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「逆転裁判」の行く末、もしくは「成歩堂」の呪い。 #逆転裁判

新作が出ない

2021年10月12日に20周年を迎えた「逆転裁判シリーズ」。有観客&オンライン生配信での20周年記念オーケストラコンサートの開催されるなど、今なおファンからの人気が高い作品です。シリーズ全作品をほぼ遊びとおした私も「逆転裁判シリーズ」の魅力にやられた一人です。
しかしながら、シリーズの最新作は2018年4月に発売された「大逆転裁判2 -成歩堂龍ノ介の覺悟-」、「逆転裁判」の純正ナンバリングになると2016年6月の「逆転裁判6」まで遡ることになります。その後多様なプラットフォームへの配信や「逆転裁判123」「大逆転裁判1&2」等の過去作詰め合わせも定期的に発表していますが、「逆転裁判」の名を冠した新しいタイトルはここ数年発表されていません。ファンとしてなんとも寂しい日々が続いている次第です。
本記事は、なぜ新作がでないのか?に対する私見です。

新要素が思いつかない

ビデオゲームはそれを遊ぶ様々な環境と共に進化してゆくものでしょう。初代「逆転裁判」が発表されたのは今は懐かしいゲームボーイアドバンスでした。横長な画面の中で、「待った!」「異議あり!」が弁護側、検事側から飛び交い、まさに右へ左への大きく「ゆさぶり」をしながら展開してゆく物語は実にドラマティックなものでした。
「逆転裁判 蘇る逆転」からはニンテンドーDSでの発売。2画面とタッチペン操作が出来るハードの特性を生かし、捜査パートなどでタッチペンを利用した体感的な「カガク捜査」を楽しむことができました。
シリーズが続くごとに「逆転裁判」は様々な新要素を盛り込んできました。しかしながらそれらは新作に行くほど目新しさは薄くなり、先細りになっていたように思います。裁判パートにおける推理と解決が物語のクライマックスであり、そこに至るまでの伏線回収や情報集めの為に、捜査パートで推理を行う「サイコロック」はとても面白いものでした。しかし、(そこにまだ隠されている真実が垣間見えるとしても)推理ではないく相手の「癖」を見つけて指摘することで突破口を開く「みぬく」は非論理的で難癖としか感じられないものだったし、相手の「ココロ」の状態を喜怒哀楽の四種に振り分けて相手の心理状況を探る「ココロスコープ」も筋書を強引に通すために作られた感じが否めないものでした。

何と戦うのか

逆転裁判シリーズでは様々な敵役が登場します。ゲームを通してプレイヤーたちは様々な敵役やその背景にある価値観や理不尽と戦ってきました。犯人役も、本来証拠や意見をぶつけ合い真実を見つけだす相手の検事、弁護士が「守る」はずの依頼主、既に亡くなっている相手(やはり「逆転裁判3」は”怪作”だと思う)、弁護士の師匠、一緒に捜査をする相手の刑事、そして国王ひいては法律そのもの、国家ぐるみの巨悪。
戦う相手が変われば、その時に問われているものも変わります。「弁護士はどうあるべきか」「弁護士が裁判を通して見つけるものは何か」「弁護士が救えるものは誰か」「過去に向き合い人は変われるのか」「弁護士は裁判で他者の心の闇を晴らすことができるのか」「弁護士が取り扱う法とはどのようなものであるべきか」「巨悪に立ち向かうとき弁護士が信じるものはなにか」等変化してゆきますが、シリーズが進むにつれて戦う相手も大きな存在となり、物語も長くなってゆきます。戦う相手はどこにいるのか?というのを問い直す必要があるのかもしれません。(それほどに「逆転裁判6」や「大逆転裁判1&2」で問うたものは現実にも繋がる重大な問題だったといえます)物語が長く重厚になることで得られる面白さはあるけれども、まだ「逆転裁判シリーズ」を遊んでいない人にとってそれがハードルにならないほどの、気軽に遊べる作品であることもまた必要だとは思います。

誰か忘れていませんか

逆転裁判シリーズ20周年を記念して、20周年記念サイトが発表されました。

20周年サイトのロゴには「逆転裁判」シリーズのメインキャラクター成歩堂龍一と「大逆転裁判」シリーズのメインキャラクター成歩堂龍之介がそれぞれ背中合わせで描かれています。

誰か忘れていませんか。そう、「逆転裁判4」でメインキャラクターを務めた王泥喜法介です。一応20周年の記念絵では中央に陣取っているし、ソフト紹介時のアイコンなどにも二人の成歩堂に並んで描かれていますが、ロゴには採用されていない。(勿論公式にそのような意図はないにしても)「3人目の男」の扱いをされていると感じました。「逆転」の名を継いでゆくのは、成歩堂の名を持つ者たちなのだと。そしてそう感じたのは単に公式サイトでの表現からだけでなく、これまでのシリーズの展開を振り返ると見えてくるものがあったからです。

