千早 茜『男ともだち』

千早 茜『男ともだち』(文藝春秋)

ずるい物語だ。

「男ともだち」という存在。わたしにもそのような存在はいる。小学校からの付き合いで、上京したいまでもたまに連絡をとって遊ぶことがある。会わなくなったからといってさみしく思うこともなく、二、三年ぶりにタイミングが合ったら地元で飲んだりカラオケに行ったりする。性愛の情をいつの間にか超えた、鼻水をたらしていた時からの付き合い。「幼馴染み」のような感覚。そんな「男ともだち」ならいる。

この物語はあきらかに前述のそれではない。主人公・神名の「男ともだち」の「ハセオ」は、大学時代のサークルの先輩・後輩の仲で、いつも一緒だったが一度も恋人同士になったことはない。
神名には同棲中の恋人と医者の不倫相手がいる。彼氏にはほとんどときめかない。不倫相手と性欲の発散をする。そんな生活を送る中、久しぶりに「ハセオ」と出会うところから物語が始まる。

「服だけは品の良いサラリーマン風だったが、漂う空気は変わっていなかった。甘くて苦い独特の香り。スタイルは悪くなく、服装もきちんとしているのに、だらりとした印象がある。
 見上げたままゆっくりと手を動かし、頬杖をついた。じっくりと確認するまでもない。桜なんかで消えてしまうわけがなかった。黒く協力なオーラを放ってハセオがそこにいた。」(第一章 35頁)

「私だって老後は心配だ、いつ仕事がなくなるかもわからない、老後はおろか一年後の自分すら見えない。そう言いかけたが、止めた。(中略)でも、ハセオが変わってしまうとは思えなかった。」(第三章 120頁)

「夢があったら叶えたい。欲望があったら埋めたい。傷があったら治したい。そんなのは当たり前のことだ。
 でも、強さとはそういうものではない。本当の強さはもっとしなやかだ。
 私は強くなんてない。強くあろうとしているだけだ。
 吐くように泣きながら、ハセオ、と思った。ハセオなら、笑い飛ばしてくれる。あの掠れた笑い声が聞きたい。
 でも、ここで甘えたら駄目だ。
 駄目だ、駄目だ。そう思うのに、コートのポケットから携帯電話を取りだしていた。握りしめたまま唇を噛む。いけない。」(第三章 136頁)

ハセオと再会してから、神名の環境が少しずつ変わっていく。それでもハセオとの距離は変わらない。神名は甘えてはいけない、と思いながらハセオに適度に甘えている。「男ともだち」という関係性は都合が良い。駄目だ、と思いながらつい甘えてしまうずるさを違和感なく引き出す関係性である。

「この人が大切だ。
 ハセオは大切な大切な男ともだちだ。この先もずっと。
 だから、甘えてばかりでは駄目だ。ハセオに何かがあった時、私が助けてあげられるように、私も変わらなきゃいけない。
 いつも私ばかりが頼っていた。ハセオに救われていた。楽をさせてもらっていた。なのに、私はハセオの弱音すら受け止めたこともない。
 ごめんね、ハセオ。
 心の中でそう何度も呟きながら、女の自慢話をするハセオに悪態をついた。」(第六章 230頁)

「男ともだち」という言葉には、くすぶった愛情が込められている。お互いを理解し合っている自信はあるが、「男ともだち」以上に近づこうにも上手くできない。しかし離れたくない。神名は、恋人でも不倫相手でも満たされなかった愛情をハセオとの間に見出しているのである。

読みながら、さっさと触れてしまえばいいのに!ともどかしくなる。不器用な心理描写に息が詰まる。こんなに愛情がこもった「男ともだち」という関係をわたしは知らない。本当にあるのだろうか?といまでも思う。「仲間」のような、お互いが信頼しきっているからこそ成り立つ関係性なのかもしれない。

物語全体に漂う爛れた空気感は、人を惹きよせる力があるのだと実感した。

ずるい物語だ。

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