見出し画像

生き倒れたってそれで本望だ

2022年6月13日(月)。





「今日は番組内でお知らせがあります。」の文言。

この文字を見てから、鼓動が速くなるのを感じた。そして、どことなく感じる悪い予感。








だれはなの冒頭での一言。






「来月7月17日、日曜日をもって、所属している乃木坂46を卒業することになりました。」













「嘘でしょ…」











今までに感じたことのない驚き、寂しさ、悔しさ…数え出したらキリがない。

当然、午後の仕事に身が入らなかったのは事実。 



悪い予感とやらは、最悪の形で的中してしまった。








「現実を受け止めたくない」というのが正直な感想なんだろうが、こんなにも言葉にならないのは初めて。

ラストライブは、先日の「10th YEAR BIRTHDAY LIVE」となってしまったが、ライブの構成に影響が出ない形での卒業となり、乃木坂46というグループが好きだからこそのタイミングだった。



思うと、ここ2~3ヶ月、点となっていたものが繋がって線になったような気がする。
29thアンダーライブで披露した『何もできずにそばにいる』は、乃木坂に加入して初めてセンターで披露した楽曲。2日目、披露後のMCで見せた涙。これまでの活動を思い出して流れた涙なのだろうが、その頃には卒業を決断していたのだろうか。
『届かなくたって…』でセンターの出んちゃんとのペアダンス。アンダーの魂が受け継がれる瞬間を見たのかもしれない。
そして、れなちの代名詞『錆びたコンパス』。10thバスラでの披露こそ無かったが、29thアンダラの現地で生でパフォーマンスが観られたこと。黄色一色の客席。ステージ・客席が一体となって右拳を突き上げる光景。アンダラ最終日のこの曲含め29アンダラは、伝説と化してしまった。そして、この場にいられたことは一生忘れられないだろう。

さらに『卒アルラジオ』での話。まさかこれが伏線となるとは…


15歳で乃木坂に加入し9年半。決して順風満帆ではなかったが、乃木坂メンバーが色々な仕事をする時、いつもそこには山崎怜奈の軌跡があった。

AtoZ

乃木坂46に所属する傍ら、ラジオやエッセイなどで「言葉を伝える」ことを仕事にしてきたが、特に「ラジオ」について、乃木坂46初の帯番組メインパーソナリティとして、そして昼の顔として、リスナーに声を届けてきた。


個人的には、れなちがいなければBSSラジオを聞いていなかったわけで、地方ラジオ局との縁を繋いでくれた大事な存在になる。そして、護国寺のSPERANZAさんとの縁も繋いでくれたと言っても過言ではない。

そして、れなちの人間性にも触れなければならない。謙虚で誠実、しかも努力家ラジオに連載に後輩に頻繁に洋服をあげる様子が挙げられ、些細なことでも相談に乗り、後輩から慕われている。大学に通う後輩メンバーからの相談に乗り、羅針盤になっていた。

さらに、発信力が凄いことも付け加える。755、インスタ、ブログなど、どれを取っても自己プロデュースに余念が無い。




だからこそ、この知らせを信じられないでいるし、信じたくないのが本音だ。




7月17日の卒業まであと1ヶ月余り。

今度は我々が恩返しをし、支える番になる。






錆びコン聞いたら泣くんだろうなぁ




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?