見出し画像

世界1のじいちゃん

さっき上げられた 

コムドット ひゅうが くんのインスタの投稿。

たくさん泣いた

自分にも世界1大好きで
世界1のじいちゃんがいる


亡くなった日から何気なく戻った生活の中でも

じいちゃんを思い出す


大好きな空を見るたび見てるかなって

今までの大好きな空とはなんか違う

じいちゃんをふと思い出して見上げると

なんか涙が出そうになって

頑張るよって気持ちで見ると元気をくれる

気づけばそんな空になってた

じいちゃんの命日から

1ヶ月弱、まだ正直亡くなったなんて自覚はない

嘘だったかのように日が過ぎてって

ばあちゃんが家で1人で生活してるなんて考えられない

考えたくない

いつも言い合ってたあの2人はもうこの世にはなくて、

きっとじいちゃんは空から見守ってる。

周りにはきっとじいちゃん見てるからって

わざと適当にニコニコしてたけど

ほんとは辛い。辛かった。

先月数週間一緒に暮らしたじいちゃんはどこ。

病院終わりの入り口で「ありがとうな」

って名前を呼んで

ボソッと言ってくれたじいちゃんはどこ。

自分がハンドルに手を添えた車椅子に座るじいちゃんは

そう言った時どんな顔してたんだろう

物静かな自分とじいちゃんは必要最低限しか話さない

だから生前最後、

帰省から戻る時に

「バイバイ」か「じゃあね」か記憶さえ曖昧な中、

初めてというぐらいちゃんと触った

じいちゃんの最後の手は

なんだか思っていたより弱くて強かった。

きっとこれが最後なのだろうって思いながらタッチした

あの時も涙がこぼれそうで必死に堪えた

想いを込めたじいちゃんへの手紙と
強くいれるように力を込めたばあちゃんへの手紙。

泣くと思ったから手渡しすらできず、
じいちゃんと最後の挨拶をした後、
ばあちゃんに多くは語らず、

ただ
「ここ置いとくから、
お守りとして見ずに置いててくれてもいいし、
もしよかったら見て!」
なんて強がりな言葉を残して帰った。

亡くなった後ばあちゃんに聞いたけど、
じいちゃんは読んでくれたらしい。

それが本当かは分からないけど、
何か伝わってるといいな

この年になって言うことのない
「世界1大好き」「世界1のじいちゃん」
なんて「世界1」って言葉を連呼した手紙。
でもただ伝えたかった。

正直そんな思い出がめちゃくちゃ濃いわけでもない

そんな深いるような話もしたことないけど
いつも孫の中でも1番というぐらい声をかけてくれて、
みんなにもそっと気遣ってくれる。

物静かながらにもそんなじいちゃんが大好きだった

そういえば今日はたまたま朝に焼きそばを食べた。

美味しくなかった。

やっぱり焼きそばは好きじゃなかった。

じいちゃんが作る世界1の焼きそば以外は。

また食べたい。
ほんとは別に特別なものは入ってないし
特別なことをしてないのもわかってた。
なんならきっと誰でも作れる
でもじいちゃんが作るやきそばだけは

なぜか食べたくなる。


死を受け止めていたじいちゃん

でも弱音を吐かず生きてくれたじいちゃん

私の世界1のじいちゃん

すぐは無理そうだけど、じいちゃんに会いにいくから

それまで大好きなゴルフでもして待ってて。

楽になってよかった。天国でゆっくり休んでね。

ありがとう。大好き。


ps.
こんな気持ちにさせてくれたひゅうがくんありがとう。ひゅうがくんみたいに自分は強くない。
胸張って生きれない。

でもいつかこのままじいちゃんの元へ行かないように、じいちゃんに安心して天国で過ごしてもらえるように

人生楽しめるようにする。

ひゅうがくんこんな機会をくれてありがとう。
そしてひゅうがくんのおじいちゃんもありがとう。

ひゅうがくんがんばろうね、がんばるね


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?