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BAAD 再会!! SPECIAL INTERVIEW

 BAADは1992年に山田恭二さん(Vo.)、大田紳一郎さん(Gt. & Cho.)、小林正道さん(Ba.)、新井康徳さん(Dr.)の4人で結成。翌年2月に1st シングル「どんな時でもHold Me Tight」でビーイング内のレーベル「ZAIN RECORDS」からデビュー。3rd シングル「君が好きだと叫びたい」がアニメ「SLAM DUNK」の前期オープニングテーマに起用されヒットするも、1996年に山田さんが脱退。新たに秦秀樹さん(Vo.)を迎え入れて第二期活動をスタートさせましたが、1999年に解散。6年間の活動期間でシングル10枚、アルバム3枚をリリースしました。
 
 大田さんは、BAAD在籍中からZARDなどのレコーディングにコーラスで参加し、またBAAD解散直後の1999年から2003年までの間、新井さんと「RAD HAMMER」というバンドを組み、活動。2004年からは徳永暁人さん、吉本大樹さんと共にdoaとして活動を開始。その傍ら、B’zやZARDのライブにサポートメンバーとして参加したり、様々なアーティストのレコーディングにコーラスで参加するなど、精力的な音楽活動を行なってきました。一方、他の三人は音楽活動の第一線からは離れており、解散後にメンバーで会うことはなかったそうです。
 
 しかし、デビュー30周年となる2023年に突然の再会・再始動を発表。同年5月18日に山田さん、大田さんの二人体制でスペシャルゲストとしてステージに立ち、第一期としては初のライブを披露。山田さんにとっては表舞台での歌唱が約28年ぶりとは思えない変わらぬ歌声と、大田さんの80’sハードロック愛あふれるギター・プレイ&圧巻のハイトーンコーラスで魅了。鮮烈な再始動を飾りました。
 
 そしていよいよ、今年ワンマンライブを開催するBAAD。チケットがソールドアウトになるなど注目度の高さが窺える山田さん、大田さんに、過去、現在、未来についてじっくり話を聞きました。


ー BAAD再会〜脱退に至るまで ー


●お二人で取材を受けるのはいつぶりですか?

