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柴崎浩(from WANDS)INTERVIEW_music freak magazine Vol.5(1995年4月号)バックナンバー

  CD SHOPを中心に配布していた音楽雑誌「ミュージックフリークマガジン」のバックナンバーを紹介するブログコーナーです。
 今回は、皆さんからのリクエストが多かったvol.5(1995年4月号)の表紙を飾ってくださった、WANDSギタリスト・柴崎浩さんの巻頭ロングインタビューを大公開!!

 「世界が終わるまでは…」「もっと強く抱きしめたなら」「時の扉」など90年代に数々のヒット曲を放ち、時代を代表するバンドとして君臨したWANDSが、オリジナルメンバーの柴崎浩さん(Gt./第1期・第2期)、木村真也さん(Key./第2期・第3期)、3代目ヴォーカリストとして迎え入れられた上原大史さんにより、2019年よりWANDS 第5期として19年ぶりに復活。
 現在は、4月10日にリリースとなった人気アニメ『名探偵コナン』との4度目のコラボとなる新曲「大胆」が高評価を得る中、6月、7月には第5期として初となる東名阪ホールツアーの開催を控えています。作品リリース、ライブを重ねるごとに第5期のオリジナリティが顕著になりつつあるWANDSですが、そのサウンドの中軸を担っているのが柴崎さん。WANDS以外にも、abingdon boys schoolのメンバーとしても活動、その他作家として他アーティストに楽曲を提供したり、ギタリストとしてレコーディングに参加するなど、プレイヤーとしても、ソングライターとしても厚い信頼が寄せられています。

 そんな柴崎さんが、4thアルバム『PIECE OF MY SOUL』の制作が佳境という時期に取材を受けてくださったインタビュー記事をご紹介。音楽との出会い、学生時代のギター漬けの日々、プロになるきっかけetc…柴崎さんの音楽ルーツを知ることができ、且つ30年近い年月を経た今だからこそ読み返してみると大変貴重で、興味深い内容になっています。是非ご一読ください。

※当時の誌面のまま、記事上の写真はモノクロでの掲載となります。

WANDS第5期最新情報 ▶️▶️▶️  https://wands-official.jp/


●○●Hiroshi Shibasaki  INTERVIEW  Music Freak Vol-005 APRIL 1995

ー思い切ったことをやりたかった ー


■最新シングル「Secret Night〜It's My Treat〜」を初めて聴いたとき、いきなり感じが変わっていたのに驚きました。なぜこの曲をシングルに選んだんですか?
柴崎浩(以下S):
いつも新しい部分を持っていたいという思いがあって、「世界が終るまでは…」を出して次のステップへ行くときに自分達のやりたいことは分かっていたんだけど、なかなかそれに相応しい曲がなくて、出すのに時間がかかってしまった。そのときに、上杉(昇・WANDSのヴォーカリスト)が、“こんな曲があるんだけど”って。皆で聴いてみたら、特にAメロ、Bメロのメロディの感じとかが自分達が気持ち良くなれる音楽に近かったから・・・。わりと今回はCDを出すまでブランクがあって、その間メンバ一同士でいろいろ話し合いをしてお互いやりたいことがだいぶ分かってきたから、ギターを入れるときも自分なりのアプローチが出来たと思うな。
■あの曲をシングルで出すことに、不安はありませんでしたか?
S:
ないと言えば嘘ですね。“お経みたいなメロディ”だという人もいて、やっぱり不安はあったんだけど、思い切ったことをやりたかった。(今までと)同じことをやってても面白くないわけだし。
■自分でも“いきなり変えすぎたかな“とは思いました?
S:
どうだろう……ただ、ああいうことをやってどれくらいの人が共感してくれるか、という賭けみたいな部分はあったのかもしれない。でも、自分自身に嘘は付きたくないから……。
■周りがどう言おうと出来自体には満足している、と。
S:
そうですね。
■「世界が終るまでは…」以降、バンド・サウンドがより強まってきましたよね。さっき聴かせてもらった4thアルバムの収録予定曲も、過去のアルバムとは趣が変わっている。これは、ライヴも含めたいろんな経験によって生じた意識的変化の現れですか?
S:
自分のギター・プレイについて言えばデビューから今までを振り返ってみると、最初の頃はわりとスタジオ・ミュージシャン的なアプローチというか、素人が聴いても分からないような細かいバッキングとかダビングにこだわっていた。アレンジ的発想が強くて、主張のようなものが薄かったんじゃないかな。あくまでも歌のサポート的な役割というか……。それがメンバーの影響とか自分の音楽的嗜好が変わってきて、最近はああいうギター・プレイになった。
■作る曲も前はどちらかというとAORっぽいアプローチの曲が多かったのが、だんだんと重たいロックっぽいものに変わってきていますね。
S:
WANDS自体がアマチュアから一緒にやってきたバンドではなかったし、まだ世間が見えてない部分もあったから、最初は何となく様子を窺っていたところがあった。でも去年ライヴをやってみて、やっぱり“自分達が演る”というのが大前提にあるんだから、自分達がいいと思う音を迷わずにやってみようという思いが強くなってきて。アレンジに対して、上杉も今まで以上に “スネアも2.4じゃなくてリムで静かにいく感じ”とかアイデアを出している。曲も今回は最初からリフがあって、というのが多かったですね。

