3日間-1日目

8月29日、西院のウーララでライブ。

この日は新しくはじめるバイトが始まってるかもしれなかったので「リハには出られません」と伝えていた。

出がけに滝のような汗が出てきたり腹が痛くなったりするのはなぜだろう。イヤならやめればいいのにね。俺は開演のギリギリに会場入りした。バイトは落ちた。

バイトが決まらなかったことには少し安心してるんだけどね。聞いてた条件と全然違ったしね。かといってこのままでは山にさらわれ裸にムかれて水飴ぬられてしまうからマジやべぇ。仕事は選ばなければ食ってはいける、とか言われてもどうなんだろうそれって。愛という名の連帯責任を背負わされたりして。

刑務所ではあからさまなハンスト、全く食べないというのは懲罰の対象になるらしいので、主食は食べずにおかずだけ少し食べたりするんだって。そしたらやっぱり痩せてくるし、迫力が出るよね。生かさぬように、殺さぬようにって言ってたのは河島英五だったっけ?権力もそうらしい。

だから俺も、というわけじゃないけど、最近あんまり飯を食う気にならなくて、俺は米を食べない。俺は俺は。子どものころから苦手だったしね。ほかに苦手だったのは牛肉。なのでそれもあまり食べない。本能やね。そしたら痩せるね。つよい飯は今となっては必要ないんだろうね。カルピス飲んでアーモンドを食いまくってても痩せるね。1日3食、バランス良く、なんていうけどバランスってのは自分でとらないと殺されるよ。筋トレブームに乗せられて強いつもりにならされてね。

自分でバランスをとってても死ぬけど、他者のバランスに乗っかって重かったりして殺されるよりいいじゃない。バカみたいで。



ライブは楽しくやれた。この日の出演者は全員知っている人だったが、会うたびに良くなってるというのは「そらそやろ」と言えることながら嬉しい。

良くなっているというのがまさにバランスだ。針のような足で、その人の地面の"点"に立てていたら。芯といえるものが立ってきて、その人がはっきりしてくる。そこからいくら揺れても点はブレなくなる。地面には細い穴があいてその人は1人その穴へ沈んでいく。くわぁ!それは悲しいなぁ。

飢え死にというのはどんな具合だろうか。
その前に恋しい人との別れがあり、厳しい自然との戦いがあり、ほかになにがあるだろうか。むっちゃしんどそうやけどこの際、死ぬのはいいが別れには未練があったりして、つまり自分より人に未練があるというのがこのWAIの生きる気力を減らしているということの根本があろうな。

まあまあな数のうつや心理や宗教の本を読んで、それなりに悩んで、最終的にほぼ根性で抗うつ剤地獄を抜け出したものの、芯の下の地面が上滑りしてアリジゴク様の穴を作りながらその場でキリキリ舞いをしている。その底で俺を待っているのは俺だろう。俺は俺に引きずり込まれて俺に食われて俺のウンコになるんだろうか。まぁそれやったらそれでええわ…とどこかで諦める自分がいる。そんなアホな。俺が俺に食われて俺のウンコが出るとき、ウンコを出した俺はどこから俺なのか、それともずっとウンコなのか?納得がいかない。納得がいかないが、納得が行く前に疲れ果ててしまうということもあるだろう。バランスなんてとれるんだろうか。不安定というのは不安だ。しかし安定というのはどこかで狂っている。


翌日へ続く)

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