それを世に出そうと思っているようだが、くだらない。
    第一、個性を探すといっても、それはないからこそ探すのだろう。
    そして、努力して見つけるということそのものが、
    たとえ見つけたとしても、
    その個性が偽りのものだと言うことを示している。
    私は絵を描く時、個性について、心を悩ます事は無い。
      それを描いたのが私だが、
        私の個性は必然的にそこも含まれる。
                        いやありすぎるほどだ。 
            問題なのはそれ以外の事だ。
              私にとって、絵の果た
               す役割は、運動を
                描くことでは
                  ない。
                  つまり、
                 現実を運動
               の中に置いて捉えること
           ではない。そうではなく、むしろ運動を
      停止させることになる。今は塩を細くするには運動の彼方にまで
     進んでいかなければならない。そうでなければ、いつでも追いかける
       役割に甘んじていなければならない。
          
             Yo no busco, yo encuentro….

                 
                 🕊🐧🕊
                    🕊

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