ー何かが突き刺さるようなプレイを最近は心掛けてるー


■柴崎さんは、ギター・ソロにじっくり時間をかけるタイプ? それともインスピレーションだけでサッと終わらせるタイプですか?
S:
時間をかけるタイプ。とりあえず最初は何も考えないでテープを回してみるんだけど、何テイクかやってみてそれを聴き直して自分の中で方向性を決めてやったりしてる。ただ、短時間でサッと終わらせるタイプも分かる気がするんですよ。最初の2~3回のテイクというのは流れがスムーズだったりするから絶対に消さないようにして、煮詰まるとまたそれを聴いて”こっちのほうが流れがいいな“とか。でも、やっぱり細かいところが気になっちゃうから、けっこう何回もやるんだけど(笑)
■ギター・ソロはギタリストにとって一番目立てる場所だから、一層気をつかいますか?
S:
う~ん、誰に聴かせても恥ずかしくないプレイをしたいというのはある。ミュージシャンじゃない人に対しても、ミュージシャンに対しても。ギターとか音楽とかをあまり知らない人、演奏しない人がいても、ちゃんと届くプレイというか……。何かが突き刺さるようなプレイを最近は心掛けてる。
■ギターは曲やフレーズによってかなり使い分けてますか?
S:
わりと器用なギターを使っているから大体はそれ1本でやってるんだけど、レコーディング後半ではトラックごとに変えたりもしましたね。
■リフとパッキングは違うギターで?
S:
アンプとかエフェクトとかセッティングが違うけど、同じギター。
■メイン・ギターは何本持っていますか?
S:
メインは1本です。
■え? 1本だけなんですか。
S:
自分が”こうしたい”と思ったときにすぐ反応してくれるギターじゃないと嫌だから……そうなると人と付き合うのと一緒でそれなりに慣れが必要だし。
■いま、合計で何本のギターを持ってるんですか?
S:
エレキで5本くらい。あとはエレクトリックのガット(ギター)とエレクトリックのスチール弦を1本ずつ。
■メイン・ギターはどこのメーカーですか?
S:
あれはアート・テックといって、一人のギター・ビルダーが作っているカスタム・メイドのブランドのギターです。結構プロのミュージシャンが使っている。
■そうするとボディからピックアップからこだわったギターなんですね。
S:
使っているうちに馴染んでいくようなところがあるから、ここしばらくは同じものを使ってる。このカスタム・メイドにも昔から使い慣れているのを付けてます。
■あまり新製品に目移りしない方なんですか?
S:
最近はいろいろ試したりもしてるけど……やっぱり慣れてるのが一番かな。

