中の人はこんな人 その1
書きたいことが多すぎて、サーバやらWordPressやら準備している暇も惜しかったので、noteデビューしてみました。
で、いざ書いていたら、「???」。書いている文章に既視感。
そう。昨年夏に当時所属していた会社に納品した文章と内容モロかぶってしまった、という。
そんなわけで、早くも出鼻をくじかれてしまったので、ベタに自己紹介から書こうと思います。
***
幼少期は、場面緘黙症という病気に悩まされました。
場面緘黙症とは、家では普通に喋れるのに、家を一歩出て、一定の場面になると、全く喋れなくなる病気。
私は保育園に行くと全く喋れなくなりました。
先生に叱られて「全く、何考えてるのか、自分のお口で言いなさい!!」なんて怒鳴られた日には、「自分のお口」を恨みました(苦笑)
いちばん辛かったのは、いちばんわかってほしかった両親や家族に場面緘黙症を見逃されてしまったこと。
極度の人見知り、そのうち治るさ、くらいにしか、捉えてくれませんでした。
そんな時代だった、と諦めるよりありませんが、今でも歯がゆさもあったり。
その頃から、孤独感や寂しさを和らげようと、空想癖が出てきていました。
小学校に上がっても、集団は楽しくありませんでした。
当時の友達からは、「提出物をいきなりビリビリ破ってゴミ箱に捨てる、そんなぶっ飛んでた子」との評をいただいていますが、その時の私は、提出物を忘れたと言って叱られるくらいなら、提出物なんかもらってなかったと言い張ろう!!
…はい、やはり、発想が若干おかしかったです。案の定、先生にこっぴどく叱られましたが。
そして、忘れもしない、小学校5年生も終わろうとしていた春、頭の中の何かがぷつーん、と切れ、それから小学校を卒業するまでの1年間は地獄でした。
悲しくないのに泣いてしまったり、感情のコントロールが非常に難しくなりました。
担任も何回も面談しては「何がそんなに辛いのか」と聞くのですが、私にもわかりませんでした。
中学に入学すると、最初の頃は楽しくて、感情のコントロールは特に意識せずできていたと思うのですが、周りからは「ぶっ飛んでる子」という印象は変わらなかったようで。
中学2年の頃から本格的にいじめられるようになりました。
その前から…小学生の頃からいじめをうけていましたが、中学生時代のいじめの何が嫌だったかというと、理解し、解決しようとしてくれる大人がほぼ皆無だったことです。
そこで、また頭の中の何か、ぷつーん。
親に心配をかけまいと学校には毎日通っていたものの、ほぼ保健室登校でした。
保健室では、友だちもできて、楽しかったです。
成績がそこそこ良かったので、高校は市内の進学校に進みました。
そこでは新たな友だちもでき、楽しかったのですが、高校3年生の、まさにお受験シーズンの秋、そのぷつーん。はやってきたのです。
3回目のぷつーん。は容赦なかったです。
体重も2週間で6、7キロ落ちてしまい。
あんなに読むのが楽しかった、教科書の文字がぐちゃぐちゃと読めなくなり。
先生の「受験に勝つ気がないやつは教室から出て行け!」との檄に、本当に出ていったり(先生方は私がおかしくなっていたのに気づいていたので、特に追いかけることもなし)。
気がつけば、また保健室にいました。
友人からの勧めもあり、母に連れて行かれたのは、「神経科」。
病名は「適応障害」。
ここから、辛く長い闘病生活が始まるのですが、長くなったし、ちょっとこの辺りで切り上げようと思います。
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