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自分と子供達のスポーツの道No.8

次は次男です。小学校では軟式野球、中学入学にあたり硬式野球のクラブチームへの入団を決めた。そして学校の部活はソフトテニス部へ入部した。子供達の誰かにはソフトテニスをやって欲しかったので、凄く嬉しかった。とはいうものの、当初は野球の方にウェートを置いていた。

硬式野球は、軟式野球と違って、全ての道具が重く、成長前の次男には都市部の体格の良い子に比べ、ハンデとなっていた。確かに小学校の時は人数も少なく、そつなく器用にどんなスポーツもできた次男は、チームの中心的な選手としてプレーしていたけれど、志のある子達が更に上を目指して集まる硬式野球クラブは、想像していたものとのギャップはあったように思う。1年の時はダブルヘッダーで行われる練習試合の1試合に外野手として出場する感じ、唯一の公式戦であった1年生大会では試合に出ることは出来ず控えとしてベースコーチなどを務めていた。外から観ていた親としては、身長が伸び、体格が良くなって試合に使ってもらえたらと願っていた。練習環境にして言えば、チーム練習に行くのに1時間弱かかることもあり、土日はともかく夜間練習への参加は厳しいため、自宅裏にバッティングゲージとマシンを備えた練習場を整備したのもこの時期であった。三男と一緒に毎日、打ち込みと守備練習をしたのを懐かしく思う。

次男は野球ではなかなか自分が思い描くような結果、そして指導者に認めてもらうことが出来なかった。中学2年になった時、三男が小学校野球の最終年ということもあって、次男の野球をなかなか観ることが出来なかったそんなある日、三男の練習が早く終わり、たまたま次男の練習を観ることができた。その時、キャッチャーでもない次男が、ノックの時にコーチに球出しを兼ねてキャッチャーをやっている場面を観た。物凄くつまらなそうで、ダラけている姿を見た時に俺はがっかりした。その時の映像は今でも鮮明に思い出すことができる。

そして気のないプレーとかにガッカリしたことを本人に告げ、ヤル気がないなら辞めろ。と言ってしまった。すると次男は「うん。分かった。俺辞めるわ。」ってあっさり言われて、こっちが焦った。ちょっとまてまてと思い理由を聞くと、「もう野球は楽しくない。ソフトテニス一筋に頑張りたい。」とのことだった。しかし、家族が野球に没頭するきっかけをつくってくれた次男が野球を辞めることは、家族にとって衝撃な出来事であり、本当にいいの?と何度も説得してはみたが、次男の気持ちが変わることはなく、中2の春にして野球から離れることとなった。

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