ー高校1年の時に、ギターに転向してバンドを組んだんだけど、その頃テレビでラウドネスを見て、すごい衝撃を受けたんですー


■ところで、中学生のころはどういう音楽を聴いていましたか?
S:
俗にニューミュージックと言われる音楽です。オフコースとか安全地帯とか。
■洋楽では?
S:
中学の時はまだ、洋楽には目覚めてなかったですね。俺が中学2年の時って、みんな洋楽を聴き始める頃じゃないですか、デュラン・デュランとかカルチャー・クラブとか。自分はそういうのにはあんまり興味を示さなかったんですよね、その頃は。
■どうしてです?
S:
ただ単に、何かグッと来ないというか……(笑)
■それは、言葉の問題もあるかもしれませんね。
S:
そうなのかな。小さい頃、歌うのが好きだったから、やっぱり言葉が分からないからというのもあったかもしれない。
■よく友達の前で歌ったりしていたんですか?
S:
家でよく歌ってた(笑)。子供だから、その頃ヒットしてた歌謡曲とか……。
■例えば?
S:
ええと……クリスタルキングとか、松山干春とかその辺。両親が音楽好きで2〜3才あたりから童謡を聴かされたし、いつも音楽が流れているような家だった。姉がピアノを習っていたから、ビアノの音も毎日流れていて。
■自分では習わなかったんですか?
S:
幼稚園の頃、ちょっとだけ習ってたんだけど、外で友達が野球をやってるのが見えるとどうも落ち着かなくて3カ月でやめて(笑)。少年野球チームに所属して、ショートを守ってた。
■中学でも野球部だったんですか?
S:
いえ、テニスになったんです。
■いきなり変わりましたね(笑)
S:
炎天下で守ってるときにヒマなのが嫌になっちゃって(笑)。時間を無駄にしているような気がして……その点、テニスならずっと打ち続けていられるじゃない?
■(笑)“夢は野球選手!”ではなかった。
S:
やっぱり子供だから、それはありましたよ。友達が引っ越すときには“甲子園で会おうな“なんて言ったりして。結局、全然違う道に入っちゃったんだけど(笑)
■音楽を始めたのは、いつ頃ですか?
S:
中学3年のときにクラスの友達とバンドを組んで、ヴォーカルとキーボードをやっていたんですよ。
■へえ、歌ってたんですか。何のコピーを?
S:
アルフィーとかオフコースとかニューミュージック系。そのバンドは卒業したら終わったんだけど、高校でも1年上の先輩とそういう音楽をやるバンドを作ろうということになって。その先輩もヴォーカルとキーボードをやる人だったんですよ。実は中学3年の頃にくだらない理由で(笑)フォーク・ギターを始めていて、コード・チェンジくらい出来るようになっていたから、先輩に“キーボードは二人もいらないから、ギター弾けるんならギターやってよ”と言われて。まあ、ギターも嫌いじゃないからいいかな、と。
■そのギターを手にするきっかけになった”くだらない理由”とは(笑)?
S:
姉に杉山清貴のピアノの弾き語りの譜面を頼まれて買いに行ったんだけど、それがギターの弾き語りの譜面だったんですよ(笑)。帰りの電車の中で奏法とかを読んでいるうちに面白そうだなと思って、さっそく買ってもらったのが始まり。そして、高校1年の時に、ギターに転向してバンドを組んだんだけど、その頃テレビでラウドネスを見て、すごい衝撃を受けたんです。何てカッコいいんだろうって。
■ハード・ロックというものがですか?
S:
そう。ディストーションが前面に出たサウンド。それまでそういう音楽を聴いたことがなかったから、自分が知らないものを見たという感じで。やっぱり多感な時期というか思春期に受けた衝撃って、人生が変わっちゃうくらい後々まで尾を引きますね。
■高崎晃(ラウドネスのギタリスト)にブッ飛んで、ロックの魅力に取り付かれてしまった。
S:
エレキ・ギターそのものに対する衝撃と魅力と、ハード・ロックのサウンドと。その頃(ラウドネスは)アメリカのレコード会社……確かアトランティックと契約したとかで、けっこう話題になっていて……。
■というと「サンダー・イン・ジ・イースト」の頃ですか。
S:
そうそう、「クレイジー・ナイト」とかね。
■ああ、“ラウドネスは知らなくてもそのリフだけは知っている”とまで言われる名曲ですね。
S:
そう。エレキ・ギター持ってなかったから次の日友達からエレキ・ギターとアンプを借りてきて弾いてましたよ。もう、聴いた感じで合っていたかどうかも分からないけど(笑)

