なまえのおはなし②

4月が嫌いだった。

両親は中学校の教師で、毎年4月、新一年生が入学する頃にはいつも「今年のキラキラネーム生徒グランプリ」を食卓で開催しては爆笑していた。
そしてきまって
「こんな名前を付ける親の顔が見たいなあ!」
と放つのだった。

お望み通り両親の正面に鏡を置いてやりたかったがぐっとこらえる。
このときばかりは私の顔からも愛想笑いは消え失せ、苦虫を噛み潰したような顔を隠して味噌汁をすすった。
弟はそこまで大人ではなかったので、反抗心剥き出しで机をバンと叩きドシンドシンと足音を鳴らしながら自分の部屋に帰っていった。
毎年のことなのに両親は毎度不思議そうに顔を見合わせるのだった。
人生で一番嫌な時間だった。

なぜ。
なぜこんなむごいことが笑ってできる。
考えるだけ無駄だ。両親は宇宙人なのだ。
私は毎年怒りに震え脳みその血管を3、4本ブチブチ言わせながら味噌汁をすすることしかできなかった。

皮肉なことに弟の誕生月は4月だった。
弟が産まれた年の4月も、両親は同じ会話をしたのだろうか?その上で役所にあの名前をドヤ顔で提出しに行ったのか。想像しただけで吐き気がする。
医者の不養生ならぬ教師の無教養。

残酷だ。

今回はそんな弟の名前について語る。

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前回“用法用量どころか致死量超えた重たい呪縛”と表現した弟の名前。
私と同じく聖書由来の名前だ。

私は由来以外はまだマシな方だった。
ちょっとひねった読み方だけど、読みの音はよく聞くものだったし漢字もメジャーだ。
地名に例えるなら麻布とか日暮里みたいな。

一方弟は由来・音・漢字どれをとっても救いようがない。
漢字も滅多に名前には使わないものだが、特にひどいのが読み音。普通にグロい。
地名なら宜野座あたりか。
(宜野座に全く罪はないし由来も知らないけど、便宜とか便座とか連想してしまいなんとなく汚く感じてしまう。ごめんなさい。あれこれ私の歪んだ部分露呈しただけでは)
「“野”ついてるから地名としてパーフェクトじゃね?」みたいな浅はか~~~~~な考えが手に取るようにわかる。
ほんとにかわいそう。

私はキラキラネームで、弟はDQNネーム。

両親にはどっちの名前も世界一輝いて見えるっぽい。

神の威光を表す、素晴らしい名前。
こんな唯一無二の名前子どもに授けちゃうなんて、私たちってなんて模範的な信徒。

こんなところだろう。

そんな両親の名前は太郎花子レベルのごくごくありふれた普通の名前だ。私の名前は適当につけられた、と不服そうに話す母の様子をよく覚えている。
私と弟の名前は母が考えたんだろうとこのとき確信した。ちゃんと聞いたことはないけど。聞きたくもないし。
私が男だったらDQNまっしぐらだったに違いない。
弟には申し訳ないけど、長男じゃなくてよかったと心から思うのだった。

そんなわけで弟は大変生きづらい思いをしてきた。
まず初対面では必ず「は?」という反応。
間違えて覚えられるのはしょっちゅうで、そのたびコンプレックスたっぷりの名前を掲げ訂正しなければならなかった。
想像を絶する屈辱だろう。

そして高校進学時(に至るまで本当にいろいろ事件があったが割愛する。後日ちゃんと書く)、弟はある大きな決断をする。

改名だ。

戸籍上の名前を変え、自分で自分に名前を冠して生きていくことにしたのだ。
もう我慢の限界だった。

しかし未成年。保護者の許可なく踏み切ることはできない。
親の答えは当然NOだった。
弟は肩を落とした。

実はその数年前に大きな希望となる出来事があった。
同じ教会に通う同世代の男の子が改名したのだ。
宗教的理由から難しすぎる名前を使って生きてきたが、彼の親と話しあって引っ越しを機に改名。
終始円満にことは進み、教会員からも祝福された。
その名付け親の元で私も弟もピアノを習ったりしていて、家族ぐるみで仲が良かった。
こんな身近にわかりやすく、しかも動機も同じ前例ができ、私たちも密かに希望を抱いた。

どうやら両親にとっては完全に他人事だったらしい。
4月の食卓が頭をよぎる。
期待した自分がバカだった。

だが弟は強かった。
高校三年間だけ仮名で暮らすという条件を提示し、見事押しきったのだ。

戸籍名を法的に変えるとき、その名前で生活した実績があれば手続きがスムーズに進む。
今のうちに実績を作っておけば、成人して親の許可なく戸籍をいじれるようになったときにスパッと改名できるのだ。
それを自分で調べて実行した。
勇気ある中学生だ。

そして迎えた高校生活は、、、

これまた当然のようにつらいものだった。

戸籍名や住民票は変わっていないので、正式な書類は全て実名を使う。そのことを学校サイドの全ての職員が把握する必要があった。
弟は入学前も入学後も何度も個人面談をした。全く納得していない親を引き連れて。

こんな生徒は初めてですよ、と先生方も困ってしまった。うちのワガママ息子がすみませんとペコペコ頭を下げる母を横目に、元からのコミュニケーションの不得手さもあり何も言えなくなる弟。ますます困る先生。

方々の努力のおかげでなんとか名簿は仮名で作られたものの、健康診断に模試、センター試験などなど同級生に本名が知れるおそれがある機会は数知れず。
そもそも進学したのも地元の高校だったため、噂なぞ秒で広まる。
そのたびに不自然に隠す弟の姿がありありと浮かぶ。忍耐のときでしかなかったはずだ。

そこらの大人たちよりもはるかに人格的にできあがった生徒に囲まれて過ごせたことだけは運が良かった。
私たち姉弟は家族運がない代わりに友人運はハチャメチャに強かった。

ま、弟とは仲が悪いので(これもまた今度note書く)憶測だが。見てれば少しはわかる。

そんな弟が去年成人した。
今はまた本名で大学生活を送っている。
大学在学中の戸籍名変更はこれまたややこしいことになるため、おそらく卒業後に変えるのだろう。
私には何もできないが、美味しいものぐらいは贈ってやっても良いかなと思う。応援してるよ。

最後に、応援してるよとのたまっておいてなんだが実は高校時代使われていたあの仮名には個人的に疑問を抱いている。
なんというかセンスがない。
憧れのよくある名前にはなった。
だけど忌むべき名前を半分も残した。
さらにそもそもの聖書の由来を考えると、そっちの半分残したらそりゃ親の逆鱗に触れるんじゃないのという方を残しているのだ。

ちょっともう宜野座で例えきれなくなってきたけど、だったらまるまる全部変えて生まれ変わるか、もしくは一番不自然だったであろう部分をあえて一文字だけを残した方がまだオシャレで最大多数が頷ける名前になったと思う。当時まだ15歳の圧倒的理系男子にそれを求めるのは酷だから、攻めはしないけど。
宜野座から宜(ノブ)になるような。この期に及んでほんとすいませんね宜野座市民のみなさま。土下座します。宜野座だけに。

うーん今日は冴えないのでこのへんでお開き~!
まだまだ続くよなまえのおはなしシリーズ!

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