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それでも朝はくる



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今日は私の25歳の誕生日です
1/4の人生がおわり、
3/4の人生をこれから生きる節目に
ずっと言葉にしたかったことを書きました😊
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お父さんが倒れた夜の日



眠れなかった。



いっそこのまま、
起きたまま朝を迎えようと思っていた。




徐々に自分の意識が遠のき、
いつの間にか寝ていて



目覚めると「寝てたんだ」という感覚に陥った。



ベットの中、すぐに思い出す現実。
悲しいこと。



だけど、外は明るかった。




数時間前の自分とは、
外の明るさだけが違う。


眩しくて目が覚めてしまう。





ずっと、このまま一生寝ていたい。






それでも朝はきて、
1日は始まる。




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高校時代、お父さんが脳梗塞で突然倒れた日。
その日は日曜日だった。



お母さんに明け方起こされる。

「お父さんが起きない」



急いで寝室に向かうと、
お父さんは横たわったまま目線だけをこちらに向けていた。



あの子どもたちを最後に見たい、という強烈な視線は今でも忘れられない。




姉と私を見て数分後、お父さんは静かに目を閉じた。


失禁している姿を見て、目の前で起きていることはただことじゃないんだと知る。





昨日まで話していたお父さん。



「最近部活はどう?」と聞いてくれたのに、私は「引退したって言ったじゃん」とだけ伝えて、冷たくあしらってしまった。




あれが、病気を患う前のお父さんとの最後の会話だった。






お父さんは緊急搬送された。


生死を彷徨っていた。




ずっと、ずっと、待合室で待った。






緊急治療室には私たちは入れず、
夜になり、その日は一度家に帰ることになった。





次の日。
私は学校に行った。




何もしていないと、心が完全に潰れてしまいそうと思ったから。



電車に乗ると、一気に感情が込み上げた。

現実は残酷だ。



あのサラリーマンも、あの学生も、
みんなみんな、日常が繰り広げられてる。





なんで?



なんでお父さんが?
なんで私たち家族が?
なんで私が?






あんなに優しいお父さんが。
あんなに頼れるお父さんが。





なんで目の前のサラリーマンじゃないの?







ーーお父さんがかわいそう。







運命の理不尽さをひたすら恨んだ私は、前を見て電車に乗ることすら、歩くことすらできなかった。



たまらず俯いていると、自然と涙が落ちてきた。



私は17歳ながらその時悟った。



多分私がどんなに落ち込んでも、
この世界は回るんだ。



私が今ここで死んでも、
この世界は回るんだ。




結局、みんな同じ時間を生きているけど、
終わってしまう。



ふとした瞬間、とても呆気なく。




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お母さんは強かった。


歳を重ねたらわかるけど、
パートナーがいなくなるって
同時に何人もの役割を失うことだ。


私には計り知れない悲しみ。







子供たちは学校に行っていて。
病院には母だけ。




お医者さんが、母の元へくる。



「1時間以内に、延命処置をするか決めてください」




夫の延命をするか、死を選ぶか
決断を迫られた病院の一角。



本当に怖くて辛くて、
言葉には表現できない気持ちだったと。



ずっと泣いていた、と聞いた。



そして母は独りで、
大きな覚悟を決める。




手術をする。


もしかしたら今後植物状態になるかもしれないお父さんをずっと見ていくと。



いのちを、戻したいと。




ーーーーーー


体育のバドミントンの授業中。


元担任が、すごい速さで走って私の元までやってきた。





クラスメイトが私に注目する。



今でも忘れない。


「お父さんが危ないみたい」




すぐに早退して、病院に向かう。




この病院まで向かう昼間。
ここでも私に教訓を与えるものがあった。



平和に、穏やかに見える外。
授業の音がする校舎。
気持ちよさそうに散歩する人。



そこには、
私だけを取り残して、
日常が流れていた。





自分が当事者になって初めて気づく。



私がぼんやり過ごしてたあの日、
あくびをしていたあの時、



世界には苦しい思いをしている人が、
絶望を感じている人が、



いたんだろうな。




ーーーーーー



病院に着く。





母は、泣きまくる子どもたちに声をかけ
「大丈夫だよ」と勇気づけた。




お母さんは、もともと強かったわけじゃない。
きっと色々な壁を、
山を、乗り越えてきた。




そして、お父さんも。



お父さんは7人兄弟の長男で、
苦労して育ってきたと聞いた。



たくさんの壁、悔しさ、やるせなさ、
絶望を乗り越えて。



今まで必死に生きてきた。




この自分達に与えられた人生に、
自分なりの「生きる意味」、
「前を向いて歩く理由」を見出して。



最終的にどんな時も
「前進する」と、


覚悟をきめて生きてきたんだ。





お父さんは、そのままなんとか命をとりとめ


奇跡的に生きることができた。




手術してくれたお医者さんに会った時



命があるありがたみ

お父さんへの愛情

自分の無力さ

目の前の人に、助けていただいたという実感。




たくさんの想いが押し寄せて、

涙が止まらなかった。





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あれから8年が経つ。



お父さんは後遺症で半身麻痺になり、車椅子生活をしている。


そして、失語症もあり、あまり自分の言葉で話すことができない。





ただ、毎日屈託のない笑顔で笑ってる。




家族に囲まれて、幸せそうだ。


本当に、本当に。





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人生に、意味なんて
ないのかもしれない。






だったら、その意味のない人生を、
明日終わるかもしれない人生を、



周りの人たちに1つでも返していく。
周りの人たちを幸せにしていく。
そして自分も、自分の人生に誇りをもって
生きていく。



そんな時間として使っていこう。



そうじゃないと、
いきなり明日を奪われたお父さんに
顔向けができない。




この記事は、自分が辛い時
友達が辛い時
大切な人が辛い時
贈りたいなと思って書いた。




今、自分が、あなたが
どのレベルの苦しい境地にいるかはわからない。





悲しんでもいいし
悔しいと怒ってもいい



ただ、これだけは覚えててほしい。



「朝はまたいつも通り、やってくる」





今日も自分に与えられたこの人生の続きを、
どう生きるか?



自分には変えることのできない運命を、
どう受け入れ、
どう解釈し、
そして行動していくか?



悲しみがあるから、
優しくなれる。


人を助けられる。
強くなれる。


そして、かけがえのない自分自身を
励ますことができる。




お父さんが身をもって教えてくれた、
人生の本質。







父が倒れた日のことは、何年経っても苦しい記憶として残っていた。




今は、こうして自分の教訓、忘れたくないこと として向き合って、文字に起こすことができている。




こんなふうに解釈できる日が来ると
当時思っただろうか?


たくさん悲しんで、
受け入れて、
そして、ちょっと、
ほんのちょっとずつ前を向く。








今日も、意味のない人生を


強く
やさしく
しなやかに



自分のために
周りの大切な人のために


生きていこう。


お父さんお母さん、私を産んでくれて、
ありがとう。




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