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なんだ、君がメタバースか。

もしメタバースだけで世の中が成立してしまったら、人間は今ある命の尊さに気づく次元を超え、死生観という概念を忘却しては取り戻してを極めて長いスパンの中で繰り返していくのだろう。

そんなことを考えながら、何事もなく一日を終えることの幸せさを噛み締めて今日を過ごしています。

タイトル通りですが、2022年になってからメタバースという言葉が急速に広まり始めたような潮流を何となく感じる昨今。

メタバースは果たしてユートピアなのかディストピアなのか、そもそもメタバースとは何なのか、どこにいるのか、今回はそんな話です。

まずメタバースとは。

メタバースは、コンピュータやコンピュータネットワークの中に構築された、現実世界とは異なる3次元の仮想空間やそのサービスのことを指す。(Wikipediaより)

言い換えると、要はオンライン上でオフライン的なコミュニケーションや身体優位性を伴わないライフサイクルが得られるものであると言えます。

そう考えるとメタバースは先入観以上に身近なものなのかもしれません。

というのも、僕がアメリカに住んでいた2020年の秋、どうぶつの森が大バズりしまして。

生憎僕はゲームに疎いので、せいぜい知人がやっているのをちゃちゃ入れながら横目に見ている程度だったのですが、不自然なほど綺麗に整った木々肥える街並みの中で都合良い姿にキャラクタライズされた主人公とほにゃほにゃと喋る動物たちとの会話が繰り広げられている様子を見ていてふと思いました。

「なんだ、君がメタバースか。」

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あの液晶の中の世界と現実逃避すら感じさせる桃源郷はまさにメタバースであると。

社会実装に値する完成されたメタバースかと言われるとフィジカルへの還元がない点で再現性に欠けますが、むしろどうぶつの森やマイクラですらメタバース、そんなところにもメタバースという捉え方の方が本質的には正しいような気がします。

ただ人類が半数以上住みこむ完成されたメタバースが存在するとしたらおそらくどうぶつの森ほど優しくないので、気がつけば"にんげんの雑木林"みたいになっていないことを願うばかり。

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オンラインにオフライン的付加価値のついたメタバースですが、少しだけ気になる点がありまして。

というのは、必ずしもオフラインの価値をオンラインに持ちこめばプラスになるかと言われるとそうではないということです。

オフラインにはないオンラインの大きなメリットは気軽に他人を無視できることだったりします。

実際に僕がコンビニで買えるレベルの日用品ですらAmazonで買ってしまうヘビーユーザーなのも、店頭での猛プッシュを受け流すことに労力を費やしたくないからです。

Amazonだったら、いらなければ指一本ピッて触れるだけで誰に何を言われることもなく陳列棚に戻すことができます。

メタバース上で買い物をしようとしたらどこに行ってもイケイケアパレルショップの店員さんがいるみたいな状況が生まれた瞬間がディストピアの始まり。

はたまた感情の見えない顔で虎視眈々とコミュニケーションを積み重ねていくアバターで溢れかえった世界がユートピアに歩を進めるのか。

身近なメタバースと少し遠いメタバースをこの先もじっくり眺めていこうと思います。

ただ詰まるところ、どんなにメタバースが発展しても身体に銃弾一発打ち込まれたらあっけなく死んでしまうわけですから、死ぬという可能性が残っている限りは今ある命の尊さを存分に胸に刻むことにして。

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