雨宮まみ『女子をこじらせて』

雨宮まみ『女子をこじらせて』(ポット出版)

AVライター・雨宮まみの自伝的エッセイ。一番興味深いのは、タイトルにもなっている「女子」と「こじらせる」という言葉。なぜ、彼女は「こじらせる」という言葉を使うのか。

彼女の物語は中学生まで遡る。「スクールカースト最下層」、いわゆる地味めの女子層にいたとする彼女は、可愛い女子への憧れと、アイデンティティの迷走を語る。
「かわいい女」というのが、彼女の言う「女子」の語源。校則を破らないように髪の毛をカーラーで巻いたり、色付きリップを付けたり、より可愛くなる工夫をしていることが、「女子」の条件なのだ。

高校生になると、彼女は「サブカル」に目覚める。雑誌『Cutie』のファッションのような個性的な服装をし、マイナーな文化に触れる。どんどん「モテ」から遠ざかっていくことを自覚しながら大学進学を果たす。
彼女の言う「女子」は、「かわいい女」「モテる女」という、ある意味でステレオタイプな女性である。かわいさで勝負することはできないのなら、サブカルという武器を身につけるしかない。そんなアイデンティティの確立の経過が見てとれる。

大学生になり、「モテ」からは遠ざかる生活は続く。しかし、そんな彼女にもあるイベントが来る。それは、「処女喪失」というイベント。
相手は、友達の彼氏だった。ここから彼女の懺悔が始まる。

彼女は「かわいい」人間になることを、はじめから無理だと遠ざけて生きてきた。サブカルという武器を身に付けてもどこかみじめな気持ちになるのは、「かわいい」「女子」になることを諦めきれない、女として認められたいという、まさに「女子」を「こじらせて」きた自分がいるからである。

そんな「暗黒のスクールライフ」を経て、彼女は就職する。就職先はアダルト雑誌の出版社。
この出版社への経験を経て「AVライター」として独り立ちをする。

彼女は「女子」を「こじらせて」きた経緯と共に、現在の職業であるAVライターになるきっかけ、「エロ」についても語っている。

ひとり遊びの快感を知り、「暗黒のスクールライフ」と共に「エロ」を開花させていったのだ。AVライターになるまでの軌跡をなぞりつつ、最終部では現在の彼女の生き方が語られる。

「息苦しくて希望が見えなくて死にたい気持ちになるまで、たったそれだけのことがわからなかった。つらい思いをするたびに全部自分のせいだと思わなくてもいいこと、嫌われるたびに全部自分が悪いと思わなくてもいいこと、何度失敗をしても、続けていく限り可能性はあるのだということ。」(212頁)

彼女はこの時すでに30歳を過ぎていた。彼女はようやく「自分探し」の旅が終わった、と言う。
こんな私でも生きていけますよ、と「終わり」を宣言し、自分自身に救いの手を差し伸べる。

彼女の人生の物語は、辛く、悲しい、自意識を迷走させてきた「痛い」物語を暴露しているように見える。
私にも似たような歴史がある。身につまされる思いがする。

負の力は正の力を凌駕する。私は人間は誰しも、追い詰められないと力を発揮出来ない生き物だと思う。
強烈な人生を、包み隠さず語る。語る内容はとても暗いが、語り方に「こんな私でも生きていける」「生きてやる!」という、「生きる」ことへの力強い執着が感じられる。

闇があるから、光を感じられる。そう思える一冊である。

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