湯山玲子『文化系女子という生き方』

湯山玲子『文化系女子という生き方 「ポスト恋愛時代宣言」!』(大和書房)

近年「○○女子」「○○ガール」という言葉が増えている。
男性は草食か肉食くらいのもので、女性にはこれでもか?!という程たくさんの造語が産まれている。
本書は「○○女子」が産まれる時代背景、「少女」時代から派生した「文化系女子」の系譜、そして「○○女子」のひとつひとつを検証し、その総称とも言える「文化系女子」としての生き方について語っている。

「ドラッガー&サンデル女子」
「アート大好き系女子」
「日本酒女子」
「バーキン女子」
「きゃりーぱみゅぱみゅ女子」
「インモラル嗜好女子」
「政治参加社会派女子」

だいたい名前だけでどういう生態なのかは想像できるのではないだろうか。時代の流れに沿って、たくさんの「○○女子」が産まれる中、著者は「文化」に対してアクセサリー感覚になっていないだろうか?と警鐘を鳴らす。と言うより、バッサリ切り捨てている。

「文化系としての最低ラインは、少なくとも文化教養に対する尊敬と愛と欲望があるべきだと私は思うのですが、そういうことを言いつつも、文化教養を利用して、別の欲望を貫徹しようとする不純な文化系も目立つようになってくる。(中略)女性誌はよく文化教養を取り上げますが、はっきり言って、こういうアクセサリー層が読者に多いから、ということは言えます。彼女たちにとっては、表現そのものよりも、そこでドレスアップすると、一緒に行くハイソなお友達関係、公演後のシャンパンが何よりも楽しみなので、特集もそのあたりの方が詳しかったりして。」
(132頁 第四章 黒文化系女子)

「人生にはいろんな悩みが次から次へと押し寄せてきます。結婚したい、パートナーが欲しい、仕事でチャンスが欲しいなどなど。(中略)で実際、そういうときに、読んできた本やいろいろな文化教養が役に立つことは、本当にあるし、それをメインテキストにしながら、具体的な行動を起こすしかないのに、多くの女性は出雲大社にパワスポ旅行に出かけてしまう。その時間とカネがあったら、恋でも仕事でも一目おかれる話題の引き出しのために、本を読み、映画を見た方がいいと思います。テキストベースの文化系は、古今東西の多様な世界の物語をたくさん持っています。これまた大いにそれが身を助けるのですよ。」
(146頁 第四章 黒文化系女子)

「今の時代が「生きにくい」のはなぜか、それがどうしたら解決できるのか、ということを考えていくわけですが、はっきり言って、それを日本人女性がリアルに考えるのだったら、それは真っ先にフェミニズムだと思うのですよ。(中略)しかし、サンデル女子たちと話してみると、あまりにフェミ関係の読書量だったり、知識が少なすぎるし、毛嫌いしているようにも思える。(中略)現在、ビジネス界という権力構造に、一番ピックアップされ、イバリがきく”アクセサリー”が、経済、哲学なのでしょう。」
(170頁 第六章 文化系女子マッピング「ドラッガー&サンデル女子」)

「実際、彼女たちが本当に興奮しているのは、作品自体ではなく、美術館のミュージアム・ショップでの買い物ではないか、と思うところもあります。アート大好き系女子で、草間彌生のファンというならば、彼女の手になるあの倦怠と退廃の小説『クリストファー男娼窟』の救いのない暗さまでを知っていてほしいし、ミニマルアートやフェニミズムアートに興味を横滑りさせて、深掘りしてほしい。」
(183頁 第六章 文化系女子マッピング「アート大好き系女子」)

「私は、そういったプロの日本酒女子と対談したことがあります。彼女たちは、確かにいろいろ足を運んでいてネットワークもあるのですが、残念なことに、日本酒は知っていても日本酒文化に関しては無知でした。吉田健一の酒に関するエッセイ、開口健、池波正太郎といった、日本酒の文化を語るならば避けて通れないだろうと思う作家を誰ひとりとして知らなかった!酒文化は当然、地方ならではの独特のルールがあるはずで、とすると民俗学的なアプローチもあってしかるべきなのに、その手の質問をしても会話にならないのです。」
(191頁 第六章 文化系女子マッピング「日本酒女子」)

著者自身はと言うと、「文化系・肉食系バイリンガル」と豪語しており、「第三章 文化系&肉食系バイリンガル個人史」で著者の文化教養の歴史が語られている。父は作曲家、母は合唱団主宰指導者という文化教養に恵まれた家庭環境に育ち、文学、映画、ロック、クラブカルチャー他、すくすくと文化圏を拡大していく。現実世界においてもスクールカースト上位グループとカルチャー好きグループを行き来する「リア充」な生活を送り、バイリンガルを発揮していたのである。

本書では、引用の通り文化人の名がぞろぞろと登場する。著者の文化圏の広さに圧倒されっぱなしで、「あぁ、自分はなんて狭く浅いんだろう!」とつい嘆いてしまう。
もちろん、著者の愚痴のような、嘆きのようなアクセサリー感覚の「文化系女子」のぶった切りで終わるのではなく、最終章で正しい「文化系女子」としての方法論を説いてくれる。

「現実世界でヒリヒリした世界があるということを実感した上で、取り入れる文化教養は、その読み取り方が格段に違います。(中略)そうやって、自分の人生とシンクロしたときに、実は本当に作品を”読めた”ことになるのです。」
(258頁 第七章 文化系女子の方法論)

「こう考えると、表現から放たれたものと自分の内面との化学反応を楽しむ姿勢こそが、文化系女子ライフのひとつの指針になってくるでしょうね。いやいや、これはめちゃくちゃリア充な話ですよ。表現は、自分の実人生の変化と成長ありきで、感じ方や感動の仕方が変わってくるのですから。」
(268頁 第七章 文化系女子の方法論)

学生時代には意味のわからなかった言葉や表現も、社会の荒波に揉まれるようになってから再読すると納得するような感覚。その感覚こそが救いとなることもあり、明日への活力につながる。
本書を読んで、さらに読書のやる気が出てきました。
著者のような文化圏にはまだまだ及ばないけれど、ちびちびと進んで、時にはハズレくじを引きながら人生のバイブルを増やしていきたいです。


おまけ話。本書の編集者はわたしの友人(戦友?仲間?)です。
あとがきに名前が載っていて、なんとも言えない感動が…。こういう時は、おめでとう、と言うのかな?
わたしも「今どきの20代とは思えぬ、ガッツと粘り」をもって日々頑張りたいなぁ、と本書とは別の視点で思ったのでした。

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