ならざきむつろ『タレント~あるnoterの生き様。2』
作品はこちらから↓
https://note.mu/muturonarasaki/n/nafeb4451ae44
noteというサービスは、利用者ひとりひとりの小さな「才能」を開花させてくれる素晴らしいサービスだと思う。
利用者のどれ程が、本職は「ものづくり」以外の仕事に就いている人なのだろうか。自分の「好きなこと」だけに目を向けることができる空間で、他者からコメントをもらい、あわよくば有料記事を買ってもらえる。趣味の記録であると同時に他者との交流によって自分を育てることができる。noteのビュー数、フォロワー数、コメント数は自分の能力・才能のバロメーターなのだ。
ならざきむつろ『タレント~あるnoterの生き様。2』は、とあるnote利用者「私」の約四ヶ月間の活動記録である。作中では、「才能」という言葉をテーマに「私」の感情の揺れ動きが微細に描かれている。
「noteというサービスに登録してみた。なんだかいろんな『クリエイター』さんが集まってる、って聞いて、ここなら私の才能も認めてもらえるかな、って思ったから。」(8月16日)
「びっくりした。昨日の夜アップした『Last Summer』に、思った以上のスキやコメントがついたから。(中略)だって、嬉しかったんだもの。自分がカタチにした想いを、たくさんの人が解ってくれたんだから。ほんと、noteやってて良かった。」(8月30日)
当初は純粋に「ものづくり」を楽しんでいた「私」だが、次第にnoteの「才能のバロメーター」に振り回されていく。
「自分の何が悪いんだろう。タイムラインを流れていく他の人のnoteには、沢山のコメントがついてるじゃない。なのに、どうして私のnoteにはコメントが付かなくなったんだろう?」(9月23日)
「タイムラインを流れていく、他の人のnote。嬉しい事も悲しい事も、綺麗なものもカワイイものも、いっぱい流れていく。まるで、太陽の光を浴びてキラキラと輝いてる川のようなそのタイムラインから、私は何故か目が離せなくなっていた。――やっぱり、何かアップしようかな?でも――」(10月30日)
「私」はバロメーターを見ながら自分に足りないものがあると気付くが、何が足りないのかが分からず、作品を更新しなくなっていく。「キラキラと輝いてる川のような」作品に憧れ、悔しさと焦りが滲むが何をすれば良いのか分からず、もどかしい気持ちになる。
そして「私」は、ある日の「ネタもの」のnoteをきっかけに、あるものを売る決意をする――。
前半の記述は、まるでnoteを始めたころのわたしではないか、と錯覚するほど恐ろしく絶妙な感情が描かれており、「ものづくり」を本職とする人への憧れ、そういう人に近づきたい・そして自分を認めてもらいたい願望、作品を公開する「場」があるという嬉しさ、本職であるかのような気分にさせてくれるnoteの魅力が全て語られている。
後半からあるものを売る決意をし、「私」はあるものを全て売り切ってしまう。「私」の「売りもの」自体はたくさんあったのだが、「私」には「自分の売りものを最大限に引き出す才能」は無かったのだ。
この作品の後半は、どことなく「週刊ストーリーランド」(懐かしい…)を彷彿とさせる場面があるが(わたしだけ?)、「才能」という非常に現実的で残酷なテーマであり、noteで「ものづくり」に励む人の心にちくりと刺すものがある。
わたし自身、「ものづくり」に関わる仕事に就きたかったが現在は異なるベクトルの仕事をしており、心の中では諦めきれず、くすぶった思いをnoteに消化(昇華…というより)したいという動機もありnoteに参加している。「才能」という言葉はあまり好きではないが(悔しい思いばかりしているから、という後ろ向きな理由…笑)、「才能」というものが存在すること、そしてその「才能」に惹かれることは確かにある。
「才能」という圧倒的なものに対して自分にそれが無いと知った時、わたしはいまのところ「努力」と「意欲」で対抗するしかない、と思う。
ゆえに負けず嫌いなわたしは「才能」に惹かれ、「才能」に憧れながら、コツコツnoteを更新していきたいと改めて思った。
要は、ならざきさんの作品、とっても面白かったってことです‼
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