朝井リョウ『時をかけるゆとり』

朝井リョウ『時をかけるゆとり』(文春文庫)

戦後最年少の直木賞受賞者・朝井リョウのエッセイ集。
「ゆとり世代」をウィキペディアで調べると、1987年4月2日~2004年4月1日生まれ(狭義では1996年4月1日生まれまで)がゆとり世代に該当するらしい。平成元年生まれの著者の場合、小学校6年生の頃にゆとり教育が始まり、中学・高校時代を完全にゆとり教育で過ごしてきた「ゆとり黄金世代」である。本書は自伝的エッセイとして大学時代の自虐的馬鹿エピソードを語りつつ、ゆとり世代の生態を明らかにしている。
本書を読んだ人で、ゆとり世代よりもずっと上の世代の人々は「ゆとり世代って本当に馬鹿だな~!」とニヤッとするだろう。エッセイの大半を自虐的馬鹿エピソードに注ぎ、卓抜した表現力でゆとり世代たるものを主張している。馬鹿エピソードへの著者の的確なツッコミが笑える。わたしも何も考えずにフフッと笑いたかった。
平成2年3月生まれのわたしは著者と同じくゆとり黄金世代の一員であり、エッセイを読みながらはじめは「こんな奴大学にいたわ~!」と笑い転げていた(特に北海道旅行と御蔵島ジャパンのエピソードが好きだ)が、だんだん苦々しく悲しい気持ちになってしまった。

ゆとり世代のイメージは①打たれ弱い②欲が無い③言われたこと以外出来ない④怒られ慣れていない等々社会に出るにあたって不都合なものばかりであり、それゆえに自虐的になりやすいのか。ゆとり教育は「戦後最年少の直木賞受賞者」という極めて崇高な肩書きを持った著者でさえもこんなに自虐的にさせてしまうのだろうか。各エピソードのタイトルが「直木賞を受賞しスカしたエッセイを書く」「直木賞で浮かれていたら尻が爆発する」というような自虐的なタイトルで、さらに帯には「圧倒的に無益な読書体験」(129頁)がという言葉がコピーとして使われている。調子に乗っちゃってスイマセン~!という低姿勢が基本形であることがうかがえる。自分を上げては落とす、を繰り返す文章は謙虚を通り越した自虐だが、卑屈っぽくならないように明るさを備え、卑屈以上謙虚未満の絶妙な状態をキープすることでニヤッと笑える一冊にしているのだ。
…もっと胸張ってくれよ!と悲しい気持ちになってしまったが、ゆとり世代の生態を暴くことがこのエッセイの使命なのであれば仕方がないのかもしれない。こんなに馬鹿をさらけ出しておいて今更カッコつけようがない、という感覚なのかもしれないけれど。うーん、そんな気もしてきた。

自虐的な馬鹿エピソードがふんだんに盛り込まれているとはいえ、埼玉‐東京間100キロウォーキングや東京‐京都間500キロサイクリングなど好奇心旺盛に行動し充実した大学生活の様子が語られている。直木賞受賞後の「スカしたエッセイ」も刺激的で、わたしも自分の夢や目標に近づきたい!とやる気をかき立ててくれる。
0から1を生み出す人は本当に尊敬する。さらに生み出したもので崇高な賞をとった人が同い年にいるなんて信じられない、という気分であるが「作家は生きている。私と同じように生きている」(245頁)のである。わたしの大学時代とあまり変わらないようなダメエピソードの数々に、あぁやっぱり同い年なんだなぁ、生きているんだなぁ、と妙に実感してしまった。

一歩一歩近づくしかない。読む人の全身をゆるませるアホ体験ばかりだが、わたしにとっては有益な読書体験だった。

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