危ない橋としてのOL
(前回記事「OLの賛同者名簿と氏名冒用」から続く)
OL公表から提訴まで
国際日本文化研究センター(日文研)のテニュアトラック助教だった呉座勇一が大炎上してから2週間後の昨年4月4日、有志の研究者や編集者など18人はオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」(以下、"OL"と略す)を公表し、賛同者を募集した。
(魚拓)
賛同者募集は予告通り同月30日で締め切られ、公開の賛同者名簿には1316筆の氏名肩書きが掲載された。
呉座のブログ記事によれば、それから9か月半ほど後の今年2月17日とその8日後の25日、呉座は代理人弁護士を経由して次のように動いたという。
そして同25日、OLの差出人有志11人は「訴訟提起のご報告」を公表し、こう述べた(呉座が上引のブログ記事を公表したのは同日の数時間後)。
なお、呉座への債務不存在確認請求訴訟の原告は、OL差出人有志11人と礪波亜希(後述)の12人。
提訴後、同訴訟の原告3人など5人は記者会見を開き、『弁護士ドットコムニュース』で報道された。
訴訟の行方と責任の所在
この訴訟は当然ながら、どっちが勝ってどっちが負けても、一方が喜び他方が悲しむことになる。
そこは対称だ。
非対称なのは、仮にOL差出人が勝訴するとそれで一件落着になるだろうが、仮に呉座が勝訴すると責任問題が拡大し得るということだ。
仮にOL差出人が敗訴して呉座への債務が裁判所により認定されてしまうと、差出人だけでなく賛同者もまた呉座への債務がある、ということになる可能性がある。
賛同者としては、「いや、自分はあくまで賛同者であり差出人でない」とか「自分は呼び掛け文の起草などに関与していなかった」とか「昨年4月4日午前に公表された時点ではOLに自分の名前はまだなかった」とか弁明したくなるかも知れないが、それは通らないのでないだろうか。
あのOLに賛同者として名を連ねたことは、呼び掛け文に賛同して追加の差出人になったことを意味する、と解釈される余地があるだろう。
言うまでもないことかも知れないが、仮にOL差出人が勝訴して呉座への債務不存在が裁判所により
認定されると、こうはならないだろう。
つまり、仮に呉座が敗訴した後、「自分はOL差出人への債権はなくても賛同者への債権はある」と
主張することは不可能だろう。
もっとも、仮に呉座が勝訴したところで、賛同者名簿に掲載された名前の持ち主全員に損害賠償の支払いなどを請求することは無理だ。
一部の賛同者は肩書きが「無職」「学生」などだったので、どこの誰なのかを特定できない。
たとえそれらしい人を見付けられても、相手から「自分は誰かに氏名を冒用されただけだ」と言われたら多分手詰まりになる。
だが、過去に自分で「OLに賛同しました」などとTWしていた賛同者は、氏名冒用の被害を主張することが困難だろう。
そのため、訴訟の結果如何が賛同者の責任問題に全く影響しないとは考え難い。
呉座に損害賠償の支払いなどをせざるを得ない差出人と賛同者の数は、0になるかも知れず、100以上になるかも知れないだろう。
危ない橋だと認識していたOL差出人
私は、OLは最初から危ない橋であり差出人と賛同者はその橋を渡った、と考えている。
当たり前だが、「危ない橋」は必ずしも「必ず崩落する橋」や「渡る価値のない橋」と同義でない。
一部の差出人はOLが危ない橋だと認識せずに渡ってしまい、賛同者にも渡らせてしまったのかも知れない。
しかし少なくとも1人、OLが危ない橋だと認識して渡り、賛同者にも渡らせた差出人が存在する。
筑波大学准教授の礪波亜希(@atonton28)だ。
なお、礪波は「元差出人」と称されることが多いが、私はこの呼称を採用しない。
理由は次々回くらいの記事で説明するつもり。
昨年4月4日に礪波など18人を差出人とするOLが公表されてから7か月後の11月3日、OLの差出人名簿から礪波の名前が人知れず削除された。
同3日から『アゴラ』で連載「呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える」を開始していた評論家の與那覇潤は同月27日、その第8回記事「オープンレターがリンチになった日:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑧」において「「礪波亜希 筑波大学准教授」の氏名が呼びかけ人から削除されている」と告発した。
2週間ほど後の12月9日、礪波は與那覇への返答としてブログ記事「與那覇 潤 様」を公表した。
なお、礪波の記事は今年1月31日より後、遅くとも2月26日までに削除された。
http://web.archive.org/web/20220131203932/https://www.akitonami.com/post/%E8%88%87%E9%82%A3%E8%A6%87-%E6%BD%A4-%E6%A7%98
http://web.archive.org/web/20220226152840/https://www.akitonami.com/post/%E8%88%87%E9%82%A3%E8%A6%87-%E6%BD%A4-%E6%A7%98
恐らく、2月17日の呉座からの諸請求(前述)が関係していただろう。
本記事で着目するのは、11月に礪波の名前が削除された理由でなく、4月に礪波が何を考えていたかということだ。
礪波は記事「與那覇 潤 様」でこのように説明していた。
礪波は、OLが公表され賛同者募集が開始された昨年4月4日時点で、すでに「名誉毀損と見なされる可能性がある」「賛同者リストが第三者に悪用される可能性がある」と懸念していたという。
礪波の所謂「名誉毀損」は当然呉座へのものだろう。
ただし、誰からそう「見なされる」のかはよく分からない。
呉座から看做されるということなのか、無関係の第三者から看做されるということなのか、
それとも呉座から提訴された場合に裁判所から看做されるということなのか。