ー初めて自分で買ったエレキ・ギター 〜 初めて完コピした曲ー


■初めて自分でエレキ・ギターを買ったのは?
S:
高校1年の7月とか8月とか、夏でしたね。よくあるグレコのレスポールのコピーモデルで、黒にミラーのピック・ガード、ケーラーアームが付いてるやつ。
■アーム付きのレスポールですか? 変わってますね。高崎さんが持っていたギターがアーム付きだったから、アーム付きにしたんですか?
S:
いえ、それはただアームが付いてたほうがいろんなことが出来るかなと思って。あとは、ルックスがカッコ良かったから。
■もちろん、さっそくラウドネスをコピーして……。
S:
あと、バウワウ、ドッケンとかナイトレンジャー、ラットとか、ヤングギターで取り上げられたバンドを。楽譜も載っていたし、欠かさず読んでいましたね。
■始めて完コピした曲を覚えてますか?
S:
やっぱり「クレイジー・ナイト」かな。
■かなり手間取ったんじゃないですか?
S:
どうだったかな。そうだ、まずは昔やってたオフコースのちょっと難しそうなフレーズをコピーして“指が動くようになってきたな”と思ってから、大好きな(笑)ラウドネスを弾いてみると以前より弾けるようになっていた。
■なるほど、そういう練習法ですか。最初にコピーした曲って、たいていリッチー・ブラックモアあたりが多いですよね。ディープ・パーブルの「ハイウェイ・スター」とか。
S:
あ、「ハイウェイ・スター」もやったかな。高校ではクラスの半分くらいが楽器やってて、いろいろ情報交換したり、楽しかったよね。ギターやってる奴の家へ遊びに行って、知らない曲弾いてると教えてもらったり。
■かなりレコードを買って練習したんでしょう?
S:
実は、アナログ・レコードって買ったことないんですよ。もっぱら友達にダビングしてもらって(笑)。あとはレンタル・レコードを借りまくってた。テープは200本くらいはあったかな。
■その頃の愛聴盤は?
S:
ナイトレンジャーの2nd『ミッドナイト・マッドネス』。「ロック・イン・アメリカ」がオープニングに入っていて、さすがにあのギター・ソロはコビー出来なかったな(笑)。ああいうエイト・フィンガーにはまだ手を出さなかった(笑)
■ピッキングで勝負するわけですね(笑)。バンドでハード・ロックをやり始めたのはいつ頃ですか?
S:
高校1年のときはまだバンドというほどのものじゃなくて、ただ一緒に音を出したいというだけで。ドラムの奴がわりと音を出せるところに住んでいて、そいつの家に押しかけてやっていた。
■車庫とかで?
S:
それがけっこう強引で、普通の家(笑)。部屋にドラムが置いてあって、小さなアンプを通してギター弾いてた。ステージに立ったのはいつだろう……高1か2年の文化祭だったかな。メイクアップとかバウワウとかコピーしてた。パウワウは(綴りが)“B”の頃より“V”の頃がカッコ良くて好きだった。時のアイドルは山本恭司(バウワウのギタリスト)だったんだけど……。
■え?  高崎晃ではなくて?
S:
ではなくて(笑)
■なぜ高崎晃ではなく山本恭司に惹かれたんですか?
S:
それもテレビだったんだけど(笑)、当時NHKで「ベストサウンド」という番組に難波弘之(センス・オブ・ワンダーのキーボーディスト)と一緒に出ていて、ハード・ロックなんだけどどこか知的なところもあってカッコいいと思った。コピーをやってた頃は時間を忘れて、取り付かれたようになってましたね。電気も付けっぱなしでギター抱えながら寝てたり(笑)
■当時はひたすらコピーに明け暮れたんでしょうね。
S:
コピーをやってた頃は時間を忘れて、取り付かれたようになってましたね。でも不思議と、コピーをやって苦労したとかいうのは覚えてない。だんだん疲れて寝っ転がって弾いてると、電気も付けっぱなしでギター抱えながら寝てたり(笑)
■まさにギター漬けの日々。