「成歩堂」から離れるはずだった

「逆転裁判」から「逆転裁判3」までのメインキャラクターは成歩堂龍一でした。師匠の死、綾里真宵との出会い、友の過去を救済する、衝撃的な依頼人、過去の自分と思い出の人との出会いと再会などを経て、成歩堂龍一が弁護士として成長し、DL6号事件を中心とした綾里家の壮絶な運命にピリオドを打つ物語でした。
物語が綺麗に閉じたこともあったのでしょう、”新章開廷!”と銘打たれた「逆転裁判4」ではメインキャラクターが王泥喜法介に変わり、ニンテンドーDSという新しいハードに移るなどそれまでのシリーズは一区切りさせて、新しい逆転裁判を作り上げようという気概が感じられるものでした。
しかしながら蓋を開けてみると、前作までの主人公の成歩堂龍一はまだゲーム内にいて、しかも諸々の事情があり弁護士資格を剥奪された状況という、それまでの3作で出会った「なるほどくん」の姿は見る影もありません。発売当時の”噂”では、「新作では成歩堂龍一ではない新しい主人公の物語を作ろうとしたが、上層部より成歩堂龍一を登場されることを厳命された」「(当時話題になっていた)裁判員制度をゲームシステムとして採用することを(現場が)押し付けられていた」など様々な憶測が飛び交いましたが、その信憑性は「逆転裁判4」の作品の低評価によって補強されているように感じます。話の本筋に強引に割り込むように登場するやさぐれたなるほどくん、「メイスンシステム」と名付けられた時空を横断する実に都合の良い存在など、それまでの逆転裁判シリーズに比べてかなり凸凹が目立った作品であることは否めません。そしてこの「逆転裁判4」の低評価が、その後の逆転裁判の運命を大きく揺さぶることになったことは疑いようもないでしょう。次のナンバリング作品である「逆転裁判5」が発売されるまで6年もの間が空いてしまうことになりました。

なぜこうなってしまったのか

色々と悪評が目立つ「逆転裁判4」でしたが、しかしながらこれを「成歩堂龍一から離れて一本立ちすることに失敗した作品」と評価することには私は反対です。むしろ「逆転裁判4」が提示したのは「成歩堂龍之介の物語の終わり」だったと思います。これまで活躍してきた主人公が、新たな主人公へとバトンを渡すための物語を描こうとしていたのではないでしょうか。それまでの主人公(成歩堂龍一)と死別するでもなく、行方不明になるでもなく「僕もまた弁護士として法廷に立てるように頑張ろうかな」と希望をもたせながら、王泥喜くんの新しい物語の門出を祝う作品にしようとしたのではないか、と「逆転裁判4」のエンディングを振り返ると私はそのように感じました。
ともすれば、4で描かれた成歩堂の姿は、開発陣が上層部の指令に答えながらも、何とかして成歩堂に区切りをつけようとしたという葛藤の末に生まれた物語だったのかもしれません。
結果として「逆転裁判4」はゲームとして出来の良いものでも、ファンからの評判から良いものでもなくなってしまいました。傍から見ても、上層部?と開発チームのすれ違いを感じざるを得ないのですが、ここからは「なぜこうなってしまったのか」、すなわち「なぜ上層部?は成歩堂龍一をごり押ししたかったのか」を考えようと思います。

「成歩堂」のブランド化とすれ違い

「逆転裁判」の名前が付くものは、ビデオゲーム以外にもたくさん存在します。いわゆるマルチメディア展開と言える戦略です。2006年の8月からは『別冊ヤングマガジン』や『週刊ヤングマガジン』等で短期ながら漫画の連載が行われており、その後も小説・テレビドラマ、宝塚、舞台、実写映画、アニメ放映や様々なテーマパーク等での謎解きイベントなど多種多様な展開が行われています。
これらのマルチメディア展開で特徴的なのは、「逆転裁判」と名の付くもの(一部例外を除く)ほとんどに「成歩堂龍一」が登場しているところです。「逆転裁判3」までの成功を成し遂げ、さらには今後新ハード(NINTENDO DS)での新作開発を控えている段階で、会社として「逆転裁判」をもっと大きな看板タイトルとして育て上げたいという思惑があったことは不思議ではありません。そしてその時に看板として相応しいのはそれまでファンに馴染みの深い「成歩堂龍一」であることも自然なことでしょう。
ところが開発側は新しい主人公の新しい物語を想定していた、ここに大きなすれ違いがあったのではないでしょうか。「逆転裁判4」発売に向けて様々なメディア展開や東京ゲームショウでのイベントなど盛り上げてきましたが、結果的にそれらは空振りに終わってしまった感じが否めません。

