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こころのこと

じぶんのこころの傾向は「アロマンティック」というのに近いらしい。

一般的には「アロマンティック(Aromantic)とは、他人に恋愛感情を抱かないセクシュアリティです。」とのこと。

https://jobrainbow.jp/magazine/aromantic

恋愛漫画のストーリーは素敵だと思うしときめいたりするのもわかるんだけど、なにか記号的に知っているというだけであって実感としてそれを経験したわけじゃないし、いまのところ内的には理解できていない、というくらいの意味でのアロマンティック。

「特定の誰かがとりわけすき」っていう感覚も持てなくて、仲良い人はみんなそれぞれのベクトルですきだし、一緒に音楽の話をしたいひととか、一緒に映画を見たいひととか、一緒に美術館に行きたいひととか、一緒にお酒を飲みたいひととか、それぞれの場面で一緒にいたいひとがいる。

あるいは、そのどれもをひとりでやってても平気だと感じる。
誰かと一緒に予定を立てて行動するのは嫌いじゃないし、楽しいとも思うけど、解散してひとりになるとホッとしたりもする。

「特定の誰か」といつも一緒にいて、同じ感情を共有して、同じことで喜んだり悲しんだりして、っていうことがいまいちわからないし、
その「特定の誰か」に執着したり、独占したいって思う気持ちもわかんない。

性欲がないってわけじゃないんだけど、それを他人(すくなくとも知り合って2〜3回デートしたくらいの関係値のひと)に対して向けようとすると、自己嫌悪がつよく出てしまう。これはデミセクシュアルというのに近い傾向。

人付き合いが極端に嫌いってことでもなくて、「誰かひとりをとくべつにだいすき」っていう恋愛的な「すき」はわかんないっていうだけ。

むしろ惚れっぽい方だから男女問わず結構な割合で「人間的にこのひとすき!」ってなる。

「お試しで恋愛してみなよ」みたいなことも数えきれないくらい言われてきたんだけど、仮にそれで別れたとしたらお互い無視できないくらいのダメージを負うんだろうなと思うし、そうまでして恋愛経験に価値を認める風潮もよくわからない。

ひとつじぶんの中ではっきりスッキリしてるのは、恋愛のあれこれがわからないからといって「経験不足」とか「人として未熟」とか「大人になりきれてない」ってことはなくて、ただそういう人間というだけってこと。

周りの人たちが恋愛をしたり結婚したりすることにたいして焦る気持ちが大きかったんだけど、それっていわば「恋愛至上主義」ともいえるような価値観に縛られてたんだなと思う。

もうひとつ書いておきたいのは、セクシュアリティの自認は移り変わって当然なので、過去の発言や行動との一貫性や整合性はあんまり気にしなくていいと思うってこと。

「いまのじぶん」をじぶんで理解するために貼るラベルだから、その時々で選んでもいいし、いまのじぶんに合わないなと思うラベルは剥がしちゃってもいい。(ほんとはラベルなんか貼らなくても、その人らしくいられたらいいんだけど、いまの世の中でそれをするのはまだまだ難しい。)

そして誰かの性的指向/恋愛指向の自認のあり方について、別のひとがその整合性や正当性や一貫性なんかを求めるのは間違ってる。これは全員が知っておくべき考え方。

ともかく、ぼくはぼくらしく生きられたらいいなって思うし、今までもこれからも、恋愛がわからなくたってしあわせな人生だよってこと。


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