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アインシタインの相対性理論

必死の思いで相対性理論を勉強したが、私のラベル(レベルと言うまでも無い)では、どうしても、理解できないと言う結論に達した。
当然と言えば当然の話しだが、多分、こう言う事ではないだろうか、と言う思いにいたったので、後世の防備録のために、此処に記録を残す。

回りの重力に、光の流れが歪曲される。と言う事らしい。それは何なのか、
平行の流れの中に、片方に力がかかると、他の片方が歪曲されて見える。
同じレベルにある二つの関係に力が働くと、一方が歪曲される。?
同じ事を何回言っても、理解は深まらない。 もう一度、例を示す。
同じ人間の列に、片方に威圧的な人が、含まれると、その列の関係に、上下があるように見える。

あるグループの、一人の人間が馬鹿ならば、他のグループは、賢くみえる。
それは、対人の二人の間にも、起こりうる。そのことは、人々の間で、本能的に、感じているらしい。極端にナメられる事を、嫌う人を見かける時がある。其の人は、自分は賢いし、能力も優れていると、常日頃思っている人に多い。人によっては、人を馬鹿にすることによって、自分は尊敬される人物であると、知らしめているのである。

それは、単なる見かけ上のことであって、相対性理論といえる。客観的に見ると、むしろ、逆の場合が多い。ナメられない事に、敏感で、向上心は何もない。すべての努力は、ナメられない事に、全て費やす。実質何の向上も無いのである。
その人は、自分は常に正しいと信じている。万が一つに、自分が間違う事を行っている、と思ってしまえば、それは、自分が最低の人間に落ちぶれてしまうからである。それはあってはならない。自分は常に正しい事にしなければならない。

そのためには、パワハラは当たり前で、恫喝もいとわない。行き着く処、刃物、ピストルも辞さない。
もの申すことは決してしないで頂きたい。近づかない方が良いと、考えるほうが正しいと言えます。頑固ジジィには、甘い甘い飴が効果的です。
ナメたらあかん〜 ナメたらあかん〜、人生ナメずに、これ、なめて〜
天童よしみさんは、解って、おられる。

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