私はてっきり、礪波たち差出人は「このオープンレターが名誉毀損と看做される可能性や賛同者名簿が第三者に悪用される可能性はない」と考えているのだろう、と考えていた。
まさか差出人たちの少なくとも1人が、当初から「名誉毀損と見なされる可能性がある」「賛同者リストが第三者に悪用される可能性がある」と懸念しつつOLを公表し、賛同者を募集していたとは夢にも思わなかった。
募集に応じて賛同した人たちだって、そんなことは夢にも思わなかっただろう。
なお與那覇は、OL公表から2日後の昨年4月6日にある差出人に宛てて送ったメールで、OLは「呉座氏の名誉を棄損する叙述を含む」「署名者の一覧表示の部分に限って、掲示を停止・削除するべき」などと指摘し、翌7日にその差出人から「間違いなく呼びかけ人にこのメールの趣旨を伝える」(大意)との旨の返信があったという(與那覇記事「オープンレターがリンチになった日:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑧」)。
そのため、OLの公表前か公表直後からこれは呉座への名誉毀損になる危険があると認識しながら、その認識を公言せずに賛同者を募集していた差出人は礪波以外にもいるかも知れない。
撤回されなかった書評と公表されたOL
OL差出人の礪波は、当初から「名誉毀損と見なされる可能性がある」「賛同者リストが第三者に悪用される可能性がある」と「懸念を感じていた」という。
では、何故当時その懸念を公言しなかったのだろうか。
その理由は明快には説明されていないものの、礪波のTWやブログ記事を見れば理解できるようになると考えられる。
前述のように、昨年3月に大炎上した呉座の勤務先は日文研だった。
そして当時の礪波は、自分の執筆した書評が同月末刊行予定の日文研紀要『日本研究』第62集に掲載されることになっており、呉座大炎上の直後にそれを撤回しようとした(魚拓)。
この行動についてある研究者から「今回の抗議の目的はなんでしょうか?」と質問されると、礪波は同月21日にこう引用RTした。
(魚拓)
しかし結果として、礪波の書評「デイビッド・レーニー『希望の帝国――ニッポン衰退の感傷的政治』」は撤回されず、そのまま掲載された。
当時のことを礪波は同年12月9日、前述のブログ記事「與那覇 潤 様」でこう説明した。
そしてすでに紹介したように、礪波の説明によれば、OL公表への議論に参加するようになったのは翌4月3日からだという。
翌4日、礪波など18人を差出人とするOLが公表された。
保身のためか
礪波の説明からは、以下の推測が成り立つだろう(長くなるが一連の推測なので段落は分けない)。
呉座による「ツイッター上での数々の差別的発言や、オンラインハラスメント」が発覚したことで、その勤務先である日文研もまた「あのような発言や行為を容認する」「差別的」研究機関であるかも知れないという疑惑が生じた。
そのような日文研の紀要『日本研究』に自分の書評が掲載されると、礪波もまた呉座を容認しているかも知れない日文研を容認しているかも知れないと疑われ、「今後の研究者としての評価や地位」が低下しかねなかった。
そこで礪波は「自身の研究者としての評判を守るため」、日文研の『日本研究』に掲載予定の書評を撤回することで、自分が「あのような発言や行為を容認」しないことを明示しようとした。
しかし、すでに『日本研究』の刊行が秒読みの段階となっていたことなどから、礪波は書評を撤回しないことにした(または撤回したくてもできなかった)。
3月24日に日文研から声明が出された後も、礪波には、このままでは自分が「あのような発言や行為を容認」しないことを明示できない、「差別に賛同すること(立場を示さないことも含む)は研究者生命に関わります」という危機意識があっただろう。
そのためもあって、礪波はオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」の差出人となった。
OL公表への議論に参加してすぐに、礪波は「名誉毀損と見なされる可能性がある」「賛同者リストが第三者に悪用される可能性がある」と懸念したが、その懸念を差出人間の議論で(強くは)主張しなかった。
もし懸念を(強く)主張し、OL公表に反対したり差出人から離脱したりすると、礪波は呉座大炎上の直後に書評が日文研の紀要『日本研究』に載ったという事実だけが残り、呉座の「ツイッター上での数々の差別的発言や、オンラインハラスメント」を容認していると解釈され、研究者としての評価が低下しかねなかった。
つまり礪波は、OL公表前から「名誉毀損と見なされる可能性がある」「賛同者リストが第三者に悪用される可能性がある」と懸念しつつも、保身のためその懸念を公言せずに差出人として賛同者を募集し、「名誉毀損と見なされる可能性がある」OLに他人が賛同しその氏名肩書きが「第三者に悪用される可能性がある」賛同者名簿に掲載されることを容認した。
このように推測できる。
賛同者名簿に掲載された名前は、礪波のような大学教員のものばかりでない。
学生、それも大学院生ですらない学部生の名前も掲載された。
昨年4月に学部入学したばかりの未成年者の名前もあったかも知れない(当時は民法の改正前)。
大学教員の礪波は、「名誉毀損と見なされる可能性がある」「賛同者リストが第三者に悪用される可能性がある」という懸念を公言せずに賛同者を募集し、その募集に若い学生たちも応じて賛同したことに、良心の呵責はなかったのだろうか。
OLの賛同者たちには、「これだけの大学教員などが差出人になって賛同者を募集しているネット署名なのだから」と思い、安心して賛同した人もいると考えられる。
そういう人も私も、今後は同じようなネット署名を見るたびに、「差出人の大学教員は危ない橋だと懸念しつつも保身のためにその懸念を公言せず、他人にもその橋を渡らせているだけかも知れない」と懐疑すべきだろう。
(次回記事に続く)
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