人生が足りない話

中学生ぐらいからかな、ふとこう思うようになった。
「人生が足りない」とはすなわち「生」が1回きりであることへの不満。

単に寿命が300年くらいあればいい、て話でもない。
ようは、すべての分岐ルートを経験したいということ。

例えばこう思うきっかけになった中学時代。
部活決めにおいて、結局テニス部を選んだわけなんだけど、音楽が好きだから吹奏楽部とかも実は興味あったし、かと思えばキラキラしてそうなイメージのサッカー部とかどうなのかなぁなんて思ったことも。
ここでまず、3又の分岐が迫ってたことになる。

そのうちの1つのルートを選んで、まぁ時は過ぎて高校受験。
結局はレベル・距離・友人関係など「無難」なとこを選んだわけなんだけど。
変な話、川沿いの夕暮れの通学路なんて「青春ぽいなー」なんて憧れてたときもあって、んでそれが実現できそうな高校があったりとか、住んでる市にもそこそこお洒落な(地域レベルだけど)学校があったし、はたまたレベル高い山の方の学校なんかあったりして。結局何択だったんだろう。

そんでまた高校の部活。ここも現実ではバドミントン部選んだわけだけど、ソフトテニス部やら硬式テニス部やら何やら。色々考えたなぁ。

さらにさらに文理選択(コース決めも絡むから一筋縄じ「なかった)とか、進路決めとか。

てな感じでめちゃくちゃ分岐点があったわけで、でそのうちのたった1通りだけを経験してることになる。偶然の積み重ね、ってやつ?

こっからメインに語りたいこと。将来の進路ってやつよ。
現時点では「未定」。「これ面白そう?」て感じのはちょくちょくあれど、「この道進みてぇ!」てなったのはないんだよねぇ。だからいろんな選択肢がいま散在してて、どれ選ぶのが「良い」んだろうかーと。

さらに言えば、そもそもそれら選択肢が全て「無難」の枠に自然と収められてるような気が。まぁ自分で納得はしてるし、特段不満とかじゃないんだけど。今の選択肢てのは、「どの企業に就職しようか」とか「どの職種がいいんだろうか」とか。なんかコースありきで考えてるのを薄々自覚する。

才能があるわけでもそれを敢行するだけの精神力もないわけなんだけど、ぶっちゃけクリエイター職にも割と興味はあんだよねぇ。小説家とか漫画家とか、あるいは作曲家やミュージシャン、それからyoutuberなんて。明らかに一般的な「無難」からは外れる道だし、繰り返すけど才能はないもんで、このへんで食っていこうなんていう気はさらさらないんだけど、もしこれらの道を選択してたらどうなってたんだろ、なんて思うときがないわけでもない。

「普通に生きたらつまんないよなぁ」てのがいつからか自分の中であって、それはまぁ漠然とはしてるけど、一度きりの人生だし大衆の主人公でいたいから、的な?これが行動原理であることは間違いないし、どの世界線で生きていようとこれを貫き通すのは変わらないと思う。

いわば非無難てのは面白い生き方(の場合が多い)。でもそれに固執するのもなー、なんて。せっかくの人生なんだからいろんなこと楽しみたい、て感じ。色々やって回るのも「面白い」。

とまぁ殴り書きみたくなったけども、考えられるあらゆる選択肢にもし飛び込んでいたら、今頃どうなっていてこれからどんな人生を歩むんだろうかと。それは後悔とも憧憬とも違う不思議な感情。未練とも空想とも違う何か。

結論、面白い生き方見つけようや、てこと!
この世界線が「良い」ものになるように奇想天外なことをしよう。

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