上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』

上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』(文藝春秋)

マタハラ問題をきっかけに「たたかう読書」をすることが多くなり、今回は「いかにも」な一冊を読了。

はじめに表明すると、わたしは著者の言説を100%支持しない(全否定という意味ではない)。共感する部分もあるが首をかしげる部分もあり、それは著者がフェミニズムの「プロ」であるから、極論すぎると感じてしまうのかも知れない。

社会人になってから、「女性の働き方」についてもやもやすることが多い。
わたしは数年前まで完全なる「男社会」であった現在の職場で、営業職として男性と同等の業務をしている。終電になることもたまにあり、休日出勤もある。社歴が浅く効率良く仕事ができていないという反省点もあるが、現在の職場で「いつまでこんな働き方ができるだろう?」と自然に考えてしまう。

最近Facebookでシェアされていたマツコデラックスの言葉にも頷いた。

男女平等についてマツコは「男の世界に合わせられる女の人じゃないと平等には結局ならないもんね。女の感性のままで勝負しようと思ったら、相当無理だよ」と苦言を呈した。女性政治家が増えていることについては「スカート履いてるだけで、中身は男じゃん」と一刀両断した。

さらにマツコは「これまでは男の人の基準に女の人を合わせることが平等だった」「『男がしてることもしていいよ女も』っていう男女平等だった」と男女平等の仕組みを説明してみせた。

こちらのサイトより引用(http://news.livedoor.com/lite/article_detail/9406453/)

わたし自身、中身は男であろうとしていると実感した。だってその方が仕事上では楽だもの。お化粧はするがスカートは極力はかず、香水もつけない。女性らしさを極力抑えて男性並みに働こうとする。そういう振る舞いをしていれば(業務をこなしている前提で)周りは文句を言わないだろう、と思っている。
しかし長続きはしないと自分自身感じているし、女性である自分が「女であろうとする」ことを否定することもつらい。

「自己実現欲求」(やりたい仕事をし続ける)と「女性としての生き方」(結婚、出産、子育てなど)の両方を求めることは現代社会では「わがまま」と捉えられる。どっちかにしろ!と言われたら後者を選ぶ。しかし、働かなければいけない経済的事情がある女性にとっては、後者の時期を遅らせるほかの道が無い。
今後仕事をしていく上で、遅かれ早かれ来るであろう「結婚・出産」に対してわたし自身がどういう心づもりでいるべきか。「時期を遅らせる」以外の現実的な「解」を見つけることが仕事のモチベーション向上にもつながる、と最近気付いたのだ。

不景気の現代で、働く女性は「サバイバル」意識を求められている。
本書では、「男女雇用機会均等法」が制定されるまでの時代の流れ、制定されたことによる女性の労働意識の変遷、チャンスをものにする「バリキャリ」と「ハピキャリ」の分裂、現代社会は女性にとって生きやすくなったのか?という命題に対する答え「イエス・アンド・ノー」の分析、おわりに「女たちのサバイバルのために」どのような心づもりでいるべきか、著者の考察が書かれている。
最終章で本書の総括をしてくれているので、最終章を中心に引用する。

「企業が学習したことは「女も使える」ということです。あたりまえです。いままで知らなかったキミたちが愚かだ。「女にも管理職が勤まる」という発見です。これもあたりまえです。ポストが人を育てます。やらせてみたら、できた――それが均等法以後の経験でした。それに加えて「女が辞めない」ということも彼らは学習しました。それなら応分に働いてもらわなければ――と均等法以後の企業は学びました。」(303頁)

「雇用の柔軟化によって働き方の選択肢は多様化しました。ですがそれはその実、雇用の規制緩和による雇用破壊であり、多様化という名の格差の拡大であることも指摘されてきました。今や日本の女性労働者のおよそ六割が非正規雇用者。新卒の若い女性も非正規労働市場に投げこまれる時代です。(中略)たとえ自分がサバイバルしても、企業の方がいつ傾くか、こちらもわからない時代です。」(320頁)

「サバイバル」の時代に女性はどのような心づもりで生きていくべきか、著者は次のような考察をしている。

「人生の帳尻は五年や十年では合いません。彼女のキャリアには育児でブレーキがかかり、それまで男に伍して「一番」を張ってきた彼女のプライドはずたずたに壊れるかもしれません。ですが仮にしごとに優先順位を置いたからといって会社がそれに報いてくれるとは限りませんし、そのしわ寄せは子どもに行って、彼女は将来とりかえしのつかない後悔をするかもしれません。目の前の子どものニーズを最優先しようとしごとを犠牲にした彼女は、代わりに人が育っていく過程を共有する喜びを味わうでしょう。(中略)育児と介護は待ったなし、そしてこれほど専門分野を排し、人間の総合力を必要とするしごとはありません。育児で培った彼女の総合力はいずれしごとに生きるでしょうし、その能力を生かさないような職場なら見限って転職したほうがよいでしょう。(中略)はたらき方を考えることは人生のバランスシートを考えること。そして逆説的なことに今日では、差別のおかげで女たちのほうが、正気でそのバランスシートを考えることができていそうです。」(331頁)

著者は、人生の「収入」や「やりがい」をひとつに絞るのではなく、多方面に向けた「マルチプル」な生き方を提案することで、従来の仕事に対する負荷を軽くしていく、という人生設計のひとつの「解」を提示している。

収入源である企業自体がいつ無くなってもおかしくないサバイバルな世の中を生き抜くためには、こうした生き方も必要だと言えよう。「オヤジ社会にしがみつくことなく自立して生きていくぞ!」とは言ってもオヤジ社会がはびこる現代、女性たちにはある程度の器用さとモチベーションの高さがいるだろう。
「心の負荷を軽くする」ということを第一目標としたときにわたしがまず思ったことは、

「協力者」をひとりでも多く見つけていくことが働く女性に必須ではないか。

同性でも、異性でも、自分の生き方働き方を応援してくれる人・支えてくれる人をひとりでも多く見つけていくことが、いまのところいちばん身近で簡単な方法ではないかと思う。本書でも「イクメン」の例が出ているが、協力的なパートナーを見つけることで心の負担はとても軽くなるはずだ。同性でいちばんの支えになるのはもちろん母。家族以外にも、仕事仲間や友達など、多くの「協力者」を見つけて、仕事へのモチベーションを高めたり、心の拠り所を増やしていけば良いのではないか?と思った。

…なんてシンプルな「解」なのでしょう。

本書を読んで、どのようにして現代社会が形成されていったのかという流れを勉強することができたし、参考になる考え方もたくさんあった。将来のことを考えていやな気持ちになることもあったけれど、わたしなりの「解」を増やしながら生きていきたい。

もちろん、わたしも他者に対して「協力者」になって、たくさんの人を応援して・たくさんの人に応援してもらうことが最良だ。

理想は高く持ちつづけ、りっぱにハッピーに生きていくぞ!!!

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