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マウントツナ 2024-5-25
明日は黒部名水マラソンに出場します。
三時間切るまではやめられないなぁ。。と。
その話はまた今度(小説にできたらいいなとも思いつつ。あまり個人的な話を小説にするのは趣味ではないものの)するとして、
今日はそれとは関係のない話。
「スカースデイルのアンサーソングが桜のあと (all quartets lead to the?) (以降桜のあと)だと思って続けて聞くと永遠と泣ける」
という話です。
わたし、スキマスイッチの奏も、
「別れソング、失恋ソングに聞こえるけども、
野球留学で親元を離れることになる息子を駅で見送る母親視点って捉えれば、
見送るしかできないからせめてこんな歌を送るよ、というのは、歌うのはスキマスイッチにとっての日常であるのだとすれば、
いつも通りの、朝食をつくるだとか、行ってらっしゃいと言うだとか、そんなことしかできないけど見送るよ、という母親感情ソングになるじゃないか。。」
と思って大泣きしたことがありまして。
そういう曲だ! みたいな決めつけではなく、
そう聞いたら泣けるよなー、というくらいの温度感で。。
で、話は戻るのですが、
スカースデイル自体は(長くなるので敬称を省きます)、田淵が好きな曲を作ってもなかなかGOが出ない、となっている時期、宏介が作詞作曲をして、という曲ですが、
そのまま聞けば、
「田淵気にするなよ、お前のセンスは俺たちは分かってるからさ」
という風に聞けるなぁ、と今日までは思っていました。
転機は今日でして、
【不安を抱えてしまった きみを笑わせるためなら
魔法使いかなんかにもなれるんだよなあ】
のところにすごく引っかかりを持ちまして。
「魔法、っていう歌詞はよく出てくるけど、こことリンクする使われ方をしている曲なかったっけ。。?」
そしてすぐ思い出したんです。
桜のあとだ! と。
【一斉のせ で魔法も使えるよ
きみは自由なんだから】
スカースデイルでの、
宏介の魔法(どう解釈しましょう。。気遣い、サポート、付き添い、寄り添い、これらの言葉を柔らかいリネンの布で包んだような)を受けて、
そこから3、4枚目のアルバムと続いて、
自分の中の好きなものを詰め込んだシングルとして桜のあとを出すというそのときに、
きみは魔法(もう田淵を支えるためではなく、ユニゾンのために歌う)を使えるよ(もう俺(田淵)は支えられなくたっていいよ、自由に好きなものをつくるから)、と歌わせた、
と思うと、
田淵へのラブソングに対してのアンサーソング(サンキューソング?)、という風に聞くことができたんですよね。
明日は早起きしてマラソンなのですが、
つい感情が筆を走らせてしまいました。
小説を書いています。 ぜひリンクから読んでみてください。