さよなら

昔、好きな人がいた。

ひょんなことから仲良くなって、一緒にふざけたり笑ったり、時々まじめに働いたり。
どこか抜けてる癒し系の雰囲気が大好きで告白したけど、フラれちゃった。
全部くるめていい思い出だ。

それから数年後、私たちは再会した。
同級生の葬儀だった。
卒業してわりとすぐの出来事だったため、彼だけじゃなく本当にたくさんの同級生が集まった。

偶然彼は私の真後ろに座った。
マズいな、と思った。
気まずいな、もあったけど、それ以上にマズいことがあった。

すごい人数の高校生をパイプ椅子に整列させる葬儀スタッフに、私はこっそり伝えた。

「すみません、私クリスチャンで、お焼香ができません。」
「!大丈夫ですよ。お焼香のときは手を組んであげてください。」

さすがスタッフの方は慣れておりきちんと小声で確認してくださったが、この高人口密度で周りの数人には聞こえていた。
彼にも、多分。

式の終わりに一列ずつ前に出て、手向けの花を持ちお焼香を焚き、手を合わせ、退場するという流れ。
私がお焼香をせず、手も合わせず、ただずっとお祈りのポーズをとっている姿が多くの同級生の前にさらされることとなった。

基本的に家のことは隠していたから、みんな驚いた。

式後、こっちを見てひそひそと
(あいつ、アーメンだぜ)(俺も見た。)(マジでいるんだな)(空気読めよ)
と言う男子のグループがいた。

聞こえてますよ。
今どきアーメンなんて戦時中の死語使うやつマジでいるのな。
慣れてますよ。
十何年来の待遇ですから。
君がそこにいるのも、気づいてますよ。
愛想笑いで、(め、珍しいよね。はは)って必死で悪い言葉を使わないようにして話を合わせてるのも。
全部全部、聞こえてますよ。

気遣ったふり?
正義感?
私が喜ぶとでも思ったの???
そういうとこだぞ。

私だってお焼香したかった。
本当はキリスト教なんてクソクラエだし。
弔われる側のスタイルに合わせるのが遺人にとってもベストなはずだ。

それでも私は怖かったのだ。
ご近所さんだらけのこの葬儀で、私がキリスト教式の弔い方をしなかったことが、回り回って親の耳に入ることが。
神に捧げるべき日曜日に執り行われた葬儀ということもあり、両親は参列そのものを止めた。それを振り切って参列した私は、弔い方まで変えることはとてもできなかった。

結局、やっぱり来なきゃよかったのかもなあと思ってしまった。
つのる自己嫌悪。

彼がただどうすればいいのか分からなかったというのもよくわかっている。
わからないなりに頑張ってくれたことも伝わってきた。
私も彼も、自分を守っただけだ。

だからこそ余計にやるせなくて、悲しくて。

家が近すぎる私たちはどうしても一緒に帰りたくなくて、
バスの時間をわざとずらして、大雪の中、私はひとりで歩いて帰った。
使い捨てカイロはとうに冷えてカチコチに固くなっている。
痛い痛い夜道だった。

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