大田:約30年ぶり?
山田:そうだね。そんなに回数は多くないけど、当時は「PATi PATi」とか受けてたよね?
大田:あ〜、懐かしいね〜。
●改めて初代BAAD結成の経緯を教えてください。
大田:最初は山田だけのBAADだったんですよ。
山田:そうそう。僕はデビュー前にビーイングが運営していたヴォーカルスクールに通っていたんですけど、その時はビーイングという存在自体知らなくて、ただ歌がうまくなりたいという気持ちだけでレッスンを受けていました。学内で定期的に審査みたいなものがあって、何度か1位を獲らせてもらったりしているうちにだんだん目に止めてもらえるようになって、ある時ビーイングの創設者であり当時社長だった長戸大幸プロデューサーにお会いする機会をいただきました。そしたら突然、「君デビューさせるから」という話になって。そこからメンバーを集めることになり、最初に決まったのが大田さんでした。
●大田さんはBADオーディション出身ですよね?
大田:はい。僕はBADオーディションの後に長戸プロデューサーに呼ばれて、「BAADってのがあるんだけど、君一緒にやってくれ。明日レコーディングするから、MOD STUDIOに来てよ」と言われて。それが1stシングル「どんな時でもHold Me Tight」のコーラスだったんですけど、あの時は朝まで歌ってました(笑)
(※「MOD STUDIO」:かつてビーイングが東京・六本木に所有していたレコーディングスタジオ)
●お二人はその時に初めて会われたんですか?
大田:いつだったかな? 最初のレコーディングは単独でスタジオに入ったから、そこでは会ってないと思うんだけど。
山田:事務所で会ったのが初めてだったと思うけど、いつかは記憶が定かじゃないですね。でも、出会ってすぐに大田さんの家に行ったよね? 帰りに僕が大田さんに車で送って行くって言って、そのまま大田さんの家に上がり込んで、「あ〜こういう曲聴くんだ」って置いてあったCDを見たのを覚えてるよ。
大田:そんなことあったっけ?
山田:あったよ。まだ名前くらいしか知らなくて、お互いちょっと探っているような状態の、本当に最初の頃。
●出会った頃のお互いの印象は覚えていますか?
山田:(背が)大きい人だったので、まずそっちに目が行っちゃいましたね。あとはやっぱり自分と同じくハードロック好きなんだろうなと思いました。
大田:最初に山田の歌声を聴いた時に「ハードロックのテイストがある人なんだろうな〜」と思って、僕もハードロック上りだったので「同じような感じでいけるのかな〜」と思いましたね。
●山田さんは当時大田さんの歌声を聴いてどのように感じていましたか?
山田:完全に僕より上手い人が来たなっていう気がしていました。高い声が出るし、安定してるし、リズムっていうかグルーヴ感も持ってるし。だから僕は僕で自分の個性で歌うしかないなって思ったのを覚えています。
●同じ音楽性ということもあって、すぐに打ち解けていったんじゃないですか?
大田:結構みんなで会う機会が多かったもんね。
山田:そうだね。みんなで集まってリハーサルもやっていたので、あの頃はよく会っていました。
大田:スタジオサウンドジョーカーでよくリハをやってたよね。
(※「スタジオサウンドジョーカー」:かつてスタジオバードマンの入っていたビルのリハーサルスタジオで、ビーイングのアーティストが主に使用していた)
それはライブに向けてのリハだったんですか?
山田:最初の頃はライブに向けてというよりは、感じを合わせるためにやっていたように思います。そのうち、遠い先に見据えていたライブに向けてのリハを、ホールみたいな大きめの公共施設を借りてやったりもしていました。
大田:当時のビーイングは制作重視という観点からだったのか、 ライブはやらなくていいみたいな風潮があったんですけど、僕らは4人のバンドなんだからライブに向けてやろうって自主的に週2回くらいリハをやってましたね。
●しかし、山田さんがヴォーカルだった第一期では実際ライブは行われませんでしたね。
山田:そうですね。ライブをやる前に僕が脱退することになってしまったのでお客さんの前で披露することはありませんでしたが、実は一度だけマネージメント事務所の社長さんの結婚式の披露宴で3曲演奏したことがあります。
大田:ホテルオークラで、大勢の芸能人の方々の前で演奏しました(笑)