模索と復活と終わりの始まり

その後「逆転裁判5」の発売まで、「逆転裁判シリーズ」のゲームは移植やスピンオフ作品の発売が続き、マルチ展開としてはオーケストラコンサートの開催などが行われていました。この時期はまさに「模索」と言えるでしょう。それは今後逆転裁判シリーズをどのような形で続けてゆけばいいのか、というもがきでした。これまでの作品に登場していたキャラクターを柱に出来ないかと点では「逆転検事」、これまで登場していた成歩堂龍一をナンバリングタイトルとは別の時間軸で活躍させる「レイトン教授vs逆転裁判」というコラボ作品。これらは後に発表された他の逆転裁判タイトルの開発にヒントを与えた形にはなったと思います。しかしながら、ナンバリングタイトルを発表するにあたり「4から主人公として据えた王泥喜法介はどうするのか」「成歩堂龍一を(4の結末のような)あの姿のまま終わらせていいのか」という問題からは避けることが出来ません。むしろそれらは逆転裁判ファンの方から自然と出てきた声なのだと思います。
結果として、「逆転裁判5」は成歩堂龍一を主人公に再び復帰させた3人の弁護士そろい踏みという形で発表されました。「逆転裁判5」は「成歩堂龍一の復活」と大きく宣伝され、そしてそれは逆転裁判シリーズの復活だと(私を含め)多くのファンは受け止めていたと記憶しています。しかしながら、今振り返るとそれはシリーズが長続きしない「終わり」への第一歩になってしまったのではとも感じています。
そういった意味では、現在の逆転裁判シリーズの状況を導いたのは、4ではなく5なのではと私は考えています。

「逆転裁判5」「逆転裁判6」の落とし前

「逆転裁判5」では成歩堂龍一が弁護士として復帰をして、前作の主人公である王泥喜法介と時に共闘し時に向き合いながら様々な事件を解決してゆくことになりました。もう一人の弁護士希月心音と並べて「3人主人公そろい踏み!」と評すれば聞こえはいいですが、プレイした感想としては各3キャラクターをそれぞれの得意技(勾玉による「サイコロック」、腕輪による「みぬく」、ココロスコープ)を使い分けて裁判を攻略することが出来る反面、それぞれのキャラクターの存在意義が各スキルに矮小化された感はあり、「ゲーム内で実現したい遊びのためにキャラクターを用意した」という感じでした。また、前作で一人で主人公を張っていたオドロキ君が「格下げ」になってしまった感じも否めませんでした。
2016年に発売された「逆転裁判6」では、オドロキ君の過去が物語の中で明かされたうえ、その出自や運命が物語の中で色濃く描かれていますが、最終的には主人公の座から外れた扱いに落ち着くことになりました。「逆転裁判5」で開発陣が選んだ道は、王泥喜法介を主人公として独り立ちさせて新たな物語を描くことではなく、成歩堂龍一を主人公に引き戻すものでした。結果として5も6も「王泥喜法介の処遇を納めるゲーム」になってしまった側面があったと思います。

「逆転裁判=成歩堂の物語」というブランディング

「逆転裁判5」が発売された2013年前後から、「逆転裁判」の名を冠した様々な催事やマルチメディア展開が活発になっています。(2012年に実写映画「逆転裁判」、2013年に舞台劇「逆転裁判~逆転のスポットライト~」、ジョイポリスイベント、ボイスドラマ等)
また2014年には「大逆転裁判」が新プロジェクトとして発表され、そこでは成歩堂龍一のご先祖様である「成歩堂龍ノ介」が主人公として登場します。「逆転裁判5」発売に合わせて大きく宣伝を仕掛けてきたと捉えるのが一般的な反応だと思いますが、今こうして振り返ると、それらは「逆転裁判=成歩堂(龍一)の物語」というブランディングの為に行われてきたものなのではと、そう思うようになりました。マルチメディア展開の中で描かれる物語も、どれもが成歩堂龍一(と綾里真宵)が物語の中心にいることが多い、「逆転裁判123」で描かれている”いつもの”逆転裁判の姿なのです。
「成歩堂」の名を持つ者が逆転裁判の世界を引き継いでゆくことが出来るという宣言だと。そう考えると、20周年記念サイトのシルエットが成歩堂の二人であることにも納得がいくような気がしてなりません。