S:
周りの連中の間では麻雀が流行ってて、高校生のくせに雀荘に通ってたり喫茶店で喋ってたりしたんだけど、俺はそうしてる時間がもったいなくて、早くギター弾きたいからさっさと帰ってた。“お前そんなに早く帰って何してんの?”  “ギター弾くんだよ” “へえー”っていう感じ。帰りにどこかへ寄るとしたらリハーサルスタジオか楽器屋でしたね。
■どの辺に行ってました?
S:
ほとんどお茶の水。楽器屋行ってディスクユニオンに寄るのが定番コースだった。
■それで家へ帰ったら部屋でヘッドフォンをしながら黙々とギターを弾くわけですね。
S:
ヘッドフォンなしで、ちゃんとアンプも鳴らして練習してた。親に怒られると、ちょっとヴォリューム下げたりしながら(笑)。山本恭司とかジョージ・リンチ(ドッケンのギタリスト)とかウォーレン・デ・マルティーニ(ラットのギタリスト)とかジェイク・イー・リー(元オジーオズボーン・バンド、バットランズのギタリスト)とかコピーしてましたね。高校3年くらいになるとトニー・マカパイン(フュージョンの要素を取り入れたロック・ギタリスト)あたりもやったし。
■トニー・マカパインですか。ハード・ロックとは違いますね。
S:
だんだん、ハード・ロックが好きというよりも、興味がギターそのものに変わってきたから、スクウェアとかもやったし……。
■軽音楽部に入ってたんですか?
S:
別に軽音楽に入っていたわけじゃなかった。何かあまり練習せずに時間が経っていくのがもったいないな、と思って。高校2年くらいには自分達で(お茶の水にある)宮地楽器のホールや市民会館を借りて、5パンドくらいでコンサートもしました。義理でチケット買ってもらって、髪なんかこう、立てちゃったりしてさ(笑)
■カヴァー曲を柴崎さんが歌って?
S:
オリジナルが1曲あったかな。歌は中学までで、もうギターに専念していました。
■その曲は誰が書いたんですか?
S:
それは自分で。音楽理論的なことも知りたくて、学校の帰りに楽器屋でそういう本を立ち読みしてた。でも、実際に曲を作るときは無視してたんだけど(笑)。あとは通信教育で「シンガーソングライター・コース」みたいなのをやってみたり……。
■そのときはどんな曲を書いたんですか?
S:
ハード・ロック。たまたま弾いてたら思いついたリフとかがあって、メロディなんかすごくいい加減で、自分さえ楽しければいいやっていう世界だったけど(笑)。完璧にギターの為だけに作った曲(笑)。それで高校3年くらいには4chのMTRを買ってきて、自分でバッキング・パターンとかドラムを録って、ギター・ソロを作って遊んでた。
■その頃もレスポール1本で?
S:
高校3年の頃にダンカンのストラト・タイプのギターを買ったんですよ。夏休みとか冬休みとかにバイトして自分で買った。バイト代は全部機材に注ぎこんで。
■バンドをいくつか持ってたと思うんですけど、どんなものをやってたんですか。
S:
ドッケンと、ラウドネス、オジー・オズボーン、バウワウとかのコピーバンド。バウワウはキーボードが居なくてあまり出来なかったから、自分の姉を無理やり引っ張り出してきたりして(笑)

ー高校3年の頃には”プロのミュージシャンになれたらいいなあ”
くらいには思っていてー


■高校卒業の頃は、進路について悩みましたか?
S:
高校3年の頃には”プロのミュージシャンになれたらいいなあ”くらいには思っていて。自分の技量はどのくらいなのか知りたくて、石橋楽器主催の<勝ち抜きギター合戦>とか、ヤングギターのくフレーズ完コピ大賞>に応募して。<完コピ大賞>は優秀者5名くらいが点数と批評つきで載るんだけど、実は俺、載ったんですよ。
■すごいですね。その時は何のコピーで応募したんですか?

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