●それはそれですごい体験ですね。ところでデビューから約3年で山田さんが脱退することになりました。「方向性が変わった」などの理由からだったのでしょうか?
山田:確たるきっかけや理由があったわけではなく、なんとなくそういう方向に向かっていったんですよね。結局僕の力不足だったんだと思いますけど、事務所の社長さんと話をして、一人でやってみた方がいいんじゃないのという流れになりました。
大田:あの頃はライブをやりたい気持ちが相当あって、多分山田よりも他の三人の方が強かったんですよ。そういう部分でも彼をちょっと追い込んでしまったのかなと、今になって思うところはあります。それに、当時巷ではビーイングブームなんて言葉が生まれるくらいビーイングのアーティストやバンドがミリオンセラーを続出していて、オリコンTOP10の常連組も沢山いました。そんな中で、今でこそ「君が好きだと叫びたい」って超有名曲ですけど、あの頃はそこまでは売れていなかったし、1stアルバムは完成したけど売り上げ的にはイマイチだし、「なんか変えなきゃいけない!軌道修正が必要だ!」と試行錯誤していたんです。みんな言葉では言わないけど色んな方面からのプレッシャーがあって、僕も作曲面で色々考えたり悩んだりしていました。特に山田は歌詞を書いていたから大変だったと思うんですよ。作詞でずっと煮詰まってましたから。今思うと本当に申し訳なかったのですが、あの頃はメンバーも自分の事に必死で、無意識に彼を追い込んでしまったのかもしれません。僕も歌詞を書くようになった今でこそ分かるんですけど、当時は詞を書かなかったし、書けなかったから。そういう所からも、気づいたら脱退という流れになってしまったのかもしれません。
●作詞は大変でしたか?
山田:毎回すごく大変でした。ささっと書けちゃう人もいますけど、僕はそういうタイプではなかったし、長戸プロデューサーのOKのハードルも高かったので何度も書き直しをしました。後半になってやっと一発OKもらったのが辛うじて何曲かありましたけど。
●どの曲か覚えていますか?
山田:5thシングルのカップリング曲「RAIN」。それと、1stアルバムに入っている「はやく捨てちまえ」はサクッと作って、サクッとOKが出た覚えがあります。
●活動再開にあたって行なった「ライブで聴きたい曲はなんですか?」というアンケートで、「はやく捨てちまえ」が入っていたそうですよ。
山田:そうなんですか。アルバム曲なのに有難いですね。まあとにかく昔は毎日詞のことばかり考えて、毎日ノートを持ち歩いていました。
大田:リハに来ても申し訳なくてね。歌詞を書く時間に当てた方がいいんじゃないのって。しかも誰もメンバーは手伝わない、手伝えないって状況で。
山田:確かに、そういう意味では知らず知らずのうちに孤独感を感じていたかもしれないですね。
●脱退後はどんな音楽活動をされていましたか?
山田:抜けた後は「ソロで動こうか」みたいな話で曲作りをしていましたが、曲が選ばれることはなく、最終的にビーイングから離れていきました。と同時に、完全に音楽から身を引こうと決めました。
●すぐに吹っ切れたんですか?
山田:正直なところ、あの頃は自暴自棄的な心理状態になっていましたね。でも、僕の周りにはプロアマ問わず音楽をやっている人が結構いるんですよ。昔からの仲間もいて、音楽をやめたいんだけどどうしてもやめれない状況があったみたいな。だから、極力断ってはいましたけど、「ライブでヴォーカルがいないんだけど」って友達に言われてちょっと手伝いに行ったりだとか、レコーディングをちょっと手伝ったりだとか、そういうことは気まぐれでしていました。だけど、ライブに出てもSNSなどに露出しないように心掛けてたっていうか、水面下でやるようにはしていましたね。
●それはBAADのヴォーカリストとしてのイメージを崩したくないという思いからでしょうか?
山田:変にBAADじゃない自分を出したくないという思いもあったし、その頃にはもう「君が好きだと叫びたい」という曲だけは有名だったので、「そのヴォーカルが!」みたいに見られるのも正直嫌でしたし……。中途半端な形でまた自分を出すのが嫌だったので、とにかく表舞台には出ないっていうのを決めてやっていましたね。
●山田さんにとって当時のBAADは、青春ですか?
山田:青春……。そうだけど、結構濃い二年間でしたよね。自分の人生を振り返ってみても、あの二年間は相当濃厚な時間でした。

