2023/10月初旬の日記②
続き。
2023/10/08(土)
金夜にけっこう飲んだので、土曜日はもそもそ12時くらいに起きた気がする。17時から大学時代の友達と天神で飲む。お酒というよりご飯メインかな?人気店で、全部美味しかったし凝っていた。
ただでさえ友達が少ないくせに、こんな贅沢を言うのは孤独を加速させるだけだってわかってるんだけど、こんなに付き合いが続いている彼女のことが、私は苦手だ。と、外出(外食)したり会話したりすると感じる。あ〜〜〜、自分のこともいやだ。
でも、なぜそう思うのかは言語化しておきたい。今後の交友における生産的な営みのために。自分のことをよくするために、消化するために。
まずこの日は、数分とはいえ遅れてきたのに、席につくなり「化粧下地コレ買ったの!」と、ものをカバンから取り出しながら謎報告。お店の人は乾杯の注文を気にしているし、私だって少し早く着いて選びながら待っている場面だ。さらに、直前の用事(仕事や移動など)の抽象的な愚痴が始まる。
そもそも、自分で稼いだお金で買っているんだから誰に許可も断りも認定もなく、好きに買えばいい。脈絡や状況を脇に置いておくにしても、「コレ買ったんだよね、使うの楽しみなんだ!」とかではなく、ただ「買った」という事実だけを言われる。
こういうのが基本コミュニケーションなんだよな。対話になりようがない。そんなの対等な会話とは言えない。カウンセリング、ヒアリングじゃないか。「それにどう反応してほしいんだ?」「対話を手抜きするなよ」と臨戦態勢になってしまう。書いてて心当たりがでてきた。こんなコミュニケーションなら実家と同じじゃないか、と感じているのかも(無意識に)。だから過剰に(?)嫌だ!と拒否反応が出てしまうのかも。
もし今、初めて彼女と出会ったら、思い出とか長年付き合ったしな、みたいな情が吹っ飛ぶから、絶対仲良くならないだろうな・・・と思う。「よかったね」としか言いようがない発話が多く、「こういうふうに考えるんだよね」がないし、私から発信しても繋がらない(「そういうものだよね」でバサッと剪定される)からうっとおしく感じてしまうのかも。私の基準では、会話や思考を一緒にできないと、ただ物理的に一緒にいても、意味がない。一緒にいても、「私がここにいる意味がない。いなくても良くない?」と感じているな・・・と、今テキストにして気づく。
そしてさらに今思い当たったけど、これって、彼女なりの「さみしいよお。」なのかもしれない。そう考えると、切って捨てるのはひどいのかな。
ひどいのかな、って思うけど。でも。自分と関係ないおじさんが「さみしいよお。」していたらそう思えても、自分の友人、って思うと無理になってくるのかもしれない。言うなれば、「わたしは『ココイチ大声おじさん(彼女)』にとっての『レジのお姉さん(私)』じゃない!」という苛立ちかも。ここの苛立ちを分解するとこうだ。根本的(に、見える)な要因順。
大前提、彼女に『ココイチ大声おじさん』でいてほしくない
友達であるはずなのに、『レジのお姉さん』にされているがっかり、怒り、やるせなさ
この構造を説明してもわかってもらえないだろう、という諦め
わかってもらえる人と繋がりたいのに、そうでない彼女と時間を過ごしていることの焦り
ものすごく失礼な部分(特に4)もあるけど、正直な感情の動きとしてはこんな感じだ。で、この感情を持ったままいろんな付き合いを続けていくことにすでにストレスを感じている。孤独は嫌だけど、こんな感覚になるくらいならもう会わないほうが、いや、でも・・・みたいなグルグルがある。
あと、乾杯してすぐにいつも「飲む?」と自分のグラスをこちらに寄せて来るのも好きじゃない。こっちはまだ一口目を味わっているタイミングでだ。かなり性急だし、こっちの様子をまるで考慮してくれてない。そして毎度「いいよ、大丈夫。」と伝えるか、「私のもいる?」という返しでそのやり取りをクローズさせているんだけど。でも次も絶対やってくる。家族内でそういう習慣があるのかもしれない。が、ウーン、何なんだ・・・でも地味に毎回嫌なんだよな・・・。
やばすぎる。こんなにガッツリ思うところがあったんだな。これもう止まらないから切り上げます。
ご飯のあと解散して、大名のジュンクへ。その話は次の記事でやろ〜。
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