欠落したピース

シリーズの新作がなかなか出てこない理由には、歳を重ねたキャラクターを描くことの難しさもあると思います。「逆転裁判5」の世界は前作「逆転裁判4」から1年がたっており、「逆転裁判3」から8年後の世界となっています。3までに登場したキャラクターたちも8年の歳を重ね、それぞれの人生を送っています。
「逆転裁判5」では成歩堂龍一は弁護士として帰ってきました。ところがそのそばにいるのは、いつもの綾里真宵ではなく、4で登場したみぬきでした。私はずっと不思議に思っていたのです。「4」で弁護士資格を失った成歩堂龍一の側に、なぜ「いつものメンバー」がいないのか。真宵ちゃんが、春美ちゃんが、矢張が、御剣が、糸鋸刑事が、オバちゃんが、なぜいないのか。あの苦しい時期になぜ大切な仲間が側にいなかったのか、それが不思議でありませんでした。
そして5が発売された後、御剣は帰ってきて、6では真宵ちゃんと春美ちゃんが帰ってきました。それでも先ほど挙げた面々は帰ってきませんでした。5を説明する時に「王泥喜法介の処遇を納めるゲーム」と表現しましたが、このような仲間たちが欠落した状態で「成歩堂龍一の人生を描くゲーム」だと評価する気持ちにはどうしてもなれなかったことがあります。
時間が過ぎてそれぞれ歳を重ねれば、キャラクター達にもそれぞれの人生があるでしょう。変わることや変わらないことがあるでしょう。成歩堂だけ帰ってきたのに、その間の人生が描かれなかったことに対して私は不満がありました。

余っていたピース

今は「逆転裁判=成歩堂の物語」と公式が考えているだろう、と推測しているからこそ、先ほど成歩堂の仲間たちが欠落していると表現しました。ですが、私が456をプレイしていた時はまた違った感想をもっていました。4では新主人公オドロキ君をサポートする立場、5ではオドロキ君、心音ちゃんをとりまとめる事務所の所長としての立場、6は所長としての立場もありつつ真宵ちゃんと関わって事件解決のサポートをする立場となっています。いうならば、かつて綾里千尋さんがそうだったように、ナルホド君もまた頼れる上司としての立場になったと考えることができます。
しかしながらゲーム中においてそのような「師匠ポジション」にしっかり収まることが出来たかと言えば、そこまでの落ち着きはないし、かといって以前のような若さ迸る情熱を押し出して弁護するスタイルが似つかわしいかと言われれば、それは少々歳をとったし人生経験もありすぎたのではと感じてしまいます。
ずっと感じていたのは、「このゲーム、ナルホド君がいない方がすっきり物語を描くことが出来たのではないか」ということです。
オドロキ君の成長も、心音ちゃんの乗り越える姿も、ナルホド君抜きで描き切ることは出来たと感じてしまいます。

残された物語は

これまで逆転裁判シリーズでは、プレイヤーが事件を解決してゆく中で、登場した主人公たちが(弁護士として)成長・成熟してゆく姿を見ることができました。ところがナルホド君は成熟し、師匠ポジションに収まってしまいました。
逆転裁判シリーズの師匠ポジションといえば、綾里千尋さんです。そして逆転裁判シリーズは師匠の想いを引き継いだ若者の成長を描いてきた物語です。そう考えると、成歩堂に残された道は、新しい主人公にバトンを渡すために、千尋さんのように命を落とした後に霊媒されて手助けをするのがいいのでは……とも考えてしまいます。
勿論、歳を重ねた成歩堂の姿をこの先描くことも出来るでしょう。けれども開発チームはそのような道を選ばなかったのだと私は理解しています。
成歩堂龍一の物語を、これ以上描くことは難しい。かといって新しい主人公に託すためには成歩堂の処遇をなんとかしなければいけないし、それには4で既に失敗してしまった。
「逆転裁判」のナンバリングタイトルがなかなか生まれないのには、このような背景があるのではと推測します。

初心に帰ろう

「逆転裁判6」はこれまで登場した様々な逆転裁判的要素を詰め込んだまさに集大成ともいえる作品だったと言えます。

だからこそ、ここで終わらせるのではなく新しい「逆転裁判」を私は期待しています。「成歩堂推し」に頼る現状も理解できますが、いつまでも過去に縛られてしまっては未来を掴むことは難しいと思います。失敗を恐れず新作を出し続けることもまた、ファンが望んでいることではないでしょうか。ここで終わらず、この先も「逆転裁判」の名前が聞くことができる世界を私は望んでいます。シリーズごとに長くなる物語も、一度スッパリ短くする。新しいキャラクターを生み出して、彼らをしっかり育ててゆく。などまだ逆転裁判が生まれる前の気持ちに戻って、新作が世に出てくる日を私はずっと待っています。

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たくさんのゲーム音楽演奏会に参加して、たくさんレポートを書いてゆく予定です。