第一期BAAD
左から→新井康徳(Dr.)、山田恭二(Vo.)、大田紳一郎(Gt. & Cho.)、小林正道(Ba.)

ー 再会〜再始動について ー


●巷で「君が好きだと叫びたい」を耳にした時には、どんな気持ちでしたか?

山田:自分が歌ってる曲だなっていうのは勿論あるんですけど、なんか別物のような気がしてきちゃってますね。例えばバライエティとかでバスケ絡みだと必ずと言っていいほどBMGで流れたりするじゃないですか。息子も当然僕が歌ってるのを分かっているので、「また流れてるよ」とか言ってきたりして。最初のうちは恥ずかしかったところもありますけど、もう慣れてしまいました。
大田:最近と言ってもここ10年くらいあの曲がずっと流れてますけど、僕の場合山田の次に秦秀樹ってヴォーカルとBAADを続けて、BAADが解散になった後はdoaに入ってという感じで色んなことをやって来ているので、「もう遠い昔のことだな〜」っていう感覚で、自分たちの楽曲ってあまり思えなくなっていたんですね。でも7、8年前からソロライブでこの曲を自分でも歌い始めてから、「あっ、やっぱりこれは自分たちの曲だ」みたいな意識がまた戻って来たんですよ。これだけ多くの方に認知していただいて、国内に止まらず中国をはじめ海外の方にまで愛される一曲になっているのは素直に嬉しく思いますよね。
●そんな中、昨年突然BAAD再始動が発表となり、5/18に大阪のライブハウス「hillsパン工場」で行われた「寺尾祭り」にゲスト出演されました。寺尾さんは当時のBAADの担当ディレクターでしたが、どういう経緯で再会〜再始動が決まったのでしょうか?
山田:一昨年の12月にある雑誌のインタビューを受けたんです。それを目にした寺尾さんが連絡をくれて、一度会おうってことになりました。「君が好きだと叫びたい」での出演依頼がテレビ局などからあるんだけど?ということだったんですけど、30年も何もやってなくて実際自分の歌がまた通用するの分からなかったし、「とにかく一回聴いてください」っていう話になり、一ヶ月後にまた会ってカラオケ屋に二人で行ったんです。で、「やっぱりコレを歌った方がいいですよね?」って僕から言って、「君が好きだと叫びたい」を歌いました。
●寺尾さんの反応はいかがでしたか?
山田:「全然変わらないよ、むしろ昔よりも安定しててすごくいい!」と言っていただきました。歌ってる様子を寺尾さんが動画に撮ってくれて、それを長戸プロデューサーに見せてくれたみたいで、「いいね、進めようよ!」とおっしゃっていただいたようです。
●それで再始動の決断をしたんですね。
山田:不安な気持ちや葛藤もありましたけど、やっぱり一番は嬉しかったんですよね。その素直な気持ちを大切にしてチャレンジしてみようと思いました。だけど、メンバーの気持ちを聞くまでは決められないと思って、大田さんに会いに行ったんですよ。
大田:僕のソロライブが去年の3/20に秋葉原であって、そこに山田と寺尾さんが観に来てくれたんです。終わってから楽屋に来てくれて、感動の再会ですよ。
●どんな会話を交わしたんですか?
山田:握手を求めようと思ったんだけど、この28年間は握手だけじゃ絶対に収まらないなと思って、咄嗟に僕からハグしにいきました。
大田:無意識にハグしてましたね(笑)
山田:握手では物足りなさを感じたんですよ。なんか違うな〜って。
●久しぶりに再会した印象はどうでしたか?
山田:実際は時間が相当経ってるんですけど、そんなに違和感がなかったですね。doaでの大田さんの活動を知ってたっていうのもあるのかもしれないけど、すぐに大田さんって分かったし、そんなに離れてたっていう感覚がなかったです。
大田:山田も本当に昔と変わらなかったですね。勿論お互い年は取ってるんですけど、雰囲気はそのまんまでした。その時には「寺尾祭り」(5/18)のゲスト出演の話をされていたので、僕から山田に「やろうよ、頼むよ」って話をしました。
●他のメンバー2人にはどのように話がいったんですか?
山田:大田さんと再会した同じくらいのタイミングに、まずは寺尾さんが会いに行ってくれたんです。その時に新井さんから癌を患っているという告白を受けました。二人とも再結成に快諾してくれて、新井さんは「寺尾祭り」(5/18)への出演にも前向きだったんですが、体調が優れず同じステージに立つことは叶わず、本番の4日後に帰らぬ人となってしまいました。
●再会を果たすことはできたんですか?
山田:小林さんは5/18のライブを観に来てくれたので再会できたのですが、新井さんとの再会は叶いませんでした。
大田:小林君も全然変わってなくて、髪は短くなっていたけど、性格、人格みたいなものは全く変わってなかったです。
●5/18のライブは、準備〜本番までどんな感じでしたか?
山田:リハはバンドのみで1回、僕が入って前日に1回、当日本番前に1回、計3回だけでした。
大田:あの時は寺尾さんのイベントのゲストという形で、お披露目的な心持ちで7曲を演奏しました。
●何年もステージで歌っていない山田さんを向かい入れて、大田さんはいかがでしたか?
大田:それもそうですけど、僕だってBAADはやってないですからね(笑)。doaよりもキーが高いし、出るのかな?っていうのと、ギターに関してもハードロック、ハードメタルなギター弾けるのかな?みたいな。そういう感じで僕も自分のことで一生懸命でしたから。僕、BAADが終わった時に機材を全部手放してしまったので、今回全部あつらえたんですよ。BAADをまたやるって決まった時に、新たにギターを買ったんです。
●ちなみにギターは何を買いましたか?
大田:フェンダーのギターです。どうせ買うならみんなが買えるようなギターじゃ嫌だなと思って、ボン・ジョヴィのギタリストのリッチー・サンボラ・モデルを探したんです。それで、赤いフェンダーがあったんですよ。でも売れちゃってて。どうしようと思っていたら今度は青いスタイルが出てきたんですよ。で、これしかない!と。ヘッドにリッチー・サンボラって書いてあります。まあ二人ともボン・ジョヴィが好きでね。ジョンとリッチーになりたいって思ってたこともあったりして。
山田:スタンス的には似てなくもないよね。僕がジョンだって言ってるわけではなくて、スタンス的にはアリだもんね。
大田:そうそう。BAADもボン・ジョヴィ・スタイルで、ギタリストが上をハモってって形だったので。
いいですね〜!ところで大田さんは新しいギターを購入されたそうですが、山田さんは昔のマイクスタンドを使用されるそうですね。
山田:はい。専門で作ってる方がいて、現役時代にオーダーして作ってもらった物です。出来上がってきた時はアルミ製の銀色のままだったんですよ。それに自分でシートを貼って当時は白にしていました。つい最近まで白のまんまだったんですけど、もうボロボロになっちゃってたんで、中身は同じなんですけど木目調のシートを貼って新調しました。それを去年のライブでも使って、今後も使っていく予定です。
大田:捨てないでずっと持ってたんだね〜!
山田:そう。でも、人に貸したりとかもしてた。ちゃんと返してねって言って(笑)
大田:当時の革ジャンもまだ持ってたり、すごいよね。
山田:コレもそうだよ(この日着用のスタジャン)。撮影でも使ってたかな?
大田:見たことあるよ。
山田:あるでしょ! 30年前のものを使えちゃってるのも怖いけど、物持ちいいんですよ。
大田:ファッションセンスも変わってない(笑)!
●5/18の本番はいかがでしたか?
山田:緊張はなかったんですけど、うまくいくのかとか不安だけは半端なくありました。実際感覚も覚えていなくて、とにかく無我夢中でやりました。
●本番を拝見しましたが、歌、演奏が素晴らしい上、所作やMCなども含め全体的にかっこいいステージングで、オーディエンスの興奮が伝わって来ましたよ。
山田:えっ、そうなんですか? 全然自分では分からなかったです。それだったら良かった。
大田:僕も本番は必死でそれどころじゃなかったです。今度の4/12(hillsパン工場でのワンマン)の方が緊張するんじゃないですかね。
●4/12のワンマンのセットリストは何曲で、どのように決まりましたか?
大田:
前回はお披露めでしたので7曲でしたが、今回はワンマンなのでもっと多くやろうということになり、セットリストは最終的に14曲です。NHKの「歌えるJ-POP」の収録時に楽屋で僕が考えました。
●秦さんがヴォーカルを務めていた第二期BAADの曲も入っているそうですね。
山田: BAADって僕はあくまで前期で、後期のファンの方もいると思うんですよ。アメリカのバンドでもヴォーカルが代わっても前の時代の曲を歌ったりもするじゃないですか。BAADもそれはやった方がいいのかなと思って、僕から提案してみました。
●それは第二期BAADを聴いていたファンの方も嬉しいですね! 4/12 @hillsパン工場、6/15 @赤羽ReNY alphaのセットリストがどんな構成になるのかとても楽しみです! ところで、ワンマンのライブタイトル「DRIVING FORCE」には、どんな意味を込めているのでしょうか?
山田:
「DRIVING FORCE=駆動力」という意味を持ちます。『スラムダンク』の挿入歌に使っていただいた「ENDLESS CHAIN」って曲があるんですけど、この「ENDLESS CHAIN」って言葉はバイクのチューナップ用語で「機体をパワーアップさせる」という意味があるんです。そこに引っ掛けて、“エンジンをかける駆動力が大きいバンド”というイメージで、スタッフと相談しながら決定しました。ちなみに「ENDLESS CHAIN」の歌詞とは全くリンクしていません。

ー 「君が好きだと叫びたい」が生んだ奇跡 ー

3rd Sg「君が好きだと叫びたい」(テレビ朝日系アニメ「SLAM DUNK」オープニングテーマ)

●「君が好きだと叫びたい」のヒットを受けて、改めてたった1曲がもたらす音楽のパワーを感じていませんか?
山田:やっぱり「スラムダンク」ですよね。このアニメに使っていただかなかったら曲自体生まれていなかったわけで。だからすごく幸運だと思っています。
大田:この曲があったから今の自分がいると言っても過言じゃないですよね。二人がこうしてまたやれるのもこの曲があったからで、もしこの曲がなかったらどこで繋がるのって。奇跡みたいなもんでしょうね。
山田:本当にそうだよね。「君が好きだと叫びたい」がもたらしてくれたパワーは、BAADにとっては半端ないです。
●今だから話せるこの曲の秘話はありますか?
山田:作者の井上雄彦先生からいくつかワードが上がってきて、「コレを歌詞に反映してほしい」と事前にリクエストが来ました。確か「血、汗、熱血」みたいなワードでしたね。僕は漫画をあまり読まない人間だったのでこの作品自体知らなかったんですけど、タイアップの話を聞いてその日のうちに本屋に買いに行って。とりあえずお店に置いてあった号を全部買ってきて読んで、ストーリーを自分なりに理解した上で書いていきました。
●書き直しはあったんですか?
山田:はい。最初に作ったのはすぐ没になって(笑)。
大田:すっごい時間かかってたのを覚えてます。
山田:あとサビ頭のメロディが最初は違ったんですよ。最初デモの段階では(現在の)イントロのメロディだったんです。今より大きな譜割の音符の少ないメロディで、最初はそれに合わせて歌詞を付けていたんですけど、「いまいちインパクトが足りないから、もっと文字数を詰め込んでみて」と言われまして。メロディに対してあえて言葉数を多くして、「君が好きだと叫びたい」というサビ頭の歌詞、タイトルが生まれました。
●テレビ出演はありましたか?
山田:この曲では「ミュージックステーション」に一度だけ出させていただきました。普通テレビって1コーラス半くらいなんですけど、あの時はテレビ朝日のプロデューサーさんから急にフルでやってくれと連絡をいただいて。これも「スラムダンク」がテレ朝だったからアニメのおかげですね。
●「君が好きだと叫びたい」以外で、第一期BAADの中で好きな曲、思い入れのある曲はなんですか?
山田:どれも思い入れはありますね。本当に歌詞で悩んでいたので、どの曲も同じくらい僕の中では思い入れ深いです。でも曲調で好きなのは「I WILLNEVER SAYGOOD-BYE」。あれはもう僕の大好きなアメリカンハードロックテイストの曲なので、気持ちいいです。
大田:思い出深いのは「愛したい愛せない」ですね。曲というよりもこの曲のジャケット写真撮影の日に、向かう途中で電車を降りた瞬間に目の前が真っ白になって倒れてしまって撮影に行けなかったんですよ。だから僕だけ後から撮って、デザインで作り込んでいただいたという思い出があります。
曲に関しては、1stアルバムの曲って自分の曲が多いんですけど、「この曲どうやって作ったんだっけかな?」って思い出せないんですよ。当時のデモも残ってないし。一応コードを弾いてメロディーを歌ってるはずなんですけど。第二期の秦君ヴォーカルの時の曲は思い出せるんですけど、1stアルバムの時は多分曲を作らなきゃいけないって必死でやって出来た曲ばかりなんだろうなって。あと、「DO YOU WANNA HOLD ME」は思い出がありますね。あの「クゥ〜」(Cool!)がね!
山田:あれは確か僕が提案したんだと思うんですよ。フェイクって通常全部歌い終わった最後に録るじゃないですか。で、その日たまたまメンバー全員がスタジオにいて、僕が「ちょっとやってみます」ってブースに入って、「クゥ〜」ってフェイクしたら声が裏返っちゃって。コンソールルームでみんなが爆笑してるのがブースの中から窓越しに見えて、それがトラウマみたいになっちゃって。「クゥ〜」ってかっこよく言いたかったんだけど、結局製品(CD)は「クゥ〜」ってフェイクが入ってます。
大田:この前グループLINEが来て、「今度(4/12)のライブで、クゥ〜って言うんですか?」って。そしたら寺尾さんが「言ってほしいです!」って返してて(笑)。ライブでこの曲やる時にはぜひ「クゥ〜」に注目してください(笑)

ー 今後について ー

●4/12のhillsパン工場でのライブは即完、6/15の赤羽ReNY alphaのチケットも順調のようですが、今後についてはどんな風に考えていますか?
山田:僕の場合、目の前にあることを全力でやってみようというのが率直な今の気持ちです。それ以上は今のところは考えられないですね。
大田:僕の中では海外進出ですね。去年マレーシアのイベントで「君が好きだと叫びたい」を歌わせてもらった時の反応がすごかったので、ぜひ次は二人で行って本物を披露したいです。CDは山田がメインヴォーカルなので、それでちゃんとやりたいなと思いますね。反応が見てみたいです。
山田:それは僕も実感してみたいです。
大田:まあ、あとはあまり気負わずというか、自然体でやっていければといいなと思っています。

★BAAD INFORMATION https://baad.jp/index.html


「BAAD LIVE “DRIVING FORCE vol.1」2024.4.12 o hillsパン工場

 2024年4月12日に、大阪「hillsパン工場」にて行われたワンマンライブBAAD LIVE “DRIVING FORCE“ vol.1」のライブレポートを、貴重なライブフォトと共に掲載。
 また、最後までお読みいただいた方に、山田さん、大田さんの直筆サイン入り MFM編集部オリジナルクリアファイルを抽選で3名様にプレゼント!  詳細は有料ページにお進みいただきご